アナザースカイⅡ山口智充「ぐっさん」母の故郷奄美大島紀行




『アナザースカイⅡ』山口智充さん登場。

「そこが私のアナザースカイ」の、キャッチフレーズが、いつまでも心地よく耳に残ります。

2020年5月1日の『アナザースカイⅡ』には、タレントの「ぐっさん」こと、山口智充さんが登場しました。



鹿児島県の奄美大島。


「ぐっさん」の母親のふるさとの島。

今回の舞台は、鹿児島県の奄美大島、ここは彼の母親のふるさとだったのです。

奄美大島は、鹿児島から約380㎞、約6万人の島民が暮らしている島です。

奄美大島は、沖縄本島、佐渡島に次ぐ、日本で3番目に大きな島なのです。

その母親の故郷、瀬戸内町の観光大使を、2009年から務めているそうです。

奄美大島空港に降り立った「ぐっさん」を、迎えて呉れたのは、

瀬戸内町役場に勤める職員の、勝田忠広さんで、「ぐっさん」とは、はとこ同士の間柄だそうです。

「ぐっさん」がやって来ると、勝田さんは送迎役をされるそうで、「ただいま」と言う「ぐっさん」の声が響きました。

その感情で熱くなれ! [ 山口智充 ]



「SUNNY DAYS」


オリジナルTシャツショップ。

先ず向かった先は、

奄美空港の目の前に2009年にオープンした「SUNNY DAYS」と言う名前の、オリジナルTシャツショップです。

ここでは、古着やセレクトアイテム、雑貨などを品揃えしています。

「SUNNY DAYS」と言う響きから、「Good Sun」=「ぐっさん」が似ていると喜んでいました。

オリジナルTシャツは、「SUNNY DAYS」のロゴがかっこよく映っています。

そして店主の方にも「ただいま」と挨拶し、「ぐっさん」の、あたたかな人柄が溢れていました。

このオリジナルTシャツは、当初、大きなサイズが無かったそうで、「ぐっさん」の要望に応えて、店主がXLLまで作ったそうです。

「ぐっさん」がXLLを広げて見ましたが、あまりの大きさに驚いていました。

山口智充 / (有) 山口モータース [CD]




「焼鳥屋てっちゃん龍郷店」




奄美の郷土料理、鶏茶漬けが美味しそう。

次に向かった先は、「焼鳥屋てっちゃん龍郷店」、このお店の看板には、大きなハブのオブジェが迫力を出していました。

焼き鳥や鶏料理、奄美の郷土料理が提供されていて、

中でも、たっぷりの鶏肉、錦糸卵、薬味などを、どんぶりに入れて、鶏のだしを掛けて頂く、鶏茶漬けは、とてもおいしそうに見えました。

このお店は名店らしく、さんまさんや木村拓哉さん、B’Zさんも訪れているようです。

晴れ時々快晴 [ 山口智充 ]




あまみエフエム ディ!ウェイブ




九州の離島では、初のコミュニティラジオ局。

その後「あまみエフエム ディ!ウェイブ」を紹介していました。

2007年開局で、九州の離島では、初のコミュニティラジオ局だそうです。「ぐっさん」を迎えてくれたのは、代表の麓憲吾さん。

この方との出会いは、16年前、局の下にあったライブハウスで出会い、飲み明かしたそうですが、

その時、麓憲吾さんが、ラジオ局を作りたいと話したことを、その後、彼が有言実行したそうです。

なんて、凄い人がいるもんだと刺激を貰いました。

そして、10年前に「ぐっさん」が10曲ものシングルをプレゼントしたそうです。

シングルとは、放送番組の間に入れる、短い音楽を指すようで、よくラジオで流れています。

このラジオ局の生放送に突然、10分ほど出演した「ぐっさん」でしたが、

その放送を聞いていたリスナーたちが、ラジオ局の前に集まって来たのです。

如何に、このラジオ局が島で定着し、コミュニケーションツールとして、情報発信して、親しまれているかを証明したシーンでした。

最近、空を見上げてるかい? [ 山口智充 ]



ROADHOUSE ASiVi




奄美初の本格ライブハウス。

次に向かった先は、「ROADHOUSE ASiVi」。1998年オープン、奄美初の本格ライブハウスだそうです。

奄美出身のミュージシャンからは「ホーム」と呼ばれているそうです。

「ぐっさん」の第二のふるさと。



「ぐっさん」のアナザースカイ。

「ぐっさん」が始めて、奄美大島を訪れたのは、6歳の時だったと言います。夏休みを利用して、1ヵ月以上過ごしたそうです。

母親のふるさとを、満喫した1ヵ月だったんじゃないかと思います。そして、そこには大自然が残されていたのでしょう。

勝浦にある、勝浦公民館の看板の文字を「ぐっさん」が書いていたのです。

その公民館からすぐのところには、海が広がっていました。

その海でよく泳いでいたそうです。

海の中に足を漬け、波打ち際に、打ち寄せる波の音に、「ぐっさん」は、耳を傾けていました。

その打ち寄せる波の音を、いつまでも聞いていられると話していました。


山口智充さんの職業は「ぐっさん」だった


どこで何をしていても「ぐっさん」は「ぐっさん」だった。

「ぐっさん」は、空港でも、お店でも、エフエムラジオ局でも、食事をしていても、お酒を飲んでいても、

優しく人と接していて、ありのままの自分を、さらけ出していていました。

山口智充さんは、1994年デビュー、声帯模写や効果音などを使った、多彩なモノマネを得意としています。

歌もうまいし、楽器の演奏も得意で、人を楽しませる素養を持っているのです。

そして、モノマネも、歌も、ギターも、人との接し方も、食べる時も、飲む時も、全力で向かっているように映っていました。

そして分かったのです。山口智充さんの職業は「ぐっさん」だったと言うことを。