『リバー・ランズ・スルー・イット』の意味・名言・あらすじ




『リバー・ランズ・スルー・イット』の意味・名言・あらすじ

『リバー・ランズ・スルー・イット』(A River Runs Through It)は、1992年公開の、ロバート・レッドフォード監督の作品です。

原作はノーマン・マクリーンの小説『マクリーンの川』で、これをロバート・レッドフォードと、リチャード・フリーデンバーグが脚色し、

主演はクレイグ・シェイファー、ブラッド・ピットが務めたアメリカ映画。

舞台はアメリカ・モンタナ州ミズーラの雄大な自然、そこでの兄弟の葛藤と、フライ・フィッシングの美しい描写で、

第65回アカデミー賞の撮影賞を受賞しました。

この作品で、主演のブラッド・ピットは若手俳優としての地位を確立した作品なのです。

タイトルの意味。



川は流れ続ける 「River runs through it」

このタイトルの言葉は、人生は苦楽など、何があっても時は流れ続けるといった様子を川に例えたもので、

川は流れ続けると言う意味です。

「リバー・ランズ・スルー・イット」と言う言葉は、原作でも、映画でも、エンディングに登場します。

故郷の川で釣りをする老人は、愛する人々の死も何度か経験し、川の流れの中に、自然界の魂のようなものを見ているようです。

こんな言葉が語られています。


「最後には、すべての存在が溶解、融合して、たったひとつの究極の存在となり、一筋の川がそのたった一つの存在を貫いて流れていくのを意識する」

(「 マクリーンの川」集英社刊、渡辺利雄訳)


原作では、既に老人となった主人公ノーマン・マクリーンが、自分の家族の思い出を、静かに振り返っていて、

映画でも冒頭と最後に、老人となったノーマン・マクリーンが、川で釣りをする姿が映し出されます。

そして、ロバート・レッドフォードが惚れ込んだという、原作の冒頭と最後はこんな文章になっています。


「私たちの家族では、宗教とフライ・フィッシングのあいだに、はっきりした境界線はなかった」


また、最後のしめくくりは――


「いまもなお、わたしはこの水の世界にとり憑かれている」

(同著より)


映画でナレーションを担当しているのは、ロバート・レッドフォード本人です。

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リバー・ランズ・スルー・イット あらすじ


映画の時代背景は1910 – 1920年代のアメリカ合衆国モンタナ州。

スコットランド出身で、長老教会派の牧師の厳格な父親であるマクリーン(トム・スケリット)、

真面目で秀才の兄ノーマン(クレイグ・シェイファー)、陽気な弟ポール(ブラッド・ピット)。

幼い頃から、ノーマンとポールの性格は正反対でした。

ノーマンは落ち着いていて、文章を書くことを好むが、ポールは明るくいたずら好きでした。

父親は午前中は二人に勉強させますが、午後は自由時間としており、ノーマン達は、毎日、川へ釣りに出かけていました。

父親は子供たちに、人生の真実と釣りの楽しさを教え込みました。

そして、三人に共通する趣味はフライ・フィッシングだったのです。

兄のノーマンはやがて、マサチューセッツ州の名門、ダートマスの大学に進学し寮に入ります。

そして、ほとんど帰省せずに6年間を過ごすのでした。

弟のポールは地元大学を卒業後、モンタナ州の州都ヘレナで、新聞記者となります。

ケンカ好きの弟はフライ・フィッシングでは、天才的な才能を発揮しますが、

実生活ではポーカー賭博にのめり込み、だんだんと危険な世界に足を踏み入れてゆきます。

東部の名門大学を出て街に戻ってきたノーマンは、独立記念日にジェシーと知り合い、付き合い始め、そして求婚。

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フライフィシングシーン。


そしてノーマンが、シカゴ大学の英文科教授の就職のためにシカゴに向かう直前、

ノーマンとポールは父親と一緒にブラックフット川に久しぶりに釣りに出かけ、フライフィシングを楽しみます。

そこでノーマンは、弟ポールのフライ・フィッシングに対する情熱と、芸術的センスに気づき圧倒されるのです。

ポールは帽子に付けているフライのひとつを選択し、流れにフライをプレゼンテーションします。

すると、そのフライに大物の鱒が食いつきます。

ポールは激流を流されながらも懸命にロッドを操り、緩い流れに鱒を持ち込み、大物の鱒を釣り上げ、

ノーマンたちは早速写真に収めて喜びました。

しかし翌朝、警察から連絡があり、ポールが何者かに殺されたことを、ノーマンは知らされる悲劇的な最後を迎えます。

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兄弟の葛藤。


兄は秀才で、弟は賭博にのめりこんでいるという二人ですが、

父から教わったフライフィシングが好きというこが共通している、そんな対称的な兄弟の人生を描いた物語です。

秀才な兄に劣等感を持つ弟と、自由奔放な弟に悩む兄の間に生じる、人生の葛藤が見事に表現されています。

人それぞれ生まれ持った才能は違うかもしれませんが、愛する人に何が出来るのかを考えさせる作品です。

悲劇が起こった後も、物語が淡々と描写されていき、そこがこの映画の魅力でもあります。

老人の追想が、そんな視点で描けたように思えます。

永遠に輝ける存在として兄の脳裏に焼きついているのが、弟ポールの姿です。

ポールは一瞬の人生を駆け抜けるからこそ、その存在がより輝いて見えます。

兄は弟を愛していたが、結局、弟を救うことが出来なかった。

そして、時は流れていくのです。

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リバー・ランズ・スルー・イット」名言





「その瞬間、僕ははっきりと感じた。完成されたものの美を」

「僕は同時に感じていた。人の世は芸術ではなく、永遠の命を持たぬことを」

ノーマン・マクリーン(兄)


ノーマンが弟ポールと父親との3人でフライ・フィッシングに出かけ、ポールが大物の鱒を釣り上げた時を振り返えった言葉です。


「愛する者の本当に助けとなることは難しい。自分の何を差し出すべきか、あるいは差し出しても相手が拒否してしまう。身近にいながら腕の間をすり抜けてしまう。できるのは愛すること」

完全に理解する事はできなくても、完全に愛することはできる

マクリーン牧師(父)


厳格な父親でもあるマクリーン牧師が、自身の家族のことを思いながら教壇の上に立って信者に言った言葉です。


時よ、その針を逆に回し、子供に戻しておくれ、せめて今宵だけは。

マクリーン牧師(父)


久し振りに帰郷したノーマンが、父親の教会へ行った時のマクリーン牧師説教です。


モンタナでは、教会と仕事と釣りの遅刻は厳禁だ。

ポール・マクリーン(弟)


ノーマンはガールフレンドのジェシーの兄を釣りに誘い、ポールをつきあわせるが、当日、ジェシーの兄は大遅刻をしてやって来た。その時のポールのセリフです。


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