映画 オズの魔法使いのあらすじ「虹の彼方に」歌詞と和訳。




オズの魔法使虹の彼方に」とはどこ?歌詞と和訳の意味。

虹の彼方に」は、1939年にリリースされた楽曲なのに、今でも人気があり、ついつい口ずさんでしまう曲です。

この曲は映画『オズの魔法使』の中で、主演のジュディ・ガーランドによって歌われました。

今から84年前の曲なのに、心ひき付けられるのは何故でしょう。



映画『オズの魔法使』(The Wizard of Oz)

映画『オズの魔法使』(The Wizard of Oz)は、1939年のアメリカのファンタジー・ミュージカル映画です。

監督はヴィクター・フレミング、主演はジュディ・ガーランド。

そしてこの映画の原作は、ライマン・フランク・ボームが1900年に発表した児童文学小説『オズの魔法使い』(The Wonderful Wizard of Oz)です。

映画の冒頭部分と、ラストのカンザスのパートは、白黒モノクロフィルムで、オズの国のパートはカラーで撮影されています。

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『オズの魔法使』ストーリー


エムおばさん、ヘンリーおじさん、そして下働きのハンク・ヒッコリー・ジークと共にカンザスの農場に住む少女ドロシー・ゲイルは、

「虹の彼方のどこかに(Somewhere Over The Rainbow)」と、より良い場所があると夢見ています。

ドロシーはトルネードに襲われて気を失った後、愛犬のトトや自分の家とともに、魔法の国オズへ運ばれてしまいます。

そこで出会った北の良い魔女は「黄色いレンガの道をたどってエメラルド・シティに行き、

オズの魔法使いに会えば、カンザスへ戻してくれるだろう」とドロシーに助言して呉れました。

旅の途中でドロシーは(知恵が欲しい)知恵がない案山子、

(心が欲しい)心を持たないブリキ男、(勇気が欲しい)臆病なライオンと出会い、

ドロシーや彼らの思いを胸に、彼らと絆を深めながら旅をともにします。

そして、家へ帰る方法は「家が一番いい」と願うことであったのです。

オズの魔法使い オリジナル・サウンドトラック [ ハロルド・アーレン ]



Over the Rainbow(虹の彼方に)歌詞と和訳。




Somewhere over the rainbow
Way up high
There’s a land that I heard of
Once in a lullaby

どこか虹の向こう側
はるか高くに
土地があると
子守唄で聞いたことがある

Somewhere over the rainbow
Skies are blue
And the dreams that you dare to dream
Really do come true

どこか虹の向こう側では
空は青くて
あなたの大きな夢も
叶ってしまう

Someday I’ll wish upon a star
And wake up where the clouds are far
Behind me

いつか星に願いを込めて
目覚めると雲は遠く
後ろの方にある

Where troubles melt like lemon drops
Away above the chimney tops
That’s where you’ll find me

そこでは、トラブルはレモン飴のように溶けてしまう
チムニートップス山のはるか上のほう
そこであなたは私を見つけ出す

Somewhere over the rainbow
Bluebirds fly
Birds fly over the rainbow
Why then, oh why can’t I?

どこか虹の向こう側では
青い鳥が飛んでいる
鳥は虹を超えて飛んでいく
なのになんで、私にはできないの

If happy little bluebirds fly
Beyond the rainbow
Why, oh why can’t I?

小さな幸せの青い鳥は
虹の後ろに飛んで行ったのに
なぜ私にはできないの


オズの魔法使い (新潮文庫) [ ライマン・フランク・ボーム ]


曲名:Over the Rainbow(邦題:虹の彼方に)、作詞:エドガー・イップ・ハーバーグ、

作曲:ハロルド・アーレン、リリース年:1939年、歌手:ジュディ・ガーランド

「Over the Rainbow」は、映画公開後のヒット以来、

スタンダード・ナンバーとして世界的に広く親しまれ、多くのカバーの対象となっています。

そして2001年に全米レコード協会等の主催で投票により選定された「20世紀の名曲」(Songs of the Century)では第1位に選ばれました。

アメリカでは、こうした国民曲と言うものがいくつかあります。

例えば、メジャーリーグの試合で、7回に歌われる「私を野球に連れてって」。

球場で観客が合唱する歌があると言うのは、正に自由の象徴のようだと思いませんか。

オズの魔法使い [ ライマン・フランク・ボーム ]

【抽出】

私を野球に連れてって、歌詞の和訳と由来の意味は?



「Over the Rainbow」


「Over the Rainbow」は、『オズの魔法使』の主人公ドロシー(ジュディ・ガーランド)が、エムおばさんに、

「なんのトラブルにも巻き込まれないようなところを見つけなさい」と言われ、

「そんな場所あると思う?」と愛犬のトトに尋ねるシーンで登場します。

「あるに違いないわ。ボートや電車で行けるようなところではない。そこはもっと遠く遠くの、月の向こう、雨の向こう…」

の後に曲が始まります。

「Over the rainbow」とは、虹を越えた先のほうに、という意味です。そこに幸せがあると、希望を持たせて呉れるのです。

映画では、少女ドロシーの住むカンザスは白黒のモノクロフィルム、魔法の国オズはカラー・フィルムで撮影されていて、

映画のシチュエーションから、「白黒のつまらない日常から、カラフルな虹の彼方の世界を夢見る」曲だということが読み取れます。

当初ドロシー役は、シャー リー・テンプル(10歳) を起用する計画でしたが、

彼女が所属していたFOX社との交渉が決裂し、自社のジュディ・ガーランド(17歳)が抜擢されました。

そのため、身体も大きくなっていて、少女と言うよりも大人びて見えるのです。

『オズの魔法使』はアカデミー賞で、作品賞など6部門でノミネートされ、

作曲賞、歌曲賞の2部門で受賞したほか、ジュディ・ガー ランドが特別賞を受賞しました。

オズの魔法使い [ L.フランク・ボウム ]



ジュディ・ガー ランドの人生。


ジュディ・ガーランドが歌ったOver the Rainbow(邦題:虹の彼方に)。

これは、アメリカン・ドリームを象徴する甘美な歌として親しまれていますが、ジュディ・ガーランドの人生はどうだったのでしょう。

ジュディ・ガー ランドは、子役として出演した『オズの魔法使』で大人気を博し、

以後も『若草の頃』、『イースター・パレード』、『スタア誕生』などで抜群の歌唱力を披露し、

ハリウッド黄金時代を代表する大スターの一人となりました。

1941年に作曲家のデヴィッド・ローズと結婚しましたが、2年後の1943年に離婚。その後も再婚離婚を2度しています。

1943年に頃から神経症と薬物中毒の影響が表面化し始め、撮影への遅刻や、出勤拒否を繰り返すようになります。

1947年に出演した『踊る海賊』の撮影では、130日余の撮影中に36日しか姿を見せず、

撮影後にはサナトリウムへの長期入院を余儀なくされ、

自殺未遂事件を起こし、以降、度々薬物治療のための入退院を繰り返すこととなるのです。

そして、1969年6月22日に居住滞在先の、ロンドンの借家で、

睡眠薬の過剰摂取にてバスルームで死去。自殺とする説もありました。享年は47歳でした。

彼女には莫大な収入がありましたが、その大半を浪費してしまっており、埋葬の費用にも事欠いたと言うことです。

ジュディ・ガー ランドが求めていた、「Over the Rainbow」はどこにあったのでしょう。

余談ですが、ジュディ・ガーランドの娘ライザ・ミネリの 2番目の夫は、ブリキ男 役 のジャック・ヘイリーの息子だったそうです。

『オズの魔法使』では、Somewhere over the rainbow…(どこか虹の向こう側では)

幸せな場所を探して行く、ドロシー役を演じたジュディ・ガーランドでしたが、

その私生活では、そんな現実が待っていたのでした。

すばらしいオズの魔法使い [ ライマン・フランク・ボーム ]