村上春樹さんの作品には不思議な魅力があります。読み出すと、その魅力に虜(とりこ)になり、途中で中断出来なくなります。
一気に読んでしまいたくなる一方で、読み終わるのが“もったいない”と思わせるほどの魔力があるのです。
それは次元を超え、空間を超えた不可思議な力で、読者に迫って来るのです。
村上春樹作品、なぜ惹かれる?
読者はなぜ、村上春樹さんの作品に惹かれるのでしょう?
それは村上春樹さんの世界観だったり、詳細で緻密に描かれた情景描写、比喩表現の面白さ、
時代背景に即した圧倒される知識の網羅も、その要因の一つかもしれませんが、
一番の特性は「ストーリー性の強さ・面白さ」にあります。
ストーリーが素晴らしいから、読みだしたら止まらなくなる常習性が、そこに有るのだと思います。
一般的に純文学作品などは「芸術作品」と言う縛りから、ストーリーの面白さよりも、“美しさ”や“芸術性”が重視されがちです。
村上春樹さんの作品には、強調される要素にストーリー性の強さや、面白さがとても読み易く配置されています。
難解だと言われる村上春樹作品
だから、難解だと言われる村上春樹作品が、
読者には、作者の真意を十分に理解出来なくても、読んでいるだけで十分に楽しむことが出来るのではないでしょうか。
村上春樹さんの作品は、読者の想像力を刺激します。
その一つが、作品の二層構造かもしれません。しばしば登場する二つの物語が、それぞれ相応して展開していきます。
はじめは、物語の前後がどうなっているの?と戸惑うかも知れません。
しかし、読み進むに従いその謎が解け、まるでコンチェルトのように交互に絡み合うように展開していきます。
そして、読者はそんな構成を心地よく感じてしまうのです。
更に、村上春樹さんの作品には不可解な点、謎に満ちた点が多いという事も特徴です。
「なんでここでそうなるの?」
「この設定の意味がわからない」と言うような感じがあります。
村上春樹さん自身には意味があってそう言うことを書いているのだと思いますが、
読者にとっては深く考察しないと理解できないことが多いように思われます。
それがまた、村上ワールドへ読者を誘う迷宮になっているのかもしれません。
『ダンスダンスダンス』
『羊をめぐる冒険』から4年、激しく雪の降りしきる札幌の街から「僕」の新しい冒険が始まります。
そして「僕」は、奇妙で複雑なダンス・ステップを踏みながら、その暗く、危険な運命の迷路をすり抜けて行きます。
この作品は『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』の3部作のその後を綴る、
所謂「鼠三部作」の主人公と同一人物であり、実質的な三部作の続編にして完結編にあたる作品です。
『ダンスダンスダンス』の冒頭
よくいるかホテルの夢をみる。
夢の中で僕はそこに含まれている。つまり、ある種の継続的状況として僕はそこに含まれている。夢は明らかにそういう継続性を提示している。
「僕」は3年半の間、フリーのライターとして「文化的雪かき」の仕事をしていました。
1983年と言う時代設定の本作品は、高度資本主義社会という言葉がキーワードの一つになっています。
1983年3月のはじめ、「僕」は函館の食べ物屋をカメラマンと二人で取材し、書き上げた原稿をカメラマンに託すと、
札幌行きの特急列車に乗ります。
それは「いるかホテル」に行って、キキと会うためでした。
キキは3部作の『羊をめぐる冒険』に登場していた、耳のモデルの女の子でした。
キキという呼び名は、彼女が高級コールガールをしていた時の源氏名でした。
4年前の『羊をめぐる冒険』では、主人公の「僕」は、キキと一緒に北海道の山奥にある別荘を訪れましたが、
その後、彼女は黙って「僕」の前から姿を消してしまい、消息不明の状態だったのです。
ダンス・ダンス・ダンス(上) (講談社文庫) [ 村上 春樹 ]
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いるかホテル
訪ねた「いるかホテル」(正式名はドルフィン・ホテル)は、26階建ての巨大なホテルに変貌していました。
「いるかホテル」の一室で羊男と再会し、
札幌の2本立て映画館でたまたま、中学校の同級生だった五反田君の出演する「片思い」映画を見ます。
その映画で、同級生の五反田君は生物の先生を演じていました。
ベッドシーンで、カメラが回りこむようにして移動して女の顔を映し出すと、それはキキだったのです。
「僕」は、東京に戻り、俳優になった中学時代の同級生・五反田君に接触することにしました。
勿論。それはキキの消息を知るためでした。
「僕」は札幌の「いるかホテル」で、フロントの女性と親しくなっていました。
その繋がりで彼女から、ホテルに母親から取り残された、13歳の少女を東京まで引率するよう頼まれます。
その少女の名はユキでした。そして、少女を残して海外に行ってしまった母親の名前はアメだったのす。
主人公の「僕」は、東京と札幌、そしてハワイを舞台にし、大切なことを求めて、
そして上手く生きていくために、ダンスのステップを踏みます。
ステップを間違えないように。時代をすり抜けるように。
ダンス・ダンス・ダンス(下) (講談社文庫) [ 村上 春樹 ]
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『ダンスダンスダンス』の名言。
上: 羊男
「踊るんだよ」
「音楽の鳴っている間はとにかく踊り続けるんだ。おいらの言っていることはわかるかい?踊るんだ。踊り続けるんだ何故踊るかなんて考えちゃいけない。意味なんてことは考えちゃいけない。意味なんてもともとないんだ。
《中略》
「でも踊るしかないんだよ」
「それもとびっきり上手く踊るんだ。みんなが感心するくらいに。そうすればおいらもあんたのことを、手伝ってあげられるかもしれない。だから踊るんだよ。音楽の続く限り」
オドルンダヨ。オンガクノツヅクカギリ。
上: 僕
「本当にいいものはとても少ない。何でもそうだよ。本でも、映画でも、コンサートでも、本当にいいものは少ない。ロック・ミュージックだってそうだ。いいものは一時間ラジオを聴いて一曲くらいしかない。あとは大量生産の屑みたいなもんだ。でも昔はそんなこと真剣に考えなかった。何を聞いてもけっこう楽しかった。若かったし、時間は幾らでもあったし、それに恋をしていた。つまらないものにも、些細なことにも心の震えのようなものを託することができた。僕の言ってることわかるかな?」
下:
僕はいったいどうすればいいのだろう?
でもどうすればいいのかは僕にはわかっていた。
とにかく待っていればいいのだ。
何かがやってくるのを待てばいいのだ。いつもいつもそうだった。手詰まりになったときには、慌てて動く必要はない。じっと待っていれば、何かが起こる。何かがやってくる。じっと目をこらして、薄明の中で何かが動き始めるのを待っていればいいのだ。僕は経験からそれを学んだ。それはいつか必ず動くのだ。もしそれが必要なものであるなら、それは必ず動く。
よろしい、ゆっくり待とう。
下 : 僕
「耳を澄ませば求めているものの声が聞こえる。目をこらせば求められているものの姿が見える」
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「村上春樹『ダンスダンスダンス』冒頭・あらすじ・名言」への1件のフィードバック
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