日本人が憧れるフランスの魅力!なぜパリが好きなのか?

 

全てがオシャレな国、フランス。

 フランスと言えば、何を思い浮かべますか。

シャンゼリゼ、パリコレ、ルーブル美術館、バケット、フランス革命、ワイン、モンサンミシェル、カフェ、

ナポレオン、エッフェル塔、フレンチ、モンブラン、パリジェンヌ、凱旋門、まだまだあるでしょう。

そもそも、どうして日本人はフランスに憧れるのでしょう。何故、パリがそんなに好きなのでしょうか。

でもそれは、日本人に限ったことではなく、世界中の人々がパリに憧れているからではないでしょうか。

フランスの象徴、トリコロールの3色。

「自由・平等・博愛」

数々あるフランスのキーワードの中でも、フランス国旗「トリコロール」は、正に、フランスそのものでしょう。

王政時代のフランスの国旗は、青地に王家の紋章である白百合をあしらったもので、

現在のデザインになったのは、フランス革命後なのです。

革命初期の中心人物の一人である、ラファイエットがパリの市民軍が掲げた「青・赤」に、

白を加えて作った帽章と言うのが、通説になっています。

その時期が1794年で、トリコロールがフランスの象徴となったのです。

以後、王政復古期間など、一部の例外を除いて、「トリコロール」が、国旗として使用され現在に至っています。

3色の比率は等分のものと、青:37% 白:30% 赤:33%のものの2種類があるそうです。

白色は膨張色なので、比率を変えているようです。

パリの日々 言語哲学者の休暇、あるいは字幕翻訳者のプロローグ [ 丸山直子 ]

 

自由・平等・博愛のシンボル。

フランス第五共和国憲法で、国旗は「自由・平等・博愛」としていることから、

その色もそれに由来していると言う俗説がありますが、青=白百合、白=矢車草、赤=ヒナゲシと言うのが本来のようです。

ブルボン朝は1589年から、中断を挟んで、1830年まで続きました。ルイ王朝とも呼ばれていたのです。

その頃のフランスは、国民の98%が平民、2%が特権階級の、封建的な身分制度が存在し、

不景気を平民からの税収で、賄っていた政治方針があだとなり、一斉に蜂起が起き、

それがフランス革命に繋がって行き、絶対君主制が崩壊し、フランスは新しい夜明けを、迎えたのでした。

そして、この引き金になったのが、贅の限りを尽くしていたと言われていた、マリーアントワネットだったのです。

しかし後年の研究で、彼女の価値観は変わろうとしています。

せかたびパリ

 

観光大国フランスの象徴トリコロール。

フランスは、世界一の観光大国。

フランスには、年間で8,000万人の、観光客がやって来ると言います。

フランスの人口が6,200万人なので、人口の1.3倍の、観光客が押し寄せる、世界一の観光大国です。

日本への訪日観光客が、昨今3,000万人を超え、この先も、伸びると言われていて、インバウンドマーケットの拡大が、期待されています。

それを象徴するように、京都の嵐山や、先斗町辺りでは、

あまりにも多くの外国人が押し寄せて、マナー違反をしているニュースが伝えられています。

ソロタビパリ ひとり旅って、こんなに楽しい!

 

マナー違反の観光客が押し寄せるパリ。

多くの観光客が押し寄せるフランスでは。

フランスと同じ人数の、訪日観光客が日本にやって来たら、

今の2.6倍になると考えて見たら、フランスでは、本当に、凄い事になっているんじゃないかと思ったのです。

丁度、先日もフランスの、観光事情に関するニュースが、放映されていましたが、

インスタ映えスポットは大賑わい。

インスタ映えする、フランスの街並みは、格好の撮影スポットとなっていて、

各国からの観光客のマナー違反による、写真撮影が横行していました。

今までは、多くの観光客は、凱旋門、シャンゼリゼ通り、ルーブル美術館へ向かっていた筈ですが、

今では、パリの裏通りのインスタ映えするような路地にも、押し寄せているのです。

それも、毎日、時間を問わず、その地域の方の日常生活を侵害しているのです。

観光大国化したフランスの、新しい問題点が今、浮き彫りになって来ているようです。

曜日別パリ案内 [ トリコロル・パリ 荻野雅代 / 桜井道子 ]

 

作家森本哲郎さんの『僕の旅の手帖』。

パリを、ヘミングウェイが語っている。

昔の良きパリの情景を書いた、好きな文章があります。

それは、作家、森本哲郎さんの『僕の旅の手帖』のプロローグの冒頭に出てきます。

「それは、あたたかく、清潔で、親しみのある気持ちいいカフェだった」とヘミングウェイは書いている。

彼は、そのカフェに入ると、コート掛けに古いレインコートをつるし、帽子掛けに、くたびれて色のさめたフェルト帽をかけ、さて、一隅に席を占めてカフェ・オ・レを注文した。

そして、ギャルソンがそれを運んでくると、ポケットからノートを取り出し、鉛筆で小説の草稿をかきはじめる。

彼がすわっているのは、パリ、『サン・ミシェル広場のいいカフェ』である。

時代は1920年代。とつぜん、美しい女が雨に濡れて入ってくる。彼女は入口近くにすわり、だれかをじっと待っている。

ヘミングウェイはそれをそっとながめる。そしてノートに書きつける。

「美しいひとよ。私はあなたに出会った。あなたは、いま、私のものだ。あなたがだれを待っているにせよ、

また、私が、もう二度とあなたに会えないにしても、あなたは私のものだ。パリも私のものだ」

フランスの、良き時代を表した文章です。

これは、ヘミングウェイの『移動祝祭日』の冒頭に出て来る一節の描写を、

森本哲郎さんならではの切り口で、切り取り、森本哲郎さんの世界にあわせた、珠玉の文章になっていたのです。

読書の旅 愛書家に捧ぐ【電子書籍】[ 森本哲郎 ]

 

ヘミングウェイが見ていたパリ。

街角のカフェに佇み、サン・ミシェル広場を見渡しながら、小説の構想を練っていたヘミングウェイに、

その手を休ませる程の、魅力的なパリジェンヌが突然出現したのでしょう。

彼はその瞬間、彼女に恋をし、そして、パリにも恋をしたのです。何故なら、そこは気持ちいいカフェだったからです。

ヘミングウェイと言うと『老人と海』に代表されるような海の男を連想し、大の釣り好きだったことで知られています。

そんな彼は、若き日にパリで暮らしていました。

そして森本哲郎さんが引用したヘミングウェイの『移動祝祭日』と言う小説のタイトルは、こんな由来から出来ているのです。

それは、彼が親友だったホッチナーこう語ったからです。


「もし幸運にも、若者の頃、パリで暮らすことが出来たら、その後の人生を、どこで過ごそうとも、パリはついてくる、パリは移動祝祭日だからだ!」


『移動祝祭日』と言うタイトルは、ヘミングウェイ自身によるものではありません。

彼の死後、この言葉に感銘を受けたホッチナーの助言で、ヘミングウェイの最後の妻、メアリーが決めたものです。

1920年代のパリを舞台に、第一次世界大戦後の傷を癒していた22歳のヘミングウェイが、

行きつけのカフェで、ひとり執筆に没頭し、

ガートルード・スタイン、スコット・フィッツジェラルドと言った、芸術家たちと交流しながら、パリで生きてゆく姿を描いています。

そうです、パリはいつだって、魅惑的な街だったんです。

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若き日に世界中を旅した新聞記者。

朝日新聞の記者だった森本哲郎さん。

森本哲郎さんは、朝日新聞の記者をして、世界中を飛び回り、多くの紀行文を掲載しました。

その後、作家となり魅力ある著書を、多数出版しました。私は森本さんの作風が大好きで読んで来ました。

特に、森本哲郎さんの「万里の道、万巻の書」の言葉が好きです。

たくさんの旅をして、多くの国を巡ることは、多くの書籍を読むことに匹敵する。

また、多くの書籍を読むことは、たくさんの旅をするようなもの。

だから。読書は素晴らし知識の宝庫であることを教えて呉れました。

新聞記者として、多くの国へ出掛け、たくさんの取材を通して、物事の本質を伝えて呉れた人なのです。

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フランスは、家庭でも学校でもコース料理

フランス人は自宅でも、コース料理。

フランスと言えば、フレンチのコース料理です。

フランス人は自宅でも、コース料理を食べているようです。前菜、メイン料理などを、一品づつ出して食べているんです。

さすがに、レストランのような、品数にはならないらしいんですが、それでも、れっきとしたフレンチです。

一品づつ、ワインを飲みながら食べる、これが正に、フランスなんでしょう。

スーパーマーケットで売っているコース料理。

フランスのスーパーマーケットには、フレンチ用の冷凍食品もあるようで、

それを温めることで、一品づつのフレンチを楽むことが出来るようになっているようです。

そして、フレンチに合うのがワインです。フランスにはワインの本場があります。

三大産地と言えば、アルザス地方、ボルドー地方、そして、ブルゴーニュ地方です。

ワインは正に、フレンチの発達と共に、美味しさを増して行ったのでしょう。

日本食では、ご飯を中心に、一汁一菜や、一汁三菜などで、長年に亘って、食事をして来ました。

だから食が、文化に与える影響は、やはり凄いんですね。

更に驚いたのは、学校での給食も、コース料理なんです。

品数は少ないけれと、給食もフレンチなんですね。子供の頃からしっかり、フランス人なんです。

オーシャンゼリゼ!

「♪オーシャンゼリゼ」や「アイドルを探せ」

♪オーシャンゼリゼは、CMのバックミュージックとして、今でも、良く掛かる曲で、馴染み深く頭に残るメロディーです。

フランス語で歌う、シルビーバルタンの「アイドルを探せ」は、あの頃の、フランスそのものでした。