川村元気さんは、映画プロデューサーとして「電車男」「告白」「悪人」「モテキ」などを手掛けて来ました。
2010年に米芸能専門誌ハリウッド・レポーターで「Next Generation Asia 2010」に選出され、
翌年、優れた映画製作者に贈られる「藤木賞」を史上最年少で受賞しました。
2012年には初小説『世界から猫が消えたなら』を出版してベストセラーとなり、その後も、
細田守監督の「バケモノの子」や新海誠監督の「君の名は」と言った長編アニメーション映画をプロデュースをしています。
川村元気さんの『四月になれば彼女は』
四月、精神科医の藤代のもとに、1通の手紙が届きます。差出人は、初めて付き合った彼女のハルでした。
その冒頭は、
「九年ぶりです。伝えたいことがあって、手紙を書いています。」
の一文から始まります。
「いまわたしは、ボリビアのウユニにいます。
真っ白な塩の湖のほとりにある街。標高は3,700メートル。空気はうすいけれども澄んでいて、水色の空にはぷっくりと膨らんだ雲が浮かんでいます。」
ウユニ塩湖にあるホテルで書かれたその手紙には、二人が付き合っていた頃の思い出が、綴られていました。
ハルとの出会いは、大学の写真部に、彼女が入部して来たことがきっかけでした。
大学生の頃のハルは、
「わたしは雨の匂いとか、街の熱気とか、悲しい音楽とか、嬉しそうな声とか、誰かを好きな気持ちとか、そういうものを撮りたい」
と言っていたのです。
一方で、同棲中の獣医師の弥生との、結婚を控えた藤代は、弥生を愛しているのかが、わからないでいたのですが、
結婚式は1年後の4月と決めていました。
そんな中で、昔の彼女だったハルからの手紙は、ハルと藤代と弥生、そして、現在と過去が交錯し始めたのです。
ハルはなぜ、九年ぶりに手紙を送ってきたのか…。
何をしたいのか…。物語は展開していきます。
そして、何より気になるのが、題名の『四月になれば彼女は』です。
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サイモン&ガーファンクルの名曲
この小説と同名の、サイモン&ガーファンクルの名曲「四月になれば彼女は」が、この小説に登場するシーンが出て来ます。
それは、藤代たちよりも8年先輩の大島が、時折、写真部の部室に遣って来ていて、
写真部の夏合宿にも大島が参加し、海辺の小さなおんぼろ旅館に行った時のことでした。
大島が一人で浜辺に座り、ウクレレを弾きながら歌っていたのが、
サイモン&ガーファンクルの「四月になれば彼女は」だったのです。
セントラルパーク・コンサート [ サイモン&ガーファンクル ]
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歌詞に込められた意味とは?
サイモン&ガーファンクルの「四月になれば彼女は」の歌詞には、「April come she will」の言葉があります。
強調の意味もあるようですが、
四月がやって来る彼女と言う言葉が、未来に対する予測となり、すべての始まりを、表しているそうなのです。
なのでサイモン&ガーファンクルの「四月になれば彼女は」の邦題は、
このイメージを伝える名訳で、春四月は長い冬が終り、明るい希望の季節の始まりを表しています。
そして四月から八月までが、「恋愛」の様子を象徴的に描いて、九月で結んでいます。
「September I’ll remember.」は「九月になると思い出すだろう」というよりも、
「九月そのものが思い出す時そのもの」という表現なのだそうです。
アメリカでは、学年の区切りが9月に始まり、8月に終わるので、8月に学生時代の恋が終る、感傷の季節でもあるようです。
季節の移り変わりと、恋愛のイメージを織り込んだ、ポール・サイモンのメロディと歌詞が素晴らしく、
アート・ガーファンクルの、美しく澄んだ歌声が、とてもこの歌に合っています。
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主人公が観ていた映画。
それは藤代と弥生が出会い、
藤代の部屋で毎週土曜日、駅前のレンタルビデオ屋で、映画を3本借りては、狭いソファで二人並んで観た映画の数々でした。
その映画はこんな恋愛ものでした。
「街の灯」「勝手にしやがれ」「マイ・フェア・レディ」「マンハッタン」「ポンヌフの恋人」「シザーハンズ」
「「恋人たちの予感」「トーク・トゥ・ハー」「「天使の涙」「あの頃ペニー・レインと」「オアシス」「バッファロー”66」
現在の恋人弥生と付き合う中で、以前の彼女ハルからの手紙は、主人公に微妙な感情の変化をさせて行きます。
ハルからの手紙は、ウユニ湖、プラハ、アイスランドから、藤代の元へ届いていたのですが、
最後のアイスランドからの手紙は、藤代が読む前に、弥生が先に手紙を読んでしまったのでした。
そこには、ウユニの天空の鏡、プラハの大きな時計、アイスランドの黒い砂の海を旅して来たこと。
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インドのカニャークマリの朝日。
インドのカニャークマリで、以前藤代と見ることが出来なかった、朝日を見たいと記されていました。
その地は、インド洋とアラビア海とベンガル湾の、三つの海が交錯する聖地で、インド大陸の最南端でした。
そして、弥生はその手紙を読んだことで、藤代の前から姿を消したのです。
藤代はインドのカニャークマリへ向かいます。夜明け前にカニャークマリに着き、朝日が見たかったのです。
四月の朝日のなかで、果たして弥生に出会えるのでしょうか。
四月にハルと大学の写真部で出会い。それから時が巡り、多くの葛藤があった中で、
四月に藤代は、インドの最南端のカニャークマリにいたのです。
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「川村元気『四月になれば彼女は』とサイモン&ガーファンクルの関係性」への1件のフィードバック
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