永禄8年、京で将軍が襲撃を受け、将軍・足利義輝が二条御殿で討ち死にされてしまいます。いわゆる「永禄の変」と、呼ばれているものでした。
「この世に麒麟が舞い降りる、穏やかな世を作れる者だけが連れて来られると言う、麒麟がくる道は遠いのう」と言っていた、将軍・足利義輝が30年の生涯を閉じたのです。
三好一派のクーデター。
義輝の弟覚慶の擁立派と、いとこを傀儡とする三好派の対立。
この襲撃は三好長慶と松永久秀(吉田鋼太郎さん)の子らによるクーデターによるものだったのです。
将軍・足利義輝が殺害されると、ぽっかり空いた将軍の座をめぐり、京では、義輝の弟の一条院覚慶(滝藤賢一さん)擁立派の細川藤孝ら幕府奉公衆と、
四国にいる、いとこの義栄を傀儡の将軍にと、画策する三好一派との間で対立が大きくなり、権力争いが起こって行ったのです。
松永久秀と藤孝(眞島秀和さん)は、三好の軍勢から命を狙われる覚慶を、大和から脱出させ、身を隠す手助けをします。
覚慶に将軍の覚悟があるのか。
松永久秀が覚慶の気持ちを打診。
そして、松永久秀が覚慶が、将軍になる気持ちがあるかと聞いたのです。それに対して覚慶は、
「6歳で出家し、武道などやったこともなく、武家の棟梁など務まるものではない」と答えます。
すると、松永久秀が「このまま、ここで座して、死をお待ちになされますか」と、尋ねると。
「死にとうはない。私は悟りにはほど遠い、死にとうない」と言う本心を聞き出し、
細川藤孝らと示しあわせて、覚慶を幽閉先から逃がして、甲賀の和田惟政の館で、匿わせる事に成功したのでした。
明智光秀が松永久秀を糾弾。
一方、義輝の死を知った光秀は、越前から急遽、京に向かい、多聞山城で松永久秀に詰め寄り、激しく糾弾します。
「何ゆえ、将軍をお打ちになった」
「息子たちがしでかした事、私も責めを負わねばならない」「わしが憎いか」
「憎い」
それを聞いた久秀は、火縄銃の導火線に火をつけ、その銃口を自分の額に押し付け、引き金を光秀に渡し、
「これでわしを打て、弾は込めてある」
光秀は大声で「ワァ~~!」と発し、銃口を額から外し、外へ向け一発、発射したのでした。
「十兵衛、このまま、将軍がいなくなれば、幕府は滅びるぞ、覚慶が世俗に戻られるのであれば、次の将軍に一番近い」
朝倉義景の思惑。
松永久秀は、朝倉義景(ユースケ・サンタマリアさん)から届いた文を、光秀に見せます。
そこには、朝倉家は覚慶が将軍の器であれば、かくまう覚悟がある、それを光秀に確かめてくるように、と書いてあったのです。
気が乗らない光秀に松永久秀は、「このまま越前で、世が変わるのを座して待つのか」とハッパを掛けます。
将軍の器。
甲賀の和田惟政の館で、履き物も履かずに外へ飛び出していた覚慶と、初めて出会った光秀は、覚慶から自分に将軍が務まるかと尋ねられました。
「その大任、この私に務まると思うのか。死にとうない、その一心で大和を出て来た。私は戦が好きでない。死ぬのが怖い。私は兄とは違うのじゃ」
死ぬのが怖く、戦も好きではないと話す覚慶に、光秀は、一言も答えずに、館へ帰って行く覚慶を見送りました。
越前の一乗谷に帰った光秀は、朝倉義景から、
「でっ、覚慶さまに会ったか?」「この越前へお迎えしても良いと考えている。どうだ!」
と、次の将軍として越前に迎えるつもりだと告げられます。
その判断を、光秀の感じた目で決めると、義景から言われた光秀は、亡き義輝とは、まるで器が違うと感じた事から、
「次なる将軍の大任、あのお方はいかがとは存じます」
と否定し、義景に覚慶を見極めた答えを明かすのでした。
「『麒麟がくる』第24話ネタバレあらすじセリフ名言。将軍の器」への2件のフィードバック
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