『老人と海』の舞台は、キューバのコヒマルです。
この土地に住む漁師のサンチャゴ老人は、84日間も不漁が続いていました。
今日こそは、大きな獲物を釣っててみせると、早朝の海に漕ぎ出しました。そして、巨大なカジキと遭遇し、戦いを挑むのです。
ヘミングウェイの短編作品
『老人と海』は、1952年に出版されたヘミングウェイの短編作品です。自然と戦う人間の姿を描いた物語で、
この作品がきっかけで、ヘミングウェイは、ノーベル文学賞を受賞したと言われています。
そして、現在でも、読書感想文の課題になる程の傑作です。
この『老人と海』は読者からの人気が高く、新潮文庫の発行部数ベスト5では、
1位。夏目漱石『こころ』 2位。太宰治『人間失格』 3位。アーネスト・ヘミングウェイ『老人と海』 4位。夏目漱石『坊ちゃん』
5位。アルベール・カミュ『異邦人』 となっていて、外国小説では、最も人気が高い作品なのです。
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ヘミングウェイ『老人と海』冒頭。
「かれは年をとっていた。メキシコ湾流に小舟を浮べ、ひとりで魚をとって日をおくっていたが、一匹も釣れない日が八十四日もつづいた。
はじめの四十日はひとりの少年がついていた。
しかし一匹も釣れない日が四十日もつづくと、少年の両親は、もう老人がすっかりサラオになってしまったのだといった。
サラオとはスペイン語で最悪の事態を意味することばだ。」
『老人と海』の主人公は、サンチャゴという老人です。
かつては腕のいい漁師でしたが、84日間も不漁が続き、漁師仲間からは、馬鹿にされています。
もう一人の登場人物は、マノーリンという少年です。マノーリンは以前は、サンチャゴと一緒に漁をしていましたが、
がサンチャゴが不漁続きになったので、両親から別の舟に行くように命じられました。
マノーリンは現在では、別の舟に乗っていますが、食事の差し入れなどをして、サンチャゴを気づかっていたのす。
一人で漁に出たサンチャゴは、大きさが18フィート(約5.5メートル)もあるカジキと出会いました。
仕留めたカジキは釣り糸につながり、舟を引っぱっていきます。
なんとしても、カジキを仕留めたいサンチャゴは、3日間の死闘をくり広げるのです。
舟には食料がなく、肝油や釣り上げた小魚の刺身を食べながら、
老人はカジキと戦い、最後にはカジキを釣ることが出来ましたが、
港に帰る途中、カジキはある出来事によって、見るも無残な姿になってしまいます。
骨だけになったカジキを連れて、彼は帰ってきました。そして、サンチャゴは小屋に帰って、眠りにつくのでした。
翌朝、マノーリンは老人の小屋へ行くと、老人はまだ眠っていました。マノーリンは老人を見ると、泣き出したのです。
マノーリンは老人のためにコーヒーを買いに行くと、店主は「大したしろもんだな」と言い、
老人が海で何をして来たのか、その漁村の漁師たちは、骨と化したカジキの無残な姿を見て、尊敬の念を抱いたのです。
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「サラオ」の言葉がキーワード。
『老人と海』では、サラオと言う言葉が、キーワードとして出て来ます。
一匹も釣れない日が四十日もつづくと、少年の両親は、もう老人がすっかりサラオになってしまったのだと、言ったのです。
サラオとは、すっかり運に見放されたと言うことで、
あの老人はもう完全に「サラオ」なんだよと、両親は少年マノーリンに語ります。
サラオとはスペイン語で、最悪の事態を意味する言葉です。
少年は両親のいいつけに従い、別の舟に乗りこんで漁に出掛け、最初の一週間で、みごとな魚を、三匹も釣り上げたのでした。
なんとも、皮肉な筋書です。
日はまた昇る (新潮文庫) [ アーネスト・ヘミングウェイ ]
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ヘミングウェイは何を言いたかったのか。
『老人と海』で、アーネスト・ヘミングウェイは、何を言いいたかったのでしょう。
サンチャゴ老人は、84日間もの不漁の中にいて、漁師たちからも笑いものになっています。
サンチャゴは失意の中にいて、心の支えはマノーリンだけです。
マノーリン少年はサンチャゴの舟に乗っていた時期もあり、老人を慕っていますが、
その後、少年は別の船で獲物を釣りあげて、漁師としての腕を上げていきます。
サンチャゴにとって、マノーリン少年は希望といえる存在です。
そして、カジキとの出会いは、サンチャゴが漁師としての名誉を取り戻すチャンスでした。
しかし、捕まえたカジキは、港に戻る途中で失ってしまいます。
それは人生の残酷さを、象徴しているかのようです。
何も手に入れられなかったサンチャゴは、疲れ果てて眠りにつきます。
しかし、マノーリン少年は、サンチャゴから教えて貰った技術や経験を活かして、漁師として成長してゆくのです。
サンチャゴ老人は、全てを失ってしまいましたが、少年に技術と希望を伝えることが出来たのです。
サンチャゴは、大物カジキを釣った喜びも束の間、獲物は見るも無残な姿になってしまいます。
その様子が描かれている中で印象的なのは「あの子がいたらなあ」というサンチャゴの独り言です。
「あの子」とは、つまりマノーリン少年のことです。
この文章の中に、サンチャゴの「孤独感」が、痛いほど伝わって来ます。
それは、今まで傍らにいた、マノーリンがいない哀しみでした。
マノーリンは翌朝、老人を心配して尋ねます。そして、眠っている老人を見て、涙がとまりませんでした。
その骨と化したカジキの残骸は、老人がどんな死闘を繰り広げて来たかを語っていて、
あんなに馬鹿にしていた漁師たちが、老人に対して尊敬の念を抱くように、変わっていたのです。
そして、この小説のラストシーンは、アメリカからの観光客の一団が彼らの漁村へやって来ました。
すると一人の女性が、骨と化したカジキを見つけ「あれは何?」と尋ねます。
その訳を説明しようとしましたが、もう彼女はそんな事に興味がないような、素振りだったのです。
この小説の舞台は、カリブ海のキューバ、
アメリカの属国だったキューバと、大量消費国のアメリカの関係を、ヘミングウェイは描きたかったのでしょうか。
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「ヘミングウェイ『老人と海』サラオ最悪の事態を意味する言葉」への3件のフィードバック
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