ブレイディみかこさんの『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』は、
2019年の「本屋大賞ノンフィクション本大賞」「毎日出版文化賞特別賞」「八重洲本大賞」「ブグログ大賞エッセイ・ノンフィクション部門」の、4つの賞を受賞しました。
『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』は、
イギリスに住む著者の息子さんが、中学生になった日常を、母親目線で綴った本で、多くの反響を呼んでいます。
この著書で、ブレイディみかこさんは、何を伝えようとしたのでしょうか。
著者のブレイディみかこさん。
著者のブレイディみかこさんは、1965年に福岡で生まれ、高校卒業後、アルバイトと渡英を繰り返し、
1996年から、イギリスの南端のブライトンに在住し、
ロンドンの日系企業で数年勤務した後、イギリスで保育士の資格を取得し、働きながらライター活動をしています。
2019年に『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』を刊行すると、話題となり、
『世界一受けたい授業』にも、緊急来日して出演して、大きな反響を呼んだのです。
ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー 2 [ ブレイディ みかこ ]
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ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー2続編の考察
底辺中学校通学を選んだ息子さん。
思春期の子供たちが現実にぶち当たる。
ロンドンの南、ブライトンという海辺の町で、息子さんが通う公立中学校では、貧しい白人の子どもが多く、
少し前までは、学力的に底辺中学校と呼ばれていたところでした。
それが、音楽とか演劇とか、生徒がやりたいことを、のびのびやらせるユニークな教育改革を進めることで、
生徒たちの素行も改善され、学力も上がってきたと言います。
とはいえ、トラブルは日常茶飯事で、日々こんなにぶち当たっているのです。
その根本には、移民問題や貧困問題が背景にあるのでした。
ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー The Real British Secondary School Days/ブレイディみかこ |
ブレイディみかこさんが多様性を語る。
こんな環境を、ブレイディみかこさんは、インタビューで答えています。
「人種・民族にジェンダーといった軸と、階級という軸とが複雑に交差して。移民でもお金をためて一定レベルの生活をしている人もいれば、貧しく取り残された白人も多い。
いろんなレイヤー(層)があって、互いに意識し、時に差別しあう。「多様性はややこしい、衝突が絶えないし、ない方が楽だ」って書きましたけどね。」
多様性は楽じゃないと伝えたブレイディみかこさんに、息子さんが「楽じゃないものがどうしていいの?」と尋ねると、
「楽ばっかりしてると、無知になるから」と答える場面がとても印象的です。
そんな学校で起きる出来事を織り交ぜながら、思春期の息子さんとの生活の日々を描いているのです。
イギリスは今、大きな波の中で揺れています。
EU離脱でもめていて、社会的にも分断が進んでいると言われています。
人種的にもすごく多様で、階級的にも、今は貧富の差がすごく開いていたりしていて、
そういう難しいところで人々は、生活しているようなのです。
そんな環境下、大人たちは、うまく立ち回ろうといろいろ考えて失敗しているところを、
子どもは生身のまま学校とかでぶつかり会って、その中で、大人はしないような、すごい鮮やかな飛び越え方をしていると言います。
誰かの靴を履いてみること。
エンパシーの回答が、誰かの靴を履いてみることだった。
その一つの象徴が「誰かの靴を履いてみること」だったのです。
この「誰かの靴を履いてみること」は、この作品の中でこんな場面で出て来ます。
「試験って、どんな問題が出るの?」と息子に聞いてみると、彼は答えた。
「めっちゃ簡単。期末試験の最初の問題が『エンパシーとは何か』だった。
で、次が『子供の権利を三つ挙げよ』っていうやつ。全部そんな感じで楽勝だったから、余裕で満点とれたもん」得意そうに言っている。
息子の脇で、配偶者が言った。「ええっ。いきなり『エンパシーとは何か』と言われても、俺はわからねぇぞ。
それ、めっちゃディープっていうか、難しくね?で、お前、何て書いたんだ?」
「自分で誰かの靴を履いてみること、って書いた」
「エンパシー」日本語にすると、”共感 ”と言うことでしょうか。
【関連】
他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ [ ブレイディ みかこ ]
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誰かの靴を履くに、みかこさんが答える。
ブレイディみかこさんは、インタビューで答えています。
「私もそれをずっと考えているんですよ。履きたくない、臭い靴とかもあるじゃないですか。
絶対嫌な靴とかもあるから、それでも履いて歩くことまではしなくていいけど、
とりあえず履いて「どうなんだろう?」と想像してみるのは、ひと頑張りがいりますよね。
そのひと頑張りをさせる力は、なんなんだろうねという、それはこれから考えていく宿題ですね。
私自身が、そういうことについて書いてみようと今、思っています。」
「エンパシーは自分と違う理念や信念をもつ人のことを想像してみる、主体的な力のことです。
息子は、EU離脱などで分断が進む今の社会で、その力が大切になると教わったらしいです。」
2010年から政府が進めてきた緊縮財政によって、貧困層にしわ寄せが強まり、社会の分断が進みました。
そして、EU離脱をめぐり紛糾する今は、その混迷から抜け出せない状況に陥っている中で、子どもたちはたくましく日々を過ごし、
ぶつかりあい、迷い、考えながら、思いがけない方法で、突破していっているのでした。
こんなことがありました。
貧乏な友達に制服を渡すこと。
同情されたと思われたくない少年の心。
息子さんは、貧しいく、いつもボロボロの制服を着ている、同級生の友達に制服をあげたいと思います。しかし、切り出し方が難しいのです。
どう言えば相手が傷つかないか、考えを巡らせたんですが、なかなか考えつきません。
すると、息子さんは、著者の母親に構わず、友だちに制服を渡してしまいました。
「どうして僕にくれるの?」
案の定というべきか、大きな緑色の目で見つめながらそう聞く彼に、息子さんは言いました。
「君は僕の友だちだからだよ」
イギリスの格差社会。
この『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』の根底に流れているものが、イギリスという国の格差の問題です。
これについても、ブレイディみかこさんは、インタビューで答えています。
「格差ってどこの国にもありますが、本当にイギリスはピンとキリがすごいなというか。
それが貧しい、貧しくないの経済的格差だけではなくて、
教育格差というか、イギリスには本当に算数の二ケタの計算ができない大人がこんなにたくさんいたのかなとか、
成人向けの算数教室の教員のアシスタントをしたことがあって、そのときにそう思いました。
格差とか階級というのは、イギリスには歴然と存在しているなというのを、すごく感じたんですね。」
こんなイギリスの今を、学校を通して、日本人に伝えて呉れていたのです。
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