お金とは不思議なもの。
お金については、先人たちが多くの名言・格言を残しています。
いつの時代も、お金は人生にとって、切っても切り離せないものなのでしょう。
お金とは不思議なものです。それが、人を幸せにもするし、犯罪者にもします。
幸せな人生を歩むために、先人の知識を借りて見るのも良いものです。
シェークスピアは、かく語り。
ウイリアム・シェークスピア。
ウイリアム・シェークスピアは、16世紀~17世紀を代表する、イングランドの劇作家で、詩人です。
彼の四大悲劇「ハムレット」「マクベス」「オセロ」「リア王」は、今から400年前に書かれたものですが、
今でも人の心を打つ名作です。
その他に「ロミオとジュリエット」「ヴェニスの商人」「夏の夜の夢」「ジュリアス・シーザー」など多くの傑作を残しています。
シェークスピアを日本の漢字表記で表すと「沙吉比亜」となるようです。何だか別人のようです。
シェークスピアの生い立ち。
シェークスピアは、イングランドのストラトフォードの、自然豊かな土地で生まれたようです。
父親は、皮手袋商人で成功したようで、市会議員でもあったようです。
そんなシェークスピアは、ロンドンに進出し、演劇の世界に身を置くようになり、
俳優で活動する傍ら、脚本も書くようになって行き、劇作家の道を歩むことになったのです。
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シェークスピアの邦題名が、こじゃれている。
それにしても、シェークスピアの作品の日本語題名が、こじゃれていると思いませんか。
例えば、「じゃじゃ馬ならし/Taming of the Shrew」1593年-1594年、
「空騒ぎ/Much Ado About Nothing」1598-1599、
「お気に召すまま/As You Like it」1599年、などですが、昔から、何て粋な邦題の付け方と、感心していました。
シェークスピアの名言。
そんな、シェークスピアの名言があります。
「金は借りてもならず、貸してもならない。貸せば金を失うし、友も失う。借りれば節約が馬鹿らしくなる。」
いつの時代でも、お金と人生、生活は切り離せません。
劇作家になって、成功したシェークスピアの元へは、お金の無心に来る者もいたのでしょう。
そんな、思いを込めて放った言葉のように思えてなりません。
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貸すか、貸さないか、大きな決断。
私の経験した、お金の問題。
私も、同じような経験をして、今でも、迷っている事があります。
学生時代からの彼とは親友で、何かと気が合う仲間でした。
社会人になってからも時間を作って、お酒の席で会い、将来のことを話し合う仲だったのです。
そんな、彼がお金のことで困っていると言う噂が、私の耳に届くようになった頃、
突然、私の仕事場に、彼から電話が掛かって来ました。
私は、彼の近況を聞こうとしたのですが、上手くはぐらかされてしまいました。
親友にお金を貸せるのか?
お金を貸せるのか。
「頼むから、何も聞かないで30万円貸して呉れ」、
私が躊躇していると「20万円でもいい、頼むから貸して呉れ」と受話器の向こうで言うのです。
私は突然の事と、20万円といえば当時の私の手取給与分であり、
更に、人にはお金を貸してはいけないと言う親の言葉が、頭の中を駆け巡り、
「申し訳ないけど、そんなに、融通出来るお金は無いよ」と言ってしまったのです。
すると、彼は「ごめんね。」と言って、電話が切れてしまったのでした。その間、1分程度だったかもしれません。
そして彼は、私の前から姿を消してしまったのです。
あれから、数十年が経ちますが、今でも、あの時、お金を貸せば良かったのか、
それとも、これで良かったのかと、悩み続けています。
20万円は無理でも、「10万円をあげるよ」と何故言わなかったのかと、悔やみと言うか、悩み続けることになってしまいました。
そして、あれから、彼がどうしているかも分からないのです。
あんなに、何でも話し合えた仲だったのに、お金のことで、永遠に会えなくなってしまいました。
当時の仲間たちに聞いても分かりません。
たまに、彼はどうしているかな、元気でいるかなと思い出します。そして、私は悩み続けているのです。
『相棒』杉下右京のシェークスピア談義。
話は飛びますが、『相棒Season19』第6話で、杉下右京がシェークスピアの『お気に召すまま』を解説していたのです。
【関連】
高利貸しのシャイロック。
『ヴェニスの商人』。
シェークスピアの作品のなかに、お金の貸し借りの話があります。『ヴェニスの商人』です。
アントーニオは、高利貸しのシャイロックに資金を頼みます。
シャイロックは、借金の担保に、アントーニオの胸の肉1ポンドを要求することを条件に、契約書にサインを求めたのです。
そんな、借金を巡る騒動を描いたこの作品は、
ヴェニスの裁判所へ舞台を移し、借金の返済が出来ないアントーニオに対して、シャイロックは心臓の1ポンドを要求するのです。
そこで、「血は1滴も流してはならず」との、判決が出るのでした。
シェークスピアの戯曲。
『ロミオとジュリエット』。
シェークスピアの作品の中で、一番有名な戯曲は、『ロミオとジュリエット』でしょう。
何度も映画化され、テレビでも放映され、何度も目にしています。
『ロミオとジュリエット』の舞台となったのは、イタリア北部の町「ヴェローナ」です。
ヴェローナで対立する名家、キャピュレット家と、モンタギュー家に生まれた二人の、困難に満ちた恋を描いた悲劇です。
シェークスピアと言えば、多くの悲劇が有名ですが、『ロミオとジュリエット』も悲劇的結末を迎えます。
『ロミオとジュリエット』の初演は1595年前後、舞台は14世紀のヴェローナ。
ジュリエットの部屋のバルコニー。
ヴェローナにある、カプレーティ家の娘、イタリア語読みだと、ジュリエッタの家だそうで、
そこには、あの有名なバルコニーがあるそうですが、
それは観光客の要望に応えて、後から取り付けられたものです。
やはり、ジュリエットの部屋にはバルコニーが付いていないと、観光客も納得しなかったんでしょう。
『ロミオとジュリエット』の影響を受けて「ウエストサイド物語」が誕生しました。
映画では1968年公開の「ロミオとジュリエット」では、オリビア・ハッセーの透明感は、世界中を魅了しました。
1996年の「ロミオ+ジュリエット」のレオナルドディカプリオは素晴らしかった。
シーザーの「ルビコン川を渡る」。
ルビコン川を渡るの由来は何?
シェークスピアの傑作に「ジュリアス・シーザー」があります。そのシーザーの有名な言葉に、
「ルビコン川を渡る」と言うフレーズがありますが、
これは、後戻りのできないような、重大な決断や行動をすることの、喩えを言います。
これは死を覚悟して渡ると言う、「後には引けない」くらいの「重大な決断・行動」だと言うことのようです。
この言葉の由来や意味は、古代ローマ時代のカエサル(シーザー)が、このルビコン川を渡る時の背景に起源があります。
ルビコン川の場所は、一説によるとイタリア北部にある「ルビコーネ川」ではないかと言われ、フィレンツェの東側に位置しています。
古代ローマ時代、ルビコン川は、本土と属州の境界線となる川でした。
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しかし、ローマ帝国は、武装した状態で、
ルビコン川の境界線を超えて、ローマ帝国本土に立ち入ることを、法律で禁じていて、極刑に値する罪だったのです。
カエサルは属州の総督を務めていましたが、政敵であったポンペイウスの策略によって、
総督の座を解任されて、ローマ帝国本土に戻るように、命令されます。
その時にカエサルは、法律を犯して武装した状態で、ルビコン川を渡りました。
川を渡る時に、カエサルが発したとされる有名な言葉が、「賽は投げられた(The die is cast)」です。
カエサル(シーザー)にとって、武装した状態でルビコン川を渡ってしまうと、
ローマ帝国を奪取するか、ポンペイウスに負けるかしかないという状態だったのです。
こうした時代背景をバックに、「ルビコン川を渡る」という表現が、現代でも使われています。
この、元の場所に戻ることが出来ないというカエサルの決意が、まわりを巻き込む大きな流れを起こし、
結果的にカエサルはポンペイウスを破って、ローマ帝国における権力を、掌握することに成功したのです。
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「【お金の名言】シェークスピア曰く、お金は借りるな貸すな。」への9件のフィードバック
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