「小説の神様」と言われている作家が志賀直哉です。
志賀直哉の執筆した『城の崎にて』は、
兵庫県豊岡市の城崎の温泉街での、療養生活をに描き上げた「白樺派」の傑作だと言われてます。
志賀直哉『城の崎にて』
「山の手線の電車に跳ね飛ばされて怪我をした、其後養生に、一人で但馬の城崎温泉へ出掛けた。」
九死に一生を得るも、背中の傷が脊椎カリエスになれば致命傷になりかねないと、医者に言われ、
感染症の予防にために、城崎温泉に主人公は向かったのです。
この冒頭は、志賀直哉自身が電車事故にあったのが事実だそうで、まさしく、この主人公は志賀直哉だったのです。
そして主人公は思うのでした。
「自分はよく怪我の事を考えた。一つ間違えば、今頃は青山の土の下に仰向けになって寝ている所だったなど思う。」
そして、主人公は自分が助かったのは何故なのかと考えます。
「自分は死ぬ筈だったのを助かった、何かが自分を殺さなかった、自分には仕なければならぬ仕事があるのだ、――中学で習ったロード・クライヴという本に、クライヴがそう思う事によって激励される事が書いてあった。」
この文章に登場する『ロード・クライブ』と言う本は、発行が大正7年で、
そこには、クライブが2度ピストル自殺を図ったが、弾が発射しなかったことから、
「余が生や、正に何事か大事をなさんがために取り止められたりと。」という部分があり、これがこの箇所だと思われているそうです。
小僧の神様・城の崎にて (新潮文庫 新潮文庫) [ 志賀直哉 ]
|
三つの死に遭遇。
主人公が逗留した旅館は、城崎温泉の「三木屋」と言う旅館で、
ここに志賀直哉自身が泊り、その後、定宿にしていた旅館だそうです。
「自分の部屋は二階で、隣のない、割に静かな座敷だった。読み書きに疲れるとよく縁の椅子に出た。脇が玄関の屋根で、それが家へ接続する所が羽目になっている。其羽目の中に蜂の巣があるらしい。」
一つ目の死。
そんなある日、一匹の蜂が旅館の屋根で死んでいるのを発見します。
しかし、仲間の蜂たちは一向に気にせず、せわしなく飛び回っていたのです。
その光景は寂しかったし、静かだったが、その静かさに主人公は親しみを感じたのです。
二つ目の死。
一つ目の死に遭遇したあと、二つ目の死に遭遇します。それはある午後、散歩をしている時でした。
旅館から程近い、街中を流れる川の中でのことでした。
「鼠には首の所に7寸ばかりの魚串が刺し貫してあった。頭の上に三寸程、咽喉の下に三寸程それが出ている。鼠は石垣へ這上がろうとする。子供が二三人、四十位の車夫が一人、それへ石を投げる。却々当らない。カチッカチッと石垣に当って跳ね返った。見物人は大声で笑った。」
鼠には首の所に、7寸ばかりの魚串が刺っている状態にも関わらず、鼠は何とか助かりたいと、必死に川岸へ泳いでいましたが、
そこに理不尽にも、石が投げつけられたいたのです。
そんな光景に主人公は、鼠の最期を見る気がせず、寂しい気持ちになるのでした。
|
三つ目の死。
そして、三つ目の死に遭遇します。
それはしばらくしたある日の夕方、温泉街から山沿いに入ったところを流れている、細い川の流れの中でした。
「向う側の斜めに水から出ている半畳敷程の石に黒い小さいものがいた。いもりだ。未だ濡れていて、それはいい色をしていた。」
そして主人公は、いもりを驚かして、水へ入れようと思ったのです。
そこで、傍の小鞠程の石を取上げ、それをいもりに向かって投げたのです。
主人公は別にいもりを狙ってはいませんでした。
狙ってもとても当らない程、投げる事の下手な主人公は、それが当る事などは全く考えなかったのですが、
石はこッといってから流れに落ちいもりに当たり、いもりは偶然にも絶命してしまうのでした。
それは可哀想と思う反面、生き物の虚しさを感じるのでした。
いもりは偶然にも死んでしまったが、自分は偶然にも生き残った。
そのことに感謝しなければならないと思っているが、実際に喜びの感情は浮かび上がって来ませんでした。
生きていることと、死んでしまったことは両極ではなく、それ程、差がないように思えていたのです。
そして三週間、主人公は城崎温泉の宿を発ったのでした。
それから三年以上経ちましたが、主人公は脊椎カリエスに成りませんでした。
それは、城崎温泉の湯治のお陰だったのかもしれません。
|
主人公は志賀直哉自身。
この私小説は、志賀直哉自身が事故にあった事実が根底にあり、この主人公はまさしく志賀直哉なのです。
そんな志賀直哉の生死へのまなざしの心情が、『城の崎にて』に描かれています。
『城の崎にて』は1917年(大正6年)、同人誌「白樺」にて発表されました。
1913年(大正2年)に志賀自身が交通事故にあって、数週間、城崎温泉に逗留した時の、私小説的な作品となっています。
|
志賀直哉の生い立ち。
志賀直哉は、1883年(明治16年)宮城県石巻で、父・志賀直温と母・銀の次男として生まれ、東京府育ちました。
明治から昭和にかけて活躍した、白樺派を代表する小説家のひとりで、「小説の神様」と称せられ、
多くの日本人作家に影響を与えた人物です。
|
「志賀直哉の私小説『城の崎にて』の衝撃的な冒頭。」への1件のフィードバック
コメントは停止中です。