『相棒Season19』第1話プレゼンス~特命係迷宮の扉を開けるの中で、『論語』の書の額が、登場したのです。
それは、夜の「こてまり」に、杉下右京と冠城亘がやって来たシーンでした。
その日も「こてまり」の来店客は、右京さんと冠城さんの2人だけだったのです。
そして、その、来客人数の少なさが話題になっていたのです。
官房長官の『論語』の書のなぞ。
その原因が、「こてまり」の店先に掲示されている「警察官立寄所」のせいで、客足がさっぱりなのか、
それとも、店内に掛かっている、内閣官房長官鶴田翁助が書いた「論語」の書のせいなのかで、論争仕切りでした。
その書は「力不足者中道而癈今女書」と、書かれていて、「力足らざる者は中道にして癈す」と、言うものだったのです。
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子曰く。
漢文では「冉求曰、非不説子之道、力不足也、子曰、力不足者、中道而癈、今女」
現代語訳では、 冉求(ぜんきゅう)が言いました。
「先生の教えを認めない訳ではありませんが、我ら凡人には難しすぎるのです。」
これに対して、孔子はこう答えられました。
「もしお前の能力が足りないというのであれば、お前はその道の半ばで力尽きるはずだ。しかしお前はまだ始めてすらいない。」
こんな難しい論語の解釈を、右京さんはすんなりと講釈していたのです。
それも、論語の一般的に有名な言葉ではない、
こんな言葉まで、知識を有しているなんて、さすが、博識の右京さんだったのです。
何故、官房長官はこの書を書いたのか。
本来なら、このようなお店には「商売繁盛」などの書が、飾られるのが一般的ですが、
内閣官房長官鶴田翁助は、「こてまり」の開店祝いとして、この書をしたため、
長年、贔屓にして来た、小手毬に、はなむけととして、寄贈したのでしょうが、
その意味合いからして、禅問答のようであり、どんな意図で、小出茉莉に贈ったのか不思議です。
しかし、その書の、最後に書かれている、鶴田翁助の署名を見れば、
多くの人は、女将は、鶴田翁助との付き合いがあることを、暗示しているようにも見えますし、
鶴田翁助の力を、見せつけているようにも見えてしまいます。
そして、鶴田翁助はなぜ、『論語』を選んだのでしょう。
『論語』とは、何なのでしょう。
『論語』とは、孔子と彼の高弟の言行を、孔子の死後に弟子達が記録した書物です。
『孟子』『大学』『中庸』と併せて、朱子学における「四書」の1つに数えられているのです。
紀元前5世紀頃、中国の思想家であり、
儒教の祖である孔子の言行を、孔子の死後に弟子たちが編纂した『論語』は、孔子自身が執筆したものではありません。
『論語』は、『孟子』『大学』『中庸』とともに儒教における「四書」のひとつに数えられていて、
官僚の登用試験である、科挙の出題科目になるなど、中国思想の根幹をなしていたのです。
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孔子が生きた時代とは。
孔子の誕生は、紀元前552年のことで、孔子の家は、けっして裕福ではなく、身分も高いわけではなかったのです。
そんな環境で育った孔子は、特別な教育を、受けたわけではないようです。
当時の中国は春秋時代で、周王朝がしだいに衰退していくなかで、250以上の諸侯が乱立し、争いが絶えませんでした。
秩序が乱れたことで、血縁による封建体制が崩壊し、
富国強兵の実現をはかる諸侯は、より有能な人材を求め、実力主義による人材登用が盛んになってゆきます。
このような時代背景のもと、「諸子百家」と呼ばれる、さまざまな思想家や学派が誕生していったのです。
孔子も、そのうちのひとりで、「仁(人間愛)」と「礼(規範)」にもとづく、理想社会の実現を提唱していたのです。
『論語』が日本にやって来た。
『論語』が日本に伝えられたのは、紀元390年の応神天皇の頃で、後に、聖徳太子や空海が学び、現代に至るまで、大きな影響を与えているのです。
日本に『論語』をもたらしたのは、5世紀頃に百済(クダラ)から渡来した、王仁(ワニ)という人物であったと言われています。
彼については『日本書紀』や『古事記』などにも、記されているそうです。
『論語』に記されている内容は、人として、生きてゆく中で、大切にするべき当たり前の事が殆どです。
その当たり前を、分かりやすい言葉で、短く表現しているということで、学識のある人々に、広く読まれるようになったそうです。
和を以て貴しと為し
このように日本人の心を掴んだ『論語』ですが、
聖徳太子が「十七条の憲法」の第一条で、「和を以て貴しと為し、忤(さから)うこと無きを宗とせよ。」を、表します。
ここにある「和を以て貴しと為し」の部分こそ、『論語』学而篇から、採用した言葉だったのです。
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大河ドラマ『麒麟がくる』
大河ドラマ『麒麟がくる』では、明智光秀が武将の素養として、『四書五経』を学んでいるシーンが出て来ました。
当時、素養として励んでいたものは、『四書五経』と言われるもので、『大学』『論語』『中庸』『孟子』の四書と、
『詩経』『書経』『礼記』『易経』『春秋』の五経で、儒教の基本書と言われているものです。
そして、この『四書五経』を、明智光秀は、わずか2年で読破したと言う逸話が出て来ており、かなりの秀才だった事が、窺われました。
このように戦国の世にあっても、武士たちは武勇を鍛える傍ら、学問も究めていたことが窺えるのです。
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江戸時代は寺子屋でも。
時代は下り、江戸時代になると、江戸幕府は、朱子学を官学として定めたため、
四書と称して尊んだ『論語』も、日本人に広く学ばれることになったのです。
江戸時代には武士だけではなく、寺子屋で庶民の子や、女の子も学問を受けたことから、
『論語』の教えは、日本人なら、誰もが知るものとなって行くのです。
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渋沢栄一の「論語と算盤」
『論語と算盤』は幕末から明治・大正・昭和を生き抜いた「渋沢栄一」の著書で、
この本は、多くの経営者や、企業の役員の方たちの「教養書」と言う位置づけになっています。
渋沢栄一は、幕末から明治・大正・昭和までを、生き抜いた起業家です。
彼は1840年、武蔵国(現在の埼玉県深谷市)の、豪商の長男として生まれ、
幼いころから「武士が学ぶ、論語をはじめとした人格形成の勉学」と「有力農家として米や蚕などの販売から商業」を学んで来ました。
25歳で一橋慶喜に仕え、28歳でパリ万国博覧会として、フランスに渡り、30歳で大隅重信に説得され、明治新政府に仕えたのです。
その後は、起業家として、470社以上の会社の設立に関わり、「日本資本主義の父」と呼ばれている人物なのです。
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資本主義の利益主義一辺倒にならずに、バランスをとることが、大切であると述べています。
人間性、人格の磨き方、リーダーとしての在り方、人との付き合い方などを、学ぶものだとしています。
そして「算盤」とは、科学技術を学んで、それを仕事に生かし、価値を生み出し、国を豊かにすることだとしています。
『論語』は「人間がよりよく生きるにはどうしたらよいか」、「より心豊かに生きる為にはどうしたらよいか」を教えて呉れています。
それは「時代が変わっても、変化しない人間と人間社会の本質」が、『論語』には、描かれているからなのです。
だから、いつの時代でも『論語』は、教養書として読み続けられて来ているのです。
大谷翔平選手も読んだ『論語と算盤』
1916年に出版した渋沢栄一の『論語と算盤』ですが、
日本ハムファイターズ時代の、大谷翔平選手が、
この本を読んで、目標設定シートを書いた事で、再び脚光を浴びる事になったのでした。
こんな要素を、全部ひっくるめて、内閣官房長官鶴田翁助は、「こてまり」の開店祝いとして、この書を、したためたのでしょうか。
そして、この書の意味が、何れ『相棒』の中で、明かされる日が来るのかを、愉しみにしています。
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