『麒麟がくる』28話ネタバレあらすじセリフ名言~新しき幕府




『麒麟がくる』第28話。新しき幕府。

永禄11年9月。ついに足利義昭は、信長と共に上洛を果たし、室町幕府、第15代将軍に就任したのです。

そして、その上洛には光秀も同行していました。

そして、明智光秀は、将軍・足利義昭の奉公衆となり、高い地位を得ていたのです。

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室町幕府15代将軍・足利義昭の誕生。




14代将軍の病死。

三好勢が推挙していた、第14代将軍足利義栄(一ノ瀬颯さん)は、摂津で病死します。

これを好機と見た、信長勢は一気に摂津になだれ込み、三好勢に打撃を与えたのです。

そして、それまで、京で実権を握っていた三好一党は京を脱したのでした。

松永久秀の処遇を巡り紛糾する織田家臣。


織田側と三淵ら奉公衆の対決。

そんな状況下で、三好勢の配下だった松永久秀(吉田鋼太郎さん)が、茶入の「つくもなす」の名器を、信長に献上するため、芥川城で登城しましたが、

信長は此度の戦で負かした、軍勢の評定をしていたのです。そして、勝者たちの評定は、果てしなく、長く続いていたのです。

先の将軍・足利義輝の暗殺に関与していた疑いのある松永(吉田鋼太郎さん)の処分を巡り、

織田側と三淵ら奉公衆の意見が割れる、事態となっていたのです。

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将軍・足利義昭の意見が通る。




「おのおの方、評定は尽くされたようだが…」

そんな中、評定の成り行きを見ていた、将軍・足利義昭が意を決し、発します。

「おのおの方、評定は尽くされたようだが…」とし、「三好勢の根城であつた芥川城は堕ちた。これも、信長殿のおかげ」と深く感謝したのです。

足利義昭は、他の大名らの協力が得られない中で、上洛に名乗りを上げてくれた信長を、自分よりも、年下にもかかわらず「兄とも父とも思っている」と、心底慕っていたのでした。

そして、京を速やかに平定するためには、色々、異論もあるだろうが、松永久秀の力も必要と説いたのです。「三淵どうじゃ」こうして、反対派の意見を沈めたのです。

「我々は、これより幕府を立て直さなければならない。あの者を呼べ」と、呼ばれた人物は摂津晴門だったのです。

「幕府の政所を任せようと思っておるのじゃ」

将軍・足利義昭は信長の意見に従い、その代わりに幕府の政務を、代々将軍に仕えてきた摂津晴門(片岡鶴太郎さん)に、任せることを認めて欲しいのでした。

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幕府政所頭人、摂津晴門のしたたかさ。




幕府を腐らせてきた張本人。

この事実に、明智光秀と藤孝(眞島秀和さん)は、幕府を腐らせてきた張本人ともいえる、摂津の再起用に、胸騒ぎを覚えるのでした。

摂津晴門は、幕府政所頭人で、義輝、義昭に至るまで、室町幕府の執務を取り仕切ってきた人物で、

摂津晴門は、幕府の存続を第一に考える保守的な人物で、信長と共に上洛した光秀と幕府のありようを巡って、ことあるごとに対立してゆくのです。

9月。京の内裏は、正式に15代将軍の地位を、足利義昭に与えたのでした。

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本圀寺の変。




将軍の御座所、六条の本圀寺が襲撃される。

それから、数か月後。永禄12年正月に、将軍の御座所、六条の本圀寺を、三好勢が襲撃したのです。

地下の隠れ部屋に避難した将軍・義昭は、「京を美しき都に、取り戻さねばならない」と、望んでいました。

2日後、織田勢の援軍がやって来て、形勢不利と見た三好方は退散します。この出来事は、俗に本圀寺の変と称される事件だったのです。

しかし、多くの兵が負傷し、その手当のために、医者の東庵と助手の駒が、本圀寺に向かうと、そこに、明智光秀がいたのです。

そして、光秀は駒と再会します。「案ずるな、わしは負けん」と発したのでした。

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織田信長の二条城築城の指示。





築城のために、石仏を砕いて混ぜろ。

この事件が起きた当時、織田信長は京にいませんでした。急遽、駆け付けた信長は、摂津晴門に、その失態を攻めまくります。

そして、この事件で2つの事を学んだと言ったのです。

1。「その方たちで、公方さまをお守りすることは出来ない」

2。「将軍にふさわしい城を、2ヵ月後の4月に完成させる」

摂津晴門は、2ヵ月で城を完成させる事など、無理だと言いましたが、信長は「やるんだ!」と叫んだのです。

これは、本圀寺では将軍を守れないと悟った信長が、二条城を築くきっかけになった事件だったのです。

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こうして、織田信長は、将軍家御座所として新たな城を作るよう命じ、自らも建設に向けての陣頭指揮を執ったのです。

2月に二条城の築城が始まると、近隣諸国から次々と、材料が運び込まれ、大工たちが集まって来たのです。

織田信長は、将軍のための城作りの材料に、石仏を砕いて混ぜろと命じていました。

そんな指示を、光秀は複雑な思いで見ていました。

すると信長は、幼い頃のエピソードを交え、笑顔で「仏のバチなどない」と、両手でと石仏の顔を叩いてみせたのです。

そこに現れた義昭は、一連のくだりを知らぬまま、子供のように信長の手を握りしめると、

もう岐阜へなど戻ってはくれるな!この手、離さぬぞ」と懇願したのです。

そして、4月には二条城が完成します。

信長は「公方さまのお名前には、不思議な力がある」と言ったのです。

そして、光秀に対して、越前の朝倉が三好と組んで、信長を攻撃する噂がある事を知っているかと問い、「朝倉を討つ!」と、発したのでした。

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名器、茶入れ「つくもなす」


引き継がれる名器の行方。

今回、注目したが事がありました。それは、松永久秀が信長の配下になる事で、信長への土産に持参した、茶入の「つくもなす」です。

これは、もともと足利義満が所持していた、足利家ゆかりの品だったのです。

それを足利義政が山名氏に譲り、やがて、松永久秀が入手したという名器です。

この名器「つくもなす」は、明治になって、三菱財閥の岩崎弥之助が手にしたと言うことで、現在は静嘉堂文庫美術館の所蔵となってるそうです。

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