『徹子の部屋』雑学王ヒラメキの天才、伊集院光さんは語る!




ヒラメキの天才、伊集院光さんは雑学王!

2020年10月30日の『徹子の部屋』へ、タレントでクイズ番組で活躍、クイズにめっぽう強い、伊集院光さんが出演されました。

クイズ番組では、豊富な知識を生かして「雑学王」と呼ばれる伊集院さんですが、その原動力は“学歴コンプレックス”だそうで、

「打倒高学歴。負けたくないという一心で挑んでいる」のだと言うのです。



原動力は学歴コンプレックス!



高校中退には世間体を感じていた。

伊集院光さんは、こんなことを言っていたのです。「勉強すればするほど、分からないことが、増えて来るんじゃないかと思うんです」

そんな事に後押しされて、クイズの勉強をしているようで、やればやるほど、クイズに強くなっているようでした。

伊集院光さんは、高校を中退したそうで、本心では、世間体があることを感じていたようです。

ファミ通と僕 1998-2000 [ 伊集院 光 ]



クイズ王のひらめきのコツ。



高学歴回答者と戦うには。

クイズ番組の映像が紹介されると、そのひらめきを目にした黒柳徹子さんが、推理のコツを聞き出します。

クイズ番組のためには、小さなことを、覚えようとしているようです。

それは、周りが東大、京大卒の人たちと、戦わなけらば成りませんので、「平場でやっても勝てない」からだそうです。

そんなことで、周りのクイズ王とは違った「雑学王」のヒラメキを、磨いているようなのです。

あるクイズ番組で、漢字を連想するクイズがあって、横棒3本から連想する漢字の出題で、「鱈」と言う漢字を、言い当てました。

それには、前段があって、ゴルフの渋野日向子さんの話題が、まずあったそうで、その時彼女が、鱈のお菓子が好きな事を連想

その前段と関係があるんじゃないかと、ひらめいたそうです。

そんな、活躍する伊集院光さんの姿を見て、中卒に人たちから、応援されることがあるそうです。

「街角で言われると、ちょっと燃えるものがあります」「俺たちの代表なんだから」と、言われることがあると、胸中を明かしたのです。

ファミ通と僕 2000-2002 [ 伊集院 光 ]


「うちのカミさん」は凄い行動的な人。




ゴミの日を覚えて!

伊集院光さんは、奥様のことを「うちのカミさん」と呼んでいます。

奥様は美佳さんと言って、元アイドルで和歌山の田舎の出身だそうですが、凄い行動的な方だそうで、結婚25年になるようです。

そんな奥様から、「クイズで優勝するよりゴミの日を覚えて」と、苦情が出るそうで、

少しでも奥様を労おうと家事を手伝っても、結果的には邪魔をすることになるようです。

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亭主元気で留守がいい!




1週間のホテル避難暮らし。

そこで「自分がいなければ妻が休まる」と、考えた伊集院さんは、苦肉の策で、1週間ホテル暮らしをした“ホテル避難”を振り返ります。

奥様からは、家で一番いいのは、「あなたが家にいないことが一番いい」と、言われているようで、

伊集院さんのご家族は奥様と、カプチーノと言う名前の、17歳のミニチュアダックスの老犬が、一匹いるそうです。

伊集院さんが、家にいる機会が増えたことで、奥様に気を使って「俺、しばらく都内のホテルに泊まるよ」と、伊集院さんは、ホテル暮らしを始めたらしいのです。

そして、1週間後に家に帰ると、奥様は生き生きとしていたそうです。

その間、1回だけ生存確認と称して、ホテルに見に来たらしいのですが、直ぐにお帰りになったようです。

そこで、伊集院さんは悟ったのです。

専業主婦は休むことが出来ないので、家族が家にいると、仕事が何倍にもなることが、分かったと言います。

奥様は田舎育ちだそうですが、とても社交性のある方だそうで、

ある時、「パソコンでベトナム語でありがとうを調べて」と、言われたそうです。

訳を聞くと、コンビニにベトナムの方がいるそうだったのです。そして、ベトナム語で話したら、とても喜ばれたらしいのです。

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奥様との出会いは。




奥様と知り合ったきっかけは、伊集院さんが腰を悪くしていた事があって、

その時に、凄く良くして呉れた事、がきっかけだったそうです。介護から入って交際に進んだと、話されていました。

芸能界入りのきっかけは楽太郎さん。




三遊亭円楽一門へ入門。

伊集院さんが、芸能界へ入ったきっかけは、17歳の時に、三遊亭円楽一門へ、入門したことがきっかけでした。それから。35年間経ったのでした。

「僕、17歳の時に、楽太郎の所へ弟子入りしたんです。最初に付き人として、付いていったのが、『徹子の部屋』だったと思うんです」それは、1984年のことでした。

その頃、落語だったら楽太郎がいいぞ、楽太郎を見ろと、言われていたそうなのです。

大御所の落語家さんだったら、芸は盗むものと言われていたものを、「楽太郎さんは大学出で、理論派だったのが、良かった」と話されていました。

その頃、伊集院さんは落語の修業をしながら、内緒で、ラジオのDJ出演もされていたようで、

古い体質の親方衆から、師匠の楽太郎さんに、教育が悪いと、批判があったそうですが、

伊集院さんの、そんな活動を理解して呉れていた、とても優しい人だそうです。

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三遊亭円楽さんの優しい言葉。




二人で、二人会やろうか!

ある時。伊集院さんのラジオ番組に出演した円楽さんは、アシスタントの若い女性から、

「伊集院さんは、もう落語やっちゃいけないんですか」と問われると、

「やりたきゃ、やっていいよ!なんなら二人で、二人会、二人でやろうか!」と、生放送で言われたと言います。

伊集院さんは、「二度とやらないつもりで出ましたから」と語りました。そんな円楽師匠の優しさを披露していました。

「いま。家で稽古をしています。30分ぐらい、でも正座が一番つらいです」

そしていま、養老孟司さんとの対談本を刊行しています。養老孟司さんとは、「世間って何だろう」「ずれって何だろう」っていう話をしているみたいです。

世間とズレちゃうのはしょうがない / 養老孟司 【本】




黒柳徹子さんへの質問。



徹子さん、52歳の時、何をしてましたか?

伊集院光さんは、現在52歳だそうで、もう52歳じゃなくて、まだ52歳を愉しみたいと話されていました。

そして、黒柳徹子さんに「52歳の時は、何をしていましたか」と、問いかけると、

黒柳徹子さんは、「ベストテン、世界ふしぎ発見!、『徹子の部屋』は40代からはじめました」とおっしゃり、

「52歳に戻れるなら、新しいお菓子を食べてみたい」と、おっしゃったのです。

やはり、黒柳徹子さんは、ただ者ではありませんでした。

猫も老人も、役立たずでけっこう NHKネコメンタリー猫も、杓子も。/養老孟司





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