元亀2年9月。
信長は延暦寺に総攻撃を掛け、壊滅に追い込んだのでした。
その中で、比叡山延暦寺の天台座主・覚恕(春風亭小朝さん)は、難を逃れ逃走します。
将軍足利義昭の信長への憤り。
残虐な比叡山焼き討ち。
この戦は、光秀の功績が大きいとした信長は、滋賀の領地を光秀に与え「それが、わしからの褒美じゃ」と発します。
京の将軍・足利義昭の元には、比叡山から多くの難民が押し寄せます。
将軍・足利義昭は医者に怪我人の手当てをさせながら、この様な、残虐な仕打ちに、憤りを隠せないでいました。
長く仏門にいた義昭にとって、幕府が戦を止められなかったことは、到底許せるものではなく、
摂津(片岡鶴太郎さん)に、激しく怒りをぶつけます。
摂津晴門の策略。
残虐極まりない、比叡山の焼き討ちを目の当たりにした、摂津晴門(片岡鶴太郎さん)は、将軍・足利義昭(滝藤賢一さん)に、
「この際はっきり、織田との関わりを断つべき」と言われ、
「公方さまに、そのご覚悟が、おわりかどうかでござりまする」と迫り、もう、信長と手を切るべきだと、進言するのでした。
さらに摂津は、大和の松永久秀(吉田鋼太郎さん)と筒井順慶(駿河太郎さん)の内戦に加わり、
筒井側に付くことで、その立場を表明すべしと迫るのでした。
両者が戦を始めた際に、幕府が筒井側に付く事で、松永の後ろ盾である、信長との対立構造を、取ろうとしていたのでした。
そして、摂津はその覚悟を、義昭に迫ります。
光秀の次女が襲われる。
そんな中、ある日、市場に出かけた光秀の次女・たまは、信長が比叡山を焼打ちしたことに、異議を唱える輩たちから、石を投げつけられ、額に怪我を負います。
光秀は、娘の治療をして呉れた、東庵(堺正章さん)の診療所を訪れます。
そこで、たまから、市場に来たことが悪かったと言われると、「悪いのは父だ、父が比叡山で戦をしたからだ。謝る。」と話すと、
たまは「父上は悪くない。戦に良い戦も、悪い戦もない」と言ったのです。
そして、光秀は、駒(門脇麦さん)から、将軍・足利義昭は、筒井に味方し、信長から離れることを決めたと聞かされます。
筒井と松永の和議工作。
この事態を回避すべく、何とかして止めなければと慌てた光秀は、堺の今井宗久の元を訪ねます。
そして、筒井と松永の和議を段取ろうと、2人を対面させるのです。
光秀は松永に、大和を諦めてもらう手立てとして、先の戦で信長から与えられた志賀の領地を譲ると話すと、
これには、松永も大いに驚きます。
信長が神仏を、あそこまで焼き滅ぼしてしまったことで、松永は、
義昭と信長の関係が、そう長くは持たないと踏んでいたのですが、それは光秀も同じことでした。
光秀自身も、あの戦のやり方には、ひどく心を痛め、苦しんでいたのです。
それでもなお、光秀が、あの戦いは、世の中を変えるためには、致し方のないことだと思っていることを、松永は言い当てます。
そして、志賀の領地を差し出すほどの、光秀の心意気に、松永は筒井との話し合いを了承し、和議は無事に成立となったのです。
帝から信長へのお言葉。
信長は、帝から、胸に届くお言葉を貰っていました。
「此度の戦は、止もう得まい」と言われ、末永い都の繁栄を願われ「大義であった。頼みにしている」と、仰せになったのです。
京 内裏では帝が、町医者・東庵と碁を打っていました。
「信長の他に、誰が覚恕を比叡山から、追い払う事が出来たであろう」
「褒めて欲しそうであったので、褒めてやった」と述べたのです。
その後、京を追われた覚恕(春風亭小朝さん)は、甲斐の国の、武田信玄(石橋凌さん)に匿われていました。
「『麒麟がくる』第34話 ネタバレセリフ名言~焼打ちの代償。」への1件のフィードバック
コメントは停止中です。