失敗はしたくないけど、失敗する。
「何でこんな事態になってしまったんだろう!、
自分の配慮が足りなかったためか」と嘆いた事はありませんか。
人生を歩んでゆく中で、そうした失敗はしたくはありませんが、
多かれ少なかれ、何らかの失敗をしない人は、いないんじゃないでしょうか。
成功した人で、失敗しない人はいない。
ピンチのプレッシャーに、押しつぶされる。
私も多くの失敗をして来ました。
自分の軽率な判断で、相手に迷惑を掛けたり、上司や同僚に、尻拭いをして貰ったこともありました。
なんであの時、上司に判断を仰がなかったんだ、
自分の勝手な思い込みで、あんな事をしてしまったんだと嘆いても、覆水盆に返らずなんです。
そして、そのピンチのプレッシャーに、押しつぶれそうになり、自信を失くしてしまったのでした。
でも、誰だって失敗をするものです。
人は失敗して、ピンチにならないと本気になって、物事を覚えられないものなのでしょうか。
ただ、その失敗を、最小限に留めるにはどうすれば良いのかを、真剣に考えて、二度と起こさないことが大事です。
失敗からは、多くのことを学ぶ筈です。そして、賢人たちは、たくさんの失敗の先に、成功の糸口を見つけているのです。
松下幸之助の失敗の言葉。
経営の神様、松下幸之助。
経営の神様と言われた、松下幸之助がこんな言葉を残しています。
「失敗の多くは、成功するまでに諦めてしまうところに、原因があるように思われる。最後の最後まで、諦めてはいけないのである。」
「失敗することを恐れるよりも、真剣でないことを恐れたい。」
この2つの言葉は、成功するために必要なものは、諦めない心。
そして、失敗を恐れて何もしないでいる事を、諫めているように思われます。
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トーマス・エジソンの名言。
確か、 トーマス・エジソンの こんな言葉があったと思います。
「失敗すればするほど、我々は成功に近づいている。」
「よくある失敗とは、成功まであと一歩というところで、そうとは知らずに、諦めてしまうことだ」
やはり、成功するためには、たくさんの失敗があって、
その失敗があったから、成功に結び付いたと、賢人たちは感じているのでしょう。
松下幸之助の名言。
松下幸之助の優しさ溢れる言葉。
「こけたら立ちなはれ」
なんと、優しく勇気を与えて呉れる言葉ではないでしょうか。
その言葉を、企業のトップが言って呉れたら、感動しない社員はいない筈です。
きっと、「君は成功するために、たくさん努力して来たんだろう。
でも、今回は失敗してしまった。
それなら、もう一度、さあ! 立ち上がって挑戦をしよう。」こんな風に言っているように思います。
私も、仕事で失敗した時、トップから「1年間黙って我慢しろ!」と言われた事がありました。
その時は、こん畜生と思いましたが、頭を冷やす時間を与えて呉れたんだと、後になってから、分かったことがありました。
パナソニックを作り上げた男。
松下幸之助の生い立ち。
松下幸之助は、1894年(明治27年)に、和歌山県で三男として生まれました。
父親が米相場で失敗して破産、その後一家は下駄屋を始めましたが、父親に商才がなく、
幸之助は、小学校を中退し、9歳で丁稚奉公に出て、多くの従事を積むのでした。
後に、奉公先を自転車店へ移し、自転車商売の原点を学ぶのでした。
路面電車の出現に衝撃、電気の未来を確信
電気事業に将来性を見出す。
明治43年に、大阪に市電が開通し、電気で走る「路面電車」に衝撃を受け、
電気事業の将来性を感じ取り、電気の世界に入り込むのでした。
その結果、16歳で大阪電灯(現、関西電力)へ入社すると、
電球の取り替えの不便さを改良する、ソケットの考案をするのでした。
そして、大正6年に、手持資金95円で独立、狭い借家を工場にして、
妻と、妻の弟(井植歳男:戦後、三洋電機を創業)などと、改良ソケット製造を始めました。
そして、松下電器が「パナソニック」になる一大家電メーカーを作り上げたのでした。
それは、諦めないで挑戦した結果だったのです。
それにしても、凄い兄弟だと思いませんか、兄弟二人が日本を代表する、巨大家電メーカーを作り上げているのです。
こんな事ってあるんですね。そして、松下幸之助が社員に言った素晴らしい言葉をも一度。
「こけたら立ちなはれ」。
「こけたら立ちなはれ」、なんて、勇気を与えて呉れる言葉だとは思いませんか。
人生心得帖/社員心得帖 (PHPビジネス新書) [ 松下幸之助 ] |
「ピンチはチャンス!松下幸之助の名言「こけたら立ちなはれ」」への5件のフィードバック
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