【人生の名言】賢人が伝える、辛いピンチは最大のチャンス  

人生のピンチとは。

「何でこんなことになってしまったんだろう」と嘆いた事はありませんか。

たぶん人生を歩んでゆく中で、そう思うことが何回かは、あるのではないでしょうか。

そして、そのピンチのプレッシャーに押しつぶれそうになって、自信を失くしてしまう事もあると思います。

松下幸之助の名言。

道をひらく [ 松下幸之助 ]

 

松下幸之助の生い立ち。

そんなピンチに立ち向かった、経営の神様と言われた、松下幸之助の言葉があります。

松下幸之助は、1894年(明治27年)に、和歌山県で三男として生まれました。

父親が米相場で失敗して破産、その後一家は下駄屋を始めましたが、父親に商才がなく、

幸之助は、小学校を中退し、9歳で丁稚奉公に出て、多くの従事を積むのでした。

後に、奉公先を自転車店へ移し、自転車商売の原点を学ぶのでした。

明治43年に、大阪に市電が開通し、電気で走る「路面電車」に衝撃を受け、電気事業の将来性を感じ取り、電気の世界に入り込みました。

16歳で大阪電灯(現、関西電力)へ入社すると、電球の取り替えの不便さを改良する、ソケットの考案をするのでした。

大正6年に、手持資金95円で独立、

狭い借家を工場にして、妻と、妻の弟(井植歳男:戦後、三洋電機を創業)などと、改良ソケット製造を始め、

それが現在の「パナソニック」に繋がっているのです。  

松下幸之助成功の金言365 [ 松下幸之助 ]

 

松下幸之助のピンチはチャンスの対策。

松下幸之助の言葉。


「ピンチから這い上がるチャンスは、ピンチになる前に考えていたことからは生まれない。苦しみに鍛えられ、それが薬となって、次の対策が生まれる。」


ピンチになっている状態から這い上がる事は、かなり大変な事だと思います。

ピンチになって、みじめな状況になっている自分を、他人に見せたくないと思う筈です。

そんな中で、ピンチになったみじめな自分を反省して、原因を究明すると、

その時、自分は何をすべきだったのかが、分かるのだと思います。

人生心得帖

 

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サラリーマンは、自分で仕事を選べない。

不得意な仕事、やりたくない仕事。

例えば、サラリーマン人生でも、一昔前のように平々凡々と過ごしてゆく事は、とても出来ない、困難な時代になっています。

自分の不得意の仕事を、しなければならない局面もあるでしょうし、更に誰もがやりたくない仕事が、どこの会社にもある筈です。

例えば、債権の回収の仕事などが、それに当たるのではないでしょうか。 そうです「取り立ての仕事」です。

営業部門は花形で、どんどん売って成績を上げますが、

その売掛金の回収が、長期間滞ってしまったら、とても営業部門だけでは解決出来ません。

そうすると、債権回収をする、会社の裏方の部署に、仕事が回って来ます。

このような仕事は時間と、労力と根気がいり、苦労も多く、時には、怖いお兄さんと、交渉をしなければならないかもしれません。

そうです、誰もがやりたくない仕事なのです。

松下幸之助夢を育てる (日経ビジネス人文庫) [ 松下幸之助 ]

 

降格や左遷は、突然やって来る。

降格や左遷の憂き目。

また、失敗はしたくないと思っていても、失敗の憂き目に会う事もあるでしょう。

例えば、仕事の失敗から、降格や、左遷をされることが無いとは言えません。

そんな状態になったら、社内の全員が、その人の失敗を知っている中で、

左遷先の職場で働くのは、想像する以上の、苦しさがある筈です。

でも、そんな境遇に置かれても、腐らず、へこたれず、自分に与えられた仕事をキチンとしているかを、

見ていて呉れる人が必ずいるものです。

きっとその時期は、自分を反省する時期でもあるし、自分を磨く時期でもあるし、気付き時期でもある筈です。

そして、そんな気付きをした人には、チャンスが必ずやって来るものです。

商売心得帖第2版 [ 松下幸之助 ]

 

諦めずに自分と向き合う事が解決への道。

諦めないで、目の前の仕事に向き合う。

 だから、諦めてはいけないのです。そして、チャンスは突然巡って来ます。

 巡って来たチャンスは、今度は絶対に逃してはいけません。「チャンスは前髪で掴め」です。

 会社はその人に二度と失敗をして欲しくないので、試しているのです。辛いでしょうが、今すべき仕事にベストを尽くすことを、誰かが見ているのです。

【関連】

サントリーウィスキー創業者の名言。「やってみなはれ」

諦めない力 フィギュアスケートから教えられたこと [ 佐藤 信夫 ]

 

本田宗一郎の名言。

本田宗一郎 夢を力に 私の履歴書 (日経ビジネス人文庫) [ 本田 宗一郎 ]

 

本田宗一郎の言葉。

 次は、ホンダの創業者、本田宗一郎の言葉です。


「人間に必要なのは困ることだ。絶体絶命に追い込まれた時に、出る力が本当の力です。」

 

本田宗一郎の生い立ち。

 本田宗一郎は、1906年(明治39年)に静岡県浜松市で生まれ、1922年(大正11年)東京本郷湯島の自動車修理工場「アート商会」へ入社し、

 その6年後に、のれん分けをしてもらい、浜松市で支店として独立、1948年に本田技研工業を設立したのです。

 本田技研工業は、最初は二輪車のバイクから始め、「スーパーカブ」が大ヒットしました。

 その後、四輪車に移行し、数々の名車を生み出し、ラリーレースにも参戦しました。それも、本田宗一郎が一代でやり遂げたのです。

 「無」から「有」を生み出す仕事は、多くの困難に直面する事でしょう。それを乗り切るために、出て来た言葉のように思えます。  

 「必要は発明の母」と言う言葉があります。人は必要に迫られないと、なかなか行動を、起こさないのかもしれません。  

小学館版 学習まんが人物館 本田宗一郎 [ 竹内 均 ]

 

仕事とは困りごとや役立つ事への挑戦。

困りごとを解決する。

 仕事とは「困ること」を解決するために、知恵を絞ったり、努力を重ねたりするものじゃないでしょうか。

 困ったことが生まれないのは、きっと、大事なものから、目をそむけているのではないかと思います。

 こんな体験がありました。私の先輩が転勤になり、送別会で挨拶した時のことです。

 その先輩はこう挨拶しました。「私はこの部署に5年在籍しました。その間、何事もなく無事に、務め上げることが出来ました。」

本田宗一郎「逆境」を生き抜く力 [ 梶原一明 ]

 

 それを聞いていた、普段は温厚なその部署の上司が、「何事も無くと言うことは、君は、この部署の問題点や、新しい試みを何もしなかったことになる。

 お客さまからの要望や、苦情に真剣に取り組んで来たなら、何事も無くなんて言葉は、吐ける筈がない。」 こう言って激怒したのでした。

 困ったことがあって、初めて、人はどうにかしなければと、真剣に物事と、対峙出来るのではないでしょうか。

 だから、本田宗一郎のこの言葉は、その時の情景を、思い起こして呉れます。

本田宗一郎語録(小学館文庫) [ 本田宗一郎研究会 ]

 

東野圭吾さんの名言。

麒麟の翼/東野圭吾

東野圭吾さんの言葉。

 最後は、小説家、東野圭吾さん言葉です。


「最大のピンチの後には、最高のチャンスが来る。」  


 東野圭吾さんは稀代の小説家で、『マスカレード・ホテル』『ナミヤ雑貨店の奇蹟』『容疑者Xの献身』『麒麟の翼』など、多くの著作を著しています。

『麒麟の翼』の関連

 日本橋の欄干で事件が起こる『麒麟の翼』~物語の始まりに麒麟がいました。                      『麒麟がくる』タイトルの意味は何、誰が麒麟を連れて来る。

マスカレード・ホテル (集英社文庫) [ 東野圭吾 ]

 

最大のピンチとは。

 最大のピンチって言うのは何でしょうか。たぶん、自分の人生を左右しかけない、ピンチなんじゃないでしょうか。

 サラリーマンなら、左遷や関連会社への、出向を命じられた時でしょうし、

 事業者の方なら、売上減少で資金繰りが回らず、給料の遅配、取引先からの信用の失墜など、倒産の危機が迫っている、状態なんじゃないでしょうか。

 著述業の方なら、アイデアの枯渇などで、作家生命の限界を感じた時かも知れません。   

 色々な職業の方が、この先の生活に不安を感じ、追い詰められた状況に、陥っている状況かも知れません。

新参者 (講談社文庫) [ 東野 圭吾 ]

 

与えられた仕事に誰よりも精通する。

頑張っている人を、見ている人がきっといる。

 そんな境遇に置かれても、腐らず、へこたれず、自分に与えられた仕事に対して、

 真摯に取り組んで、自分に何が足りなかったのかを考え、それに気付くことから、解決の道が開ける可能性が、あるんじゃないのでしょうか。

 そして、そんな状況を見ていて呉れる人が、必ずいる筈です。

 人生では、「果報は寝て待て」とは行きません。

【関連】

チャンスはピンチの顔をしてやって来る人生の壁を超える名言

マスカレード・イブ (集英社文庫) [ 東野圭吾 ]