2023年開催の第5回ワールド・ベースボール・クラッシック(WBC)で、日本は全勝で優勝と言う最高な結果になりました。
優勝を果たした栗山英樹監督は、かつての名将、三原脩の秘伝ノートを読み込み、野球哲学を磨いていました。
プロ野球で受け継がれてきた「三原マジック」の系譜は、どのようにして、栗山英樹監督に受け継がれたのでしょうか。
栗山英樹監督が“魔術師”の異名をとった三原脩さんを、師と仰いでいることはよく知られています。
三原脩さんの生前には、面識がないということですから、“没後弟子”ということになるのでしょう。
この三原脩さんが遺した秘伝ノートを、栗山監督はバイブルとしていたのです。
三原脩監督の「三原ノート」
元西鉄ライオンズ監督であった三原脩監督が、野球哲学を記したのが「三原ノート」です。
その中に、優勝をするには『実力が5:運が3:調子が2』と書かれています。
そして「三原ノート」の「序」にはこう書かれています。
『野球の全てを一定の型にはめることはできない。即ち、あらゆる状況に当て嵌る型というものはない。
基本形を状況に応じて変形させ使いこなしてゆく。これが野球の技術であり勝負である』
三原脩監督は、自らの2回出征した戦争体験を踏まえ、
突撃型人間か、守備方人間かを見分け、選手の性格を見抜く事が大切としていました。
味方に対しては洞察力。敵には心理戦が重要と記しています。
また、三原脩監督は50年以上前から二刀流を実戦し、三原マジックと称されていました。
そして、三原マジックとは、「奇策ではなくセオリー」であると述べていることに、栗山監督は大変感激したのです。
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三原マジックの中身とは?
この三原ノートは、栗山監督がスポーツキャスターとして活動していた時に入手したもので、
野球のすべてが詰まったノートです。
栗山英樹監督は、こんなことを言っています。
「野球のすべてを一定の型にあてはめることはできない。一番の序。序章の序なんで。これは神様からのプレゼントだと思いました」
このノートを書いたのは三原脩さん。日本一4回。監督通算歴代2位の1687勝を挙げた名将です。
三原脩さんは、常識を覆す「三原マジック」と呼ばれる采配で、50年以上も前に、二刀流での選手起用にも挑戦していました。
三原脩さんは香川県生まれ、早稲田大学に進学後、六大学野球で活躍しプロ野球契約第一号選手となりました。
そして戦後、監督して日本一4回、歴代2位の1687勝を挙げました。
三原脩さんの代表的な戦いとして語り継がれるのが、1958年の日本シリーズ西鉄vs巨人です。
この試合では西鉄は初戦からの3連敗。そこからの4連勝で奇跡の大逆転を果たしたものです。
この「三原マジック」は、敵に対する心理戦、味方に対する洞察力で勝利を手繰り寄せるたのです。
その三原脩さんが遺したノートには、野球哲学が詰まっています。
稚心を去る 一流とそれ以外の差はどこにあるのか [ 栗山英樹 ]
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栗山監督と三原脩さんの関係。
栗山監督はそれを読み返しすたびに、新しくコピーし、その都度印象に残ったことを書き込んで来ました。
三原脩さんは二度、太平洋戦争のビルマ戦線で、曹長として多くの兵をまとめていました。
長男・三原博さんは人間を見る目はすごい、戦争をやっていると誰かが死んじゃうと、代わりの者をそこに入れなきゃいけない。
いろんな人間がいざという時に、どういう行動をとるか、ずいぶん学んだのではなどと話しています。
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栗山監督のメニエール病。
栗山監督は三原脩さんが亡くなった1984年、ヤクルトに入団し、
一時はレギュラーとして活躍しましたが、メニエール病を患い29歳で引退します。
栗山監督は野球選手として、ちゃんとした選手になれなかったと言うのはすごくコンプレックスがあったようで、
大好きな野球で上手くいかなかったと話しています。
大好きな野球に関わり続けたいと思った栗山監督は、テレビやラジオの取材で、かつての名将や監督に教えを請うたのです。
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中西太さんから託された三原ノート
2001年頃、栗山監督は中西太さんから、三原脩さんの野球哲学が書かれたノートを授かります。
栗山監督は、これは神様からのプレゼントだと思ったと話しています。
三原脩さんの教え子だった仰木彬さんは、西鉄黄金時代にマン・ツー・マンで三原野球を学び、
引退後は三原脩さんの下でコーチに就任、指導者として活躍し、
その後、オリックスで監督として活躍、三原脩さんの教えはここでも受け継がれていました。
「三原ノート」を栗山監督に託した中西太さんは、
栗山さんは本当に勉強家、三原さんのすべてを吸収できないけれど、洞察力まねしとるよ、勉強しとるよなどと話しています。
こうして、三原脩さんが遺したノートは、中西太さん、仰木彬さんと関わり、中西太さんから栗山さんに託されたのでした。
「三原さんの、どういうところが好きなのでしょう?」と言う質問に、栗山監督はこう答えています。
「大局観というんでしょうか、三原さんにはそれがあった。目先の試合のことも大事だけど、それ以上にプロ野球にとって大切なものは何か。
それはお客さんを喜ばせることだろうと。三原さんにはプロ野球全体のことが見えていたんじゃないでしょうか」
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栗山監督の「野球ノート」
栗山監督には、小学生の頃から書き続けている「野球ノート」があります。
日々の戦績、プレーの細かな振り返りに加え、監督として人間としての“哲学”が書き込まれているそうです。
また球界きっての読書家としても知られている栗山監督。
読書のジャンルは、経営者や企業家の言葉にのみならず、小説、古典にまで及んでいるそうです。
そして読んで気になった言葉は、その都度ノートに書きとめ、思いや考えをまとめているのだと言います。
それには、『論語』『書経』『易経』等々、
先人に学び勝敗の理由を考え抜いた先に綴った、組織づくりの要諦が書き込まれているようです。
そして子弟関係を持つ、大谷翔平選手も大の読書家として自身を磨いているのです。
更に、「三原ノート」には運が3割と書かれていますが、大谷翔平が高校時代に作成した「マンダラチャート」にも、
目的を達成するのに必要なものとして「運」が書かれていて、その「運」を拾うものとして、「ゴミ拾い」を挙げていたのです。
これって、凄いことですよね!
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