ザ・トラベルナースで注目、ナイチンゲールの言葉と名言。




ザ・トラベルナースで注目、ナイチンゲールの言葉と名言。

テレビドラマ「ザ・トラベルナース」は、スーツケースひとつでいろんな街を渡り歩き、医療機関で看護に従事する、

そんな優れた資格を持った、フリーランス看護師であるトラベルナースの2人を主人公にした医療ドラマで、好評につき2024年10月から第2弾が放映されています。

ドラマの中では、ナイチンゲールの言葉が散りばめられていて、懸命に看護にあたっていた、彼女の精神に思を馳せます。



トラベルナースのナイチンゲール


アメリカでは医師の指示で、医療行為を行うことができるNP(=Nurse Practitioner)をしていた那須田歩(岡田将生さん)が帰国し、

ベテランナースの九鬼静(中井貴一さん)と「天乃総合メディカルセンター」で共に働きながら、

ナースの仕事とは何なのかを、問い掛ける作品です。

様々な患者に接する中で、二人は時にはぶつかり、時には支えながら、患者の苦悩に向き合います。

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そして、ドラマの中で九鬼静が語る、

「かのフローレンス・ナイチンゲールはこう言っています。」

と、看護教育の母と呼ばれている、ナイチンゲールの言葉が輝きを添えています。

更に、看護師たちが暮らす、看護師寮の食堂には、ナイチンゲールの肖像が飾られていました。

心に響くナイチンゲールの言葉・名言は、時を超えて心に刺さります。

ドラマの中では、こんなナイチンゲールの言葉が出ていました。


自分の気に入る仕事を任された時だけ看護師になるのではない。
気に入らない仕事にこそ 志を持て。


天使とは、美しい花をまき散らす者ではなく、苦悩する者のために戦う者である。


病院の第一の条件は、患者に害を与えないことである。


ナイチンゲールの言葉を受けて、主人公の九鬼静はこんな言葉を発します。


医者は 病気を見つけて 病気を治しナースは 人を見て 人を治す。


あの方(ナイチンゲール)も、19世紀クリミアの陸軍野戦病院に派遣された時、まず、なさったのは「掃除」でした。


患者の命よりも「自分のプライド」を優先するような医者は「消えてください」って。

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フローレンス・ナイチンゲールの名言。

ナイチンゲールと言えば、19世紀のクリミア戦争で、

その戦場に赴任し、野戦病院の中で、戦いで傷ついた兵士たちへの、献身的な看護が称賛されています。

看護を受けた兵士たちには、天使のように見えていたのかもしれません。

ナイチンゲールが通り過ぎた彼女の陰に、跪いて、その陰にキスをしていたと言います。


女性よ自立しなさい。
自分の足で立ちなさい。


看護を行う私たちは、人間とは何か、人はいかに生きるかをいつも問いただし、研鑽を積んでいく必要がある。


愛というのは、その人の過ちや自分との意見の対立を許してあげられること。


恐れを抱いた心では、何と小さいことしかできないことでしょう。


私が成功したのは、決して弁解したり、弁解を受け入れなかったからです。


どんな仕事をするにせよ、実際に学ぶ事ができるのは現場においてのみである。


私は地獄を見た。
私は決してクリミアを忘れない。

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フローレンス・ナイチンゲールとは。


フローレンス・ナイチンゲールは、1820年5月12日イタリアのフィレンツェで生まれたイギリス人です。

出生地から名を取って、ローレンス(フィレンツェの英語読み)と名付けられました。

裕福な家庭に生まれたナイチンゲールは、哲学、数学、経済学、心理学、歴史学、フランス語、

ギリシャ語、ラテン語、ドイツ語、イタリア語、などなど幅広く、当時の女性としては珍しい、高等教育を受けます。

そんな彼女が、看護婦になりたいと決意したのは、1849年のことです。

その当時イギリスでは飢餓が蔓延しており、貧困層の酷い暮らしぶりに、ナイチンゲールは心打ちひしがれ、

慈善奉仕活動をしたいと、確固たる思いでいました。

彼女の家族は、看護師になることを猛反対しますが、

意志の強いナイチンゲールは家族の反対を押し切り、1851年31歳でドイツのカイゼルスベルト学園で、看護師の勉強を始めます。

その後、英国ロンドンで、医療や看護や病院の運営などの教育を受けた後、

英国各地の病院の状況を調べて、専門的教育を施した、看護婦の必要性を訴え始めるようになるのです。

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運命を変えた1853年のクリミア戦争


ロンドンに戻っていた彼女の運命を変えたのは1853年、オスマン帝国トルコと、ロシアの間に起きたクリミア戦争でした。

南下を目指すロシアに対し、脅威を感じる英仏は、オスマン帝国を支援します。

黒海に突き出したクリミア半島では、激しい戦闘が繰り広げられました。

戦闘で傷ついた兵士たちは、イギリス軍の基地があったイスタンブールの、

アジア側スクタリ(現ウスキュダル)の、陸軍野戦病院に運ばれ治療を受けます。



そんな中、ナイチンゲールは1854年に、

英国人の24人のシスターと、10人の志願看護婦と共にイスタンブールに赴き、兵士の看護に当たったのです。

野戦病院での傷病兵は、不潔な病院の床にそのまま寝かされ、

戦場で生き残っても、傷ではなく、感染症で命を落とすような悲惨さでした。

ナイチンゲールは、そうした状況を無くそうと、まず看護の業務につけなくても、掃除や食事など衛生状態の改善に努めました。

この尽力により、病院の状態が改善されたことが受けいれられ、

戦闘が激化し、傷病兵の数が多くなったことなどから、ナイチンゲール一行は、看護にあたることになります。

彼女たちは、看護の仕事だけでなく、負傷兵のために母国に残された家族に手紙を書いたり、

死亡した兵の家族に、死亡報告と一緒に僅かでも義援金を添えたりと、心理的な面でも力になるために奔走します。

そんな努力が評価され、ナイチンゲールは、この病院の看護婦総責任者となり、

衛生管理の徹底と個人の健康管理を考え、

夜回りを怠らず行ったことで死亡率を数10%減らし、最終的に2%まで抑えることに成功したのです。

ちなみに、夜間に問題がないか怠らず、ランタンを持って夜回りを行っていたことから「ランプの貴婦人」とも言われたのです。

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「ザ・トラベルナース」の展開。


ドラマ「ザ・トラベルナース」では、

九鬼静は、フローレンス財団の理事長だったのです。

このフローレンス財団のおかげで、幼い頃に母親を亡くした那須田歩は、医療従事者の道へ進むことが出来たのです。

那須田歩にとって、九鬼静は、「あしながおじさん」だったのでした。

そんな九鬼静が病院内で、急性心不全を起こして倒れてしまいます。

一命は取り留めたものの検査をしてみると、遺伝子異常で突然死を起こすこともあるマルファン症候群である疑いが浮上します。

病状はひどく悪化しており、手術で治る可能性が極めて低い状態に陥っていたのです。

その時、以前、九鬼静から命を助けて貰った医師が、

アメリカのゴッドハンド、シェルプ医師に連絡を取り、九鬼静はアメリカで手術を受けることになります。

そして、シェルプからサポートするよう言われ、那須田歩も同行して、二人は渡米すると言う展開で最終回を迎えます。

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