シーザー(カエサル)の「ルビコン川を渡る」の覚悟の意味は?




「ルビコン川を渡る」とはどういう意味?その使い方とは。

「ルビコン川を渡る」と言う言葉がありますが、これは、後戻りのできないような、重大な決断や行動をすることの、喩えを言います。

これは死を覚悟して渡ると言う、「後には引けない」くらいの「重大な決断・行動」だと言うことのようです。

この言葉の由来や意味は、古代ローマ時代のカエサル(シーザー)が、このルビコン川を渡る時の背景に起源があります。



ルビコン川を渡るの由来は何?


ルビコン川の場所は、一説によるとイタリア北部にある「ルビコーネ川」ではないかと言われ、

フィレンツェの東側に位置しています。

古代ローマ時代、ルビコン川は、本土と属州の境界線となる川でした。

しかし、ローマ帝国は、武装した状態で、ルビコン川の境界線を超えて、ローマ帝国本土に立ち入ることを、法律で禁じていて、

極刑に値する罪だったのです。

カエサルは属州の総督を務めていましたが、政敵であったポンペイウスの策略によって、

総督の座を解任されて、ローマ帝国本土に戻るように、命令されます。

その時にカエサルは、法律を犯して武装した状態で、ルビコン川を渡りました。

ジュリアス・シーザー (新潮文庫 シー1-6 新潮文庫) [ シェイクスピア ]

「賽は投げられた(The die is cast)」

川を渡る時に、カエサルが発したとされる有名な言葉が、「賽は投げられた(The die is cast)」です。

カエサル(シーザー)にとって、武装した状態でルビコン川を渡ってしまうと、

ローマ帝国を奪取するか、ポンペイウスに負けるかしかないと言う状態だったのです。

こうした時代背景をバックに、「ルビコン川を渡る」という表現が、現代でも使われています。

この、元の場所に戻ることが出来ないというカエサルの決意が、まわりを巻き込む大きな流れを起こし、

結果的に、カエサルはポンペイウスを破って、ローマ帝国における権力を、掌握することに成功したのです。

このようにルビコン川は、当時カエサルが統治を任されていたローマの属州ガリア・キサルピナ(アルプスのこちら側のガリアの意)と、

ローマおよびその周辺の直轄領から成る、イタリア本土とを隔てる境界線だったのです。

そして、将軍が軍を率いてイタリア本土に入ることは、ローマの法律で明確に禁じられていました。

その禁を、ルビコン川を前にして、今まさにカエサルは破ろうとしている状態あり、

彼自身、それがどういう結果を招くか重々承知していました。

ルビコン川を渡ることは、カエサル本人はもちろん、彼につき従う者も、死罪に問われることを意味していました。

従って、もし軍団を率いて川を渡るならば、

かつての盟友で、今や不倶戴天(ふぐたいてん)の敵となった、

ポンペイウスが指揮を執る軍勢を打ち破って、ローマを掌握するしかなかったのです。

それができなければ、刑死は免れない。

自らの決断の重さにしばらく思いを巡らしてから、カエサルはルビコン川を渡ったのでした。

そしてそれによって、ローマ内戦の火蓋が切って落とされたのです。

ジュリアス・シーザー (白水Uブックス シェイクスピア全集) [ ウィリアム・シェイクスピア ]



ビジネス用語のルビコン川を渡る。


ビジネスに於いては、ルビコン川を渡るという表現は、ポジティブな場面でも、ネガティブな場面でも使われています。

ポジティブな用法として、非常に難易度の高い仕事に、背水の陣で臨む時に使われます。

「ルビコン川を渡る」と宣言することで、担当している仕事に強烈な責任感と当事者意識が生まれ、

仕事の成功に向けて、一心不乱に頑張れるようになるというニュアンスです。

それは不退転の決意で、成功を目指すというポジティブな言い回しになります。

時として、会社の大事なプロジェクトでは、このルビコン川を渡る場面が何度も訪れる事でしょう。

それを、ビジネスパーソンの立場に置き換えると、

例えば、大事なプロジェクトで、あなたがリーダーを任された場合や、未開拓地域での新規出店の店長に抜擢された時、

大きな責任と重圧があなたを襲うでしょうが、もう「賽は投げられた」後なのです。

自分の力を信じて進むしかないのです。

だって経営者は、あなたがそれを出来る人物だと、判断したから任命したのですから。

ジュリアス・シーザー (光文社古典新訳文庫) [ ウィリアム・シェイクスピア ]

ルビコン川を渡ってしまった。


一方、ネガティブな使い方として、

「決してルビコン川を渡ってはならない。」

「彼はルビコン川を渡ってしまった。このまま転落の一途だ。」などと使われ方ます。

ポジティブな使われ方では、ルビコン川を渡った先に、あるであろう、栄光に注目しているのに対して、

ネガティブな使われ方では、ルビコン川を渡ったら、もう戻って来れないと言うことを強調しています。

それだけ決断には、慎重にならなければならないと言う事でしょう。

仕事の中でも、「ルビコン川を渡った」状態になったことが何度かあるかと思います。

それは、意図して渡った人もいれば、意図せずに気づいたら、渡っていたというパターンもあるでしょうが、

ルビコン川を渡ることで、ビジネスパーソンとして成長を促し、それが次の大きな仕事や信頼に繋がることになるのでしょう。

シェイクスピア名作コレクション(4) ジュリアス・シーザー [ ウィリアム・シェイクスピア ]

【抽出】

【お金の名言】シェークスピア曰く、お金は借りるな貸すな。


「シーザー(カエサル)の「ルビコン川を渡る」の覚悟の意味は?」への1件のフィードバック

コメントは停止中です。