2021年3月27日の朝日新聞「be on Saturday」に、松本清張作品の読者ランキングが発表されていました。
これは、2021年2月中旬にアンケートを実施し、1,276人が回答した結果を基に、ランキングが発表されたのです。
アンケートは、約60の松本清張作品のうち、読みたい作品を好きなだけ選ぶ形式でした。
松本清張作品読者ランキング。
松本清張(1909~1992)は、戦後に登場した国民的怪物作家で、
社会派推理小説と言うジャンルだけでなく、ノンフィクション、時代小説と幅広い活躍を続けていました。
没後約30年経った今でも、その作品は多くの影響力を持ち、映画、ドラマとして、たびたび映像化され、幅広い層に親しまれています。
今も読み継がれている作品群から「今こそ読みたい」松本清張の作品のベストテンです。
1位。『点と線』
1位は、やはりと言うか、社会派推理小説ブームを巻き起こした『点と線』(1958年刊)でした。
官庁の汚職事件が捜査が進む中で、課長補佐と赤坂の料亭の仲居が、寄り添沿い死んでいるのが、福岡の海岸で見つかります。
心中なのか? 殺人なのか? 殺害時刻に容疑者は北海道にいたという、鉄壁のアリバイの前に立ちすくむ捜査陣……。
列車時刻表を駆使したリアリスティックな状況を、ベテラン刑事が突き崩してゆき、空前の推理小説ブームを呼んだ秀作です。
DVD / 国内TVドラマ / ビートたけし 松本清張 点と線 / GNBD-7503
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東京駅の15番線ホームの謎。
特に有名なシーンが、東京駅の13番ホームから、線路を隔てた15番線ホームを、課長補佐と仲居が歩いてきて、
停車中の「あさかぜ」に、仲睦まじく乗り込むのを見たと言う証言でした。
しかし、13、14番線には始終電車が出入りしていて、13番線から15番線ホームを見通せるのは、
1日の中でわずか4分間に過ぎない「空白の4分間」である事を、ベテラン刑事が発見したのです。
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2位。『砂の器』
2位の『砂の器』(1961年刊)は、東京で発生したある殺人事件で、序盤では、被害者の身元すら不明です。
そんな中で、手掛かりになったのが、
関係者らしき男が口にした、東北弁訛りの「カメダ」と言う言葉でした。それは何を意味するのか?
その答えは「亀嵩(カメダケ)」という地名で、その所在地は東北……ではなく島根県!
実は東北弁と出雲弁は、イントネーションが似ている、というのが、重要なトリックになっています。
そして、この亀嵩は、被害者である元駐在さんが、勤めていた土地だったのです。
そして、その元駐在さんが、殺されなけらばならなかった、悲しい過去が明かされるのでした。
特に絶賛されたのが、1974年公開の、野村芳太郎監督による映画版です。
事件の核心にある白装束の親子が、寒風吹きさす辺境の地を、放浪する姿が、目に焼きつき離れません。
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3位。『ゼロの焦点』
3位の『ゼロの焦点』(1959年刊)は、戦後の米軍占領期が生んだ「悲しい歴史」が、事件の背景にあります。
板根禎子は26歳。広告代理店に勤める鵜原憲一と、見合い結婚しました。
紅葉が盛りを迎えている信州から、木曾を巡る新婚旅行を終えた10日後のことです。
憲一は、仕事の引継ぎをして来ると言って、金沢へ旅立ちます。しかし、予定を過ぎても帰京しない憲一。
禎子のもとに、もたらされたのは、憲一が北陸で行方不明になったという、勤務先からの知らせでした。
急遽金沢へ向かう禎子。憲一の後任である本多の協力を得つつ、憲一の行方を追うのですが、
その過程で彼女は、夫の隠された過去を、知ることになるのでした。
物語の最後に、主人公が崖の上に立つシーンは、後の2時間サスペンスドラマに、大きな影響を与えたと言われています。
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4位。『黒革の手帖』
『黒革の手帖』(1980年刊)はベテラン銀行員の女が、単調なOL生活からの、脱却を図るために、
顧客の架空名義口座リストを、黒革の手帖に書き溜めておき、
銀行の支店長らが、この事実を、隠蔽している事に目を付けて、1億2,000万円を横領します。
支店長らが行っていた、架空預金の事実を明かさない代わりに、横領の事実は不問に付されたのでした。
横領した女子行員原口元子は、銀座の老舗クラブ「燭台」で水商売のイロハを学び、
その近くに、横領した金でクラブ「カネル」開店させます。
そして、黒革の手帖の情報を使って、恐喝まがいの行為で 、より大きなクラブを持ちたいと野望し、
銀座一の老舗のクラブ「ロダン」のママに、のし上がろうと画策するストーリーです。
ちなみに、銀座で開店させたクラブ「カネル」とは、フランス語で、手帖の意味のようです。
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明治座の米倉涼子の『黒革の手帖』
『黒革の手帖』は、米倉涼子さん主演でドラマ化され、大きな反響がを呼びました。
それが舞台化され、明治座での公演を観劇した時のことです。
公演が終わり、米倉涼子さんが舞台中央で挨拶した時です。
「今日は素晴らしい方が舞台をご覧いただきました。ご紹介します。舘ひろしさんです」と紹介すると、
1階の客席中央から、長身の舘ひろしさんが立ち上がり、米倉涼子さんと一言、二言、粋な会話を交わして着席しました。
一瞬の出来事でしたが、それが凄くさわやかで、ウイットがあり、とても粋でした。
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【関連】
5位。『日本の黒い霧』
『日本の黒い霧』(1960年刊)は、アメリカ軍占領下で発生した重大事件について、
松本清張の視点で、真相に迫った連作ノンフィクションです。
「黒い霧」という言葉が、流行語になるほどの社会現象を起こし、松本清張にとっても代表作の1つとなりました。
第二次世界大戦に敗れ、アメリカ軍の占領下となった日本国内では、奇怪な事件が連発しました。
国鉄総裁が轢死体で発見された「下山事件」、民間飛行機「もく星」号の墜落後の隠蔽工作、
昭電・造船汚職の二大疑獄事件、現職警部が札幌路上で射殺された「白鳥事件」、……などです。
多くの資料と、小説家ならではの考察で、真相解明しようとした金字塔的ノンフィクション作品です。
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6位。『天城越え』
30数年昔のこと、16歳の私は、はじめて天城を越えました。
私の家は下田の鍛冶屋でしたが、なんとかして、よその土地に出ていきたいと思っていた私は、
静岡にいる兄が羨ましくてならず、6月の終わりに、兼ねてからの希望を決行する気になったのです。
天城のトンネルを通り抜けると、別な景色が広がっていた。私は、「他国」を感じます。
湯ヶ島まで来たときには、もう夕方近くなっていました。
向こうから、一人の大男が歩いて来ました。それは一目で、他所者だと分かりました。
「あれは、土方だね。ああいうのは流れ者だから、気をつけなければいけない」と、呉服屋から言われます。
静岡に行く元気がなくなった私は、下田に引き返す決心をしたのです。
すると、そのとき、修善寺の方角から、ひとりの女が歩いてくるのが目につきます。それは娼婦でした。
私は、その娼婦が過ぎてから足の向きを変え、彼女の後を歩きます。
「そいじゃ、ちょうどいいわ。下田までいっしょに行きましょうね」。
そんな中、同じころに天城山中で起きた未解決の殺人事件を、40年以上経った現在も追い続ける刑事がいたのです。(1959年刊)
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7位。『けものみち』
「けものみち」に迷い込み、戦後日本の権力構造を、垣間見た者たちの運命の変転を描いた、
松本清張の社会派サスペンスの代表的長編です。
31歳の成沢民子は、脊髄損傷のために、動けなくなった夫を養うため、割烹旅館で住み込みの女中をしていました。
しかし、夫はそんな民子をいたわるどころか、日々、猜疑心を募らせ、民子が家に戻るたびに、執拗にいたぶるのでした。
ある日、割烹旅館の支配人の小滝は民子に、今の生活から抜け出し、もっと安楽な生活に導く、手助けをするような事をほのめかします。
民子は小滝の誘いに乗り、失火に見せかけて夫を焼き殺し、行方を絶ったのでした。
その後、民子は政財界の黒幕・鬼頭洪太の邸宅に連れて行かれ、
鬼頭の愛人になる一方、小滝とも関係を持ち、鬼頭の後ろ盾を得て、奔放な生活を送るように、なったのでした。
そして、夫の焼死事件は、小滝が民子のアリバイを証言したこともあり、警察と消防によって、失火と断定されるのでした。
人倫の道を踏み外した者が辿る〈けものみち〉とは。(1964年刊)
けものみち (上) (新潮文庫 新潮文庫) [ 松本 清張 ]
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8位。『或る「小倉日記」伝』
『或る「小倉日記」伝』(1952年刊)は、松本清張の短編小説で、1953年に第28回芥川賞を受賞した作品です。
福岡県小倉市在住であった松本清張が、地元を舞台に、森鴎外が軍医として小倉に赴任していた、
3年間の日記「小倉日記」の行方を探すことに、生涯を捧げた男を、主人公として描いています。
それまで新聞社に勤務しながら、執筆活動を行っていた松本清張が、上京後小説家に、専念するきっかけとなった作品です。
小児麻痺に冒され体の自由がきかず、窮乏のうちに生きた男が、その優秀な頭脳を生かして、
森鴎外の足跡をたどる「仕事」に生きがいを見いだして一心に取り組むが……。
短いながらも、人生のやるせなさを描き出して、なんともいえない、寂寥感あふれる感情を抱きます。
それは、森鴎外の作品『独身』を友人から薦められ、それを読んだ男は感動します。
その友人のつてで、目録作りの仕事を始めたのです。
そこは、病院経営者の白川でした。白川は文学青年の集まるグループの中心的人物で、芸術的蔵書を多く保有して、
その蔵書の目録作りを男は手伝うことになったのです。
そこで、森鴎外が小倉で過ごした満3年の日記『小倉日記』を補完することを思いつき、
『独身』、『鶏』、『二人の友』などの文献から、小倉での鷗外の足跡を追うのでした。
しかしそこには、1938年(昭和13年)と言う時代背景が立ちふさがります。
戦時下では、鴎外ゆかりの人に、話を聞くのが困難だった中で、男の麻痺症状は、日に日に悪化して行くのでした。
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9位。『小説帝銀事件』
昭和23年1月26日、帝国銀行椎名町支店に、東京都の腕章をした男が現れ、
近くで赤痢が発生したので、占領軍の命令で、赤痢の予防薬を飲むよう、行員16人全員に配り、
薬を飲んだ行員は次々に倒れ、10人はその場で死亡し、現金と小切手を奪い、逃走する事件が発生しました。
警察の調べで、安田銀行荏原支店、三菱銀行中井支店でも、帝銀事件と同様の手口の、未遂事件があったのです。
犯人は、青酸カリを犯行に使い、軍が使うスポイドや瓶を使用していたため、警察は軍関係を重点的に当たったのです。
また、犯人の遺留品の中に「厚生技官医学博士・松井蔚」と書かれた名刺があり、
松井博士に事情を聞くと、100枚刷って、94枚使ったうちの、1枚であることが判明します。
捜査本部は旧陸軍関係者を疑いますが、やがて、松井博士が名刺を渡した人物を、一人ひとり当たっていった中で、
画家・平沢貞通の名が浮上し、自白だけで、死刑判決が下ったのです。
膨大な資料をもとに、占領期に起こった事件の、背後に潜む謀略を考察し、松本清張史観の出発点となった記念碑的名作で、
あえて、「小説」と言う題名を付けてその闇をあぶり出そうとした、松本清張の気概に触れる作品です。
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9位。『昭和史発掘』
独自の取材と視点とで、現代史に新たな焦点を当てたシリーズもので、1964年から「週刊文春」で連載を開始しました。
厖大な未発表資料と、綿密な取材によって、昭和初期の日本現代史の、埋もれた事実に光をあてた不朽の労作です。
政界に絡む事件の捜査中に起きた「石田検事の怪死」、部落問題を真正面から取り上げた「北原二等卒の直訴」、
他に「陸軍機密費問題」「朴烈大逆事件」「芥川龍之介の死」「二・二六事件」など、多くの事件が収録されています。
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