深夜特急は、ノンフィクション作家の沢木耕太郎さんが、1970年代にインドのデリーからロンドンまでを、乗り合いバスで旅をした時のことを描いた紀行文です。
1986年に発刊された本ですが、今でも「バックパッカーのバイブル」と称されていて、多くの旅人たちに影響を与えて来ました。
旅をしたいと思った時、旅に出て見ようと決意した時、そして、旅をしている時に、ページをめくりたいそんな本なのです。
『深夜特急』は旅のバイブル。
『深夜特急』の時代背景は1970年代の前半で、紀行小説といえば『深夜特急』と言われるほど人気を博し、
旅のバイブルとしての地位を保って来ました。
「かつてシルクロードがあったのならば、現代ならバスぐらい通っているだろう」と考えて、
詳細な計画は立てずに、勢いで日本を飛び出した主人公「私」の物語であり、
沢木耕太郎さん自身の、旅行体験に基づいた紀行文です。
そこには、1970年代前半当時の交通事情、宿泊事情などを知ることも出来て、
更には、途上国の貧困さの一端も、巧まずして表されています。
旅する力 深夜特急ノート (新潮文庫 新潮文庫) [ 沢木 耕太郎 ]
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『深夜特急』の冒頭部分。
「ある朝、目を覚ました時、これはもうぐずぐずしてはいられない、と思ってしまったのだ。」
沢木耕太郎さんの独特の乾いた文章で綴られる本書は、余計な感情の記述がなく、淡々と語られているにもかかわらず、
その土地の空気、湿気や臭いというものまでもを感じさせて呉れます。
旅行記や紀行記の場合は、作者が旅をした時期がとても重要でしょう。
なぜなら、その時の政治状況や社会状況によって、現在とはまるっきり異なる状況である場合があるからです。
深夜特急(1〜6)合本版(新潮文庫)【増補新版】【電子書籍】[ 沢木耕太郎 ]
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『深夜特急』の時代背景
では『深夜特急』の時代背景である、1970年代前半当時の、社会、世界情勢はどんな状況だったのでしょう。
当時の世界情勢は東西冷戦時代の只中。
国内では「万国博覧会 EXPO’70(1970)」、通称“大阪万博”が開催され、よど号ハイジャック事件が発生し(1970)、
市ヶ谷の自衛隊での作家・三島由紀夫の割腹自決し(1970)衝撃を与えました。
海外では、ビートルズが解散(1970)。
イスラエルのテルアビブ空港で日本赤軍乱射事件(1972)。ウォーターゲート事件(1972)。オイルショック(1973)。
そして、サイゴン(当時)が陥落し、ベトナム戦争が終結し(1975)、アメリカがベトナムから撤退した年代でした。
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深夜特急1 香港・マカオ
デリーにいる26歳の「私」は、日本を出発してから既に半年になろうとしていた。
机にある一円硬貨までかき集め、千五百ドルのトラベラーズ・チェックと四百ドルの現金を作ると、
すべての仕事を放擲して旅に出たのでした。
それは、インドのデリーからイギリスのロンドンまで、
乗合いバスで行ってみたいと、ある日そう思い立ち、仕事をすべて放り出して、旅人になっていたのです。
途中立ち寄った香港では、街の熱気に酔い痴れて、思わぬ長居をしてしまいます。
マカオでは、「大小(タイスウ)」というサイコロ博奕に魅せられ、あわや…。
一年以上にわたるユーラシア大陸放浪の旅の始まりの章です。いざ、遠路二万キロ彼方のロンドンへ旅立ちます。
深夜特急1の名言。
<さて、これからどうしよう……>
そう思った瞬間、ふっと体が軽くなったような気がした。
今日一日、予定は一切なかった。せねばならぬ仕事もなければ、人に会う約束もない。すべてが自由だった。そのことは妙に手応えのない頼りなさを感じさせなくもなかったが、それ以上に、自分が縛られている何かから解き放たれていくという快感の方が強かった。今日だけでなく、これから毎日、朝起きれば、さてこれからどうしよう、と考えて決めることができるのだ。それだけでも旅に出てきた甲斐があるように思えた。
香港の街の匂いが私の皮膚に沁みつき、街の空気に私の体熱が溶けていく。街頭で華字新聞を買い、小脇に抱えて歩いていると、香港のオジサンやオバサンに呼び止められて、道を訊かれるようになった。黙っているかぎり、誰も私のことを異国人とは見なさなくなる。異国にありながら、異国の人から特別の関心を示されない。こちらは好奇の眼で眺めているが、向こうからは少しも見られない。それは、自分が一種の透明人間になっていくような快感があった。
私は旅に出て以来、ことあるごとに「金がない」と言いつづけてきたような気がする。だが、私には少なくとも千数百ドルの現金があった。これから先の長い旅を思えば大した金ではないが、この国の普通の人々にとっては大金というに値する額であるかもしれない。私は決して「金がない」などと大見得を切れる筋合いの者ではなかったのだ。
深夜特急1 香港・マカオ (新潮文庫) [ 沢木 耕太郎 ]
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深夜特急2 マレー半島・シンガポール
どこをどう歩いても、バンコクの街も人々も、なぜか自分の中に響いてきません。
「私」は香港で感じたあの熱気を期待しながら、鉄道でマレー半島を南下し、一路シンガポールへと向かいます。
途中、ペナンで娼婦の館に滞在し、女たちの屈託のない陽気さに巻き込まれたり、
シンガポールの街をぶらつくうちに「私」は、やっと気がつくのでした…。
深夜特急2 マレー半島・シンガポール (新潮文庫) [ 沢木 耕太郎 ]
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深夜特急3 インド・ネパール
風に吹かれ、水に流され、偶然に身をゆだねる旅。
そうやって「私」はマレー半島を経て、ついにインドに辿り着きますが、そこでの体験は衝撃的でした。
カルカッタでは路上で突然物乞いに足首をつかまれ、
カーストによってあからさまな差別や分断を余儀なくされている子供たちと触れ合う”ブッタガヤ”を体験します。
ベナレスでは街中で、日々演じられる生と死のドラマを眺め続けました。
そんな日々を過ごすうちに、「私」は自分の中の何かから一つ、また一つと自由になっていくのでした。
深夜特急3の名言。
ヒッピーたちが放っている饐(す)えた臭いとは、長く旅をしていることからくる無責任さから生じます。
‐(中略)‐
その無責任さの裏側には深い虚無の穴が空いているのです。深い虚無、それは場合によっては自分自身の命をすら無関心にさせてしまうほどの虚無です。
深夜特急3 インド・ネパール (新潮文庫) [ 沢木 耕太郎 ]
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深夜特急4 シルクロード
パキスタンの長距離バスは凄まじく、周囲の車や道路事情を一切に気にせず、道の真ん中を猛スピードで突っ走り、
対向車と肝試しのチキン・レースを展開します。
そんなクレイジー・エクスプレスで、「私」はシルクロードを一路西へと向かいます。
途中で滞在するカブールでは、ヒッピー宿の客引きをしたり、テヘランではなつかしい人との再会を果たしたり。
そして「私」は冬の訪れを怖れつつ、前進していくことに、快感のようなものを覚え始めていたのです。
深夜特急4の名言。
これまで、私が旅の途中で出会ってきたフランスのヒッピーたちは、どういうわけか多くがその瞳の奥に深い退廃を宿していた。
フランス人の、その果てのない退廃には、他のどこの国の若者も付き合いきれないようだった。
深夜特急4 シルクロード (新潮文庫) [ 沢木 耕太郎 ]
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深夜特急5 トルコ・ギリシャ・地中海
アンカラで「私」は一人のトルコ人女性を訪ね、東京から預かってきたものを渡すことが出来ました。
そして、ボスポラス海峡を挟んで、ヨーロッパとアジアの境界線を作る大都市イスタンブールの街角では、熊をけしかけられ、
ギリシャの田舎町では路上ですれ違った男にパーティーに誘われて、不思議な出会いを繰り返します。
しかし、旅も「壮年期」を迎え、「私」はこの旅の終わり方を模索するようになります。
深夜特急5の名言。
旅がもし本当に人生に似ているものなら、旅には旅の生涯というものがあるのかもしれない。人の一生に幼年期があり、少年期があり、青年期があり、壮年期があり、老年期があるように、長い旅にもそれに似た移り変わりがあるのかもしれない。私の旅はたぶん青年期を終えつつあるのだ。何を経験しても新鮮で、どんな些細なことでも心を震わせていた時期はすでに終わっていたのだ。
深夜特急5 トルコ・ギリシャ・地中海 (新潮文庫) [ 沢木 耕太郎 ]
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深夜特急6 南ヨーロッパ・ロンドン
イタリアからスペインへと回った「私」は、ポルトガルの果ての岬サグレスで、
ようやく1年以上にも渡る放浪の旅も、ついに終わりが見えたのです。
パリで数週間を過ごしたあとロンドンに向かい、
日本の友人たちへの電報を打ちに中央郵便局へと出かけたところ、思わぬことが分かったのです…。
こうして、旅を愛するすべての人々に贈る、永遠の「旅のバイブル」全6巻が完結します。
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深夜特急6の名言。
まったく、イタリアでは釣り(※)をもらうのもひと苦労なのだ。 ※おつりのこと
しかし、そうとわかってはいても、せめて銀行や郵便局くらいはきちんとしてもらいたいのものだ、と文句のひとつも言いたくなる。
日本にも、外国にしばらく滞在しただけでその国のすべてがわかったようなことを喋ったり書いたりする人がいる。それがどれほどのものかは、日本に短期間いた外国人が、自国に帰って喋ったり書いたりした日本論がどこか的外れなのを見ればわかる。日本人の異国論だけがその弊を免れているなどという保証はないのだ。
私の旅がいま壮年期に入っているのか、すでに老年期に入っているのかはわからない。しかし、いずれにしても、やがてこの旅にも終わりがくる。その終わりがどのようなものになるのか。果たして、ロンドンで《ワレ到着セリ》と電報を打てば終わるものなのだろうか。あるいは、期日もルートも決まっていないこのような旅においては、どのように旅を終わらせるか、その汐どきを自分で見つけなくてはならないのだろうか……。
この時、私は初めて、旅の終わりをどのようにするかを考えるようになったといえるのかもしれなかった。
もし、この本を読んで旅に出たくなった人がいたら、そう、私も友情をもってささやかな挨拶を送りたい。
恐れずに。 しかし、気をつけて。
深夜特急6 南ヨーロッパ・ロンドン (新潮文庫) [ 沢木 耕太郎 ]
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沢木耕太郎さんの経歴。
沢木耕太郎 は1947年東京生れ。横浜国大卒業。ほどなくルポライターとして出発し、鮮烈な感性と斬新な文体で注目を集めます。
『若き実力者たち』『敗れざる者たち』等を発表した後、1979年、『テロルの決算』で大宅壮一ノンフィクション賞、
1982年に『一瞬の夏』で新田次郎文学賞、1985年に『バーボン・ストリート』で講談社エッセイ賞を受賞。
1986年から刊行が始まった『深夜特急』三部作では、1993年、JTB紀行文学賞を受賞しました。
2006年に『凍』で講談社ノンフィクション賞を、2014年に『キャパの十字架』で司馬遼太郎賞を受賞しています。
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「沢木耕太郎の『深夜特急』旅のバイブルの名言とあらすじ。」への3件のフィードバック
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