世界最高齢のプログラマー。
『徹子の部屋』に、世界最高齢のプログラマーが出演されました。
その人は、若宮正子さん(84歳)です。その発信力や行動力、仕事ぶりに驚かされました。
若宮正子さんは、定年退職間近の58歳の時に、40万円を出してパソコンを、勢いで購入したそうです。そして、定年退職後に、本格的にプログラミングを学び始めたそうなのです。
定年後にプログラマーの道へ。
エクセルで作るドット柄の生地。
エクセルを活用して作る、ドット柄の模様で、服や小物を作り始めたようです。
園遊会で皇后美智子さまと出会う。
そのドット柄で作った、洋服、スカーフ、そしてバックを身に着け、呼ばれた園遊会に出席すると、
皇后美智子さまの目に留まったそうで、美智子さまにも、ドット柄のバックを見て頂いたそうです。
そのバックは、ドット柄でLEDにより光るように作ってありました。
お年寄りのためのアプリ制作。
スマートフォンアプリ。
81歳で、スマートフォンアプリを作成し、世間の注目を浴びる事になったのです。
それは、お雛様をひな壇に並べるアプリで、『hinadan』(ひなだん)と、名付けられました。
この開発経緯は、お年寄りが好きそうなゲームを考えてと頼んだところ、
自分で考えて見たらと言われた事が、キッカケらしいのです。凄い行動力の持ち主だと思いました。
アップルCEOと面会。
このニュースがアメリカの、CNNで取り上げられ、
それをアップルのCEOティム・クック氏が目に留め、アップルに招待されたそうです。
そして、国連からも招かれて、英語でスピーチしたそうです。
こうして、若宮正子さんは、世界最高齢のプログラマーとして、第二の人生で、輝かしい実績を残しているのです。
元銀行員の若宮正子さん。
若宮正子さんは、元銀行員です、銀行の三大業務は、預金、為替、融資の業務です。
今は、銀行業務にITが欠かせません。預金、融資の残高管理、顧客管理、
インターネットバンキング、電子稟議などが、あらゆる業務でパソコンは、銀行員の必修業務となっていますが、
若宮正子さんが、勤務している時代は、まだそこまで進んで居なかったかもしれません。
そんな、環境にいた若宮正子さんが、普及し出したパソコンを、定年後に使いだそうとしたことは、
かなりの努力と、大きな好奇心があったに違いありません。
母親を介護しながら、外部と繋がる唯一の手段が、パソコンだったと話されていました。
80歳を超えてのプログラミングの習得。
80歳を超えての、プログラミングの知識の習得には、さすがだと、恐れ入ります。
このプログラミングの先生は、宮城県塩釜にいらして、
若宮正子さんは、神奈川県藤沢がお住いのようなので、ここでも、ネットを通じてに交流が、モノを言っています。
定年後の人生で何をする。
定年後の人生で、こんなにも輝ける人は、めったにいません。
銀行業務とは全く違った世界に、自分の人生を輝かせるものがあったのです。
今まで、自分が遣って来なかったことを、60歳以上になって挑戦するのは、大変なことですし努力がいります。
世代を超えて、デジタルの世界で挑戦。
デジタルの世界。
更に、アナログ世代で育ってきた、シニア世代にとって、デジタルの世界に飛び込んでゆく事は、不安なことでしょう。
更に言えば、パソコンの操作は、最初は分からない事だらけではないでしょうか。
パソコンを遣っていると、やたらに注意喚起のメッセージが出て来て、どうしたら良いのかと、困ってしまう事はありませんか。
そんな苦労を乗り越えた先に、ご自分が楽しむために遣って来たものに、価値がある事を見出せたのでしょう。
ご自宅では「OKGoogle」と呼びかけ、照明の点灯、パソコンの立ち上げ、無人掃除機の操作など、
84歳に思えない、デジタル生活を満喫しているのです。
そこに至るまでには、若い人の何倍、何十倍の時間を要したに違いありません。
でも、そうした事も、楽しみにして、自分のものにしているところが、凄い人だと感心しました。
アウトプットの発信力。
パソコンのエクセルを使って、ドット柄の洋服や小物を作る事で、その製品を発信し、
更に、スマートフォンアプリで、『hinadan』(ひなだん)を作ることで、更に自分を発信しているのです。
この発信力に、若宮正子さんの魅力が、凝縮しているように思われます。
正に、唯一無二の存在になっているんじゃないでしょうか。
普通の人は、84歳になれば、同年代の人たちと、ゲートボールをしたり、お友達と茶飲み話に、花を咲かせている筈です。
しかし、若宮正子さんは、同世代が遣ろうとしない領域、遣ろうとしても出来ない領域で、
ご自分のメッセージを発信させ、更なる高みに挑戦している姿を拝見して、清々しい気持ちになりました。