『羅生門』は、芥川龍之介が東京帝国大学在学中、
まだ無名作家だった1915年(大正4年)に雑誌「帝国文学」へ発表された作品です。
そしてこの『羅生門』には、元になった物語がありました。
それは平安時代の末期に作られた『今昔物語集』と言う説話集の中の物語で、これを元に『羅生門』は生まれたのです。
羅生門の舞台と登場人物。
この小説の舞台は平安時代の京都。
当時の京都の街には疫病が広まり、地震や火事、飢饉などの天災が相次いで、多くの人が亡くなっていました。
小説のタイトルの「羅生門」と言うのは、京都の朱雀大路にあった「羅城門」のことで、
羅城門は、平安京の正門として使われていました。
高さ70尺(約21m)、幅10丈6尺(約32m)もあった羅生門ですが、
地震や辻風、火事や飢饉などの災いが続いて荒れ果てており、鬼が住むと言われていたのです。
『羅生門』に登場する人物は、下人と老婆の2人です。下人は主から解雇にされてしまい、生活に困っている男です。
下人は、右の頬に大きなニキビが出来ていて、生活に行き詰まり悩んでいます。
一方の老婆は、羅生門の上で下人が出会った人物で、「背の低い、やせた、猿のような老婆」と描写されています。
羅生門には死体が集められていたのですが、この老婆は女の死体から髪の毛を抜き取り、カツラにして売ろうとしているのです。
この2人のやり取りを中心として、物語は展開します。
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『羅生門』あらすじ。
ある日の夕暮れに、京都の羅生門の下で、一人の下人が雨宿りをしていました。
この下人は職を失い、降りしきる雨の京都の街を、ぼんやりと眺めていたのです。
明日からの生活が気掛かりでしたが、さりとて、盗みに走る勇気はありませんでした。
せめて今宵、安全に寝る場所を探して、羅生門の楼へと上ろうとすると、怪しい1人の老婆が、目に留まりました。
様子をうかがっていると、老婆は死体から、髪の毛を抜いているようでした。
その様子を見た下人の心には、この老婆に対する憎悪、
そして、この世のすべての悪を憎む気持ちが湧きあがり、勇気を出して老婆に詰め寄ったのです。
老婆の返答は、「死体から髪を抜いてカツラにするのだ」と言ったのです。
それを聞くと、失望と侮蔑しか湧いてこない下人でした。
下人の冷ややかな様子を感じ取ったようで、老婆は言い訳を続けます。
「この女は生前に人をだましていたから、死体になってこんな事をされてもしょうがない。自分のやった事も大目に見てくれる筈だ。」と、
老婆の言い訳を聞くうちに、下人の心には「ある勇気」が湧いて来ます。
それは老婆を捕えた際のものとは、全く違った勇気でした。
「では、俺が何をしてもお前は文句を言うまいな。」
そう言ったかと思うと、下人は老婆の着物をはぎ取り、京都の街へと消えて行ったのです。
何故だか、勇気の虚しさを感じてしまいませんか。
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芥川賞。
芥川龍之介と言うと、芥川賞が思い浮かびます。
芥川龍之介は、日本を代表する短編小説家で、彼の作品の多くは「純文学」と言われ、
文章表現の豊かさなど、芸術性が高いことで知られています。
「芥川賞」は、彼に因んで設けられた文学賞で、
上半期と下半期の年2回に渡り、雑誌に発表された、新人作家の作品の中から「純文学」を対象に選考されるのです。
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芥川龍之介が読んでいた本。
芥川龍之介全集の第一巻に「私の文壇に出るまで」と言う散文が編纂されています。
そこで芥川龍之介が、青春期の読書遍歴について書いています。
彼は10歳位の時から、英語と漢学を習っていました。そして、これまで読んだものに触れ、小學時代には近所に貸本屋があって、
高い棚に講釋の本などが並んでいて、それらを端から端まで読んでしまったそうです。
そういうものに導かれて、一番最初に『八犬伝』を読み、
『西遊記』『水滸伝』馬琴のもの、三馬のもの、一九のもの、近松のものを読み始はじめます。
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そして、高等小學一年の時に、徳富蘆花の『思い出の記』や『自然と人生』を読み、
中學時代には漢詩をかなり読み、小説では泉鏡花のものに没頭したそうです。
その他、夏目漱石のもの、森鴎外のものを、大抵皆んな読んだそうです。
そして、中學から高等學校時代に掛けては、徳川時代の浄瑠璃や小説を読みます。
その後、西洋ものを色々読み始め、当時の自然主義運動によって日本に流行した、
ツルゲーネフ、イプセン、モーパッサンなどを出鱈目に読み漁ったそうです。
殊に、ロマン・ローランの『ジャン・クリストフ』には、ひどく感動させられ、
途中でやめるのが惜しくて、大学の講義を聞きに行かなかったことがよくあったそうです。
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「芥川龍之介『羅生門』あらすじ。若き日に読んでいた本。」への1件のフィードバック
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