永禄7年9月。三好長慶が死去し、京はまた混乱を始めます。
明智光秀は、将軍足利義輝の御内書を持って、織田信長(染谷将太さん)のいる小牧山城を訪れました。
小牧山城は、美濃と尾張の国境近くの城です。
足利義輝暗殺計画。
しかし肝心の、織田信長は、今川を倒した後に、この城を拠点にして美濃の斎藤義龍(伊藤英明)の子・龍興との戦を続けていました。
そして、その戦いは、苦戦を強いられていたのです。
そのため、「今はその話をしている暇はないのじゃ」「これから軍議じゃ」として、話をふられてします。
代わりに取次ぎを任されたのが、藤吉郎(佐々木蔵之介さん)で、彼から、光秀は別室に招かれます。
酒を酌み交わそうとする藤吉郎ですが、光秀はそれどころではないと話をします。すると、藤吉郎が言います。
先ごろ病死した三好長慶の子・義継とその取り巻き衆が、足利義輝を、闇討ちにする計画があるらしいというものだったのです。
足利義輝の僧侶の弟、足利義昭。
その頃、駒(門脇麦さん)は、伊呂波太夫(尾野真千子さん)に連れられ、大和に来ていました。
伊呂波太夫(尾野真千子さん)が、松永久秀と会っている間、町を散策していました。そこで、貧民に食べ物を分け与える僧侶に会ったのです。
その僧侶は、毎日のように民に、施しをして名前を名乗ることなく去って行っていました。
その人格が素晴らしいと思った駒は、翌日も町に出掛け、僧侶に話しかけました。
「私は、医師の東庵先生の助手をしているのですが、いくら無償で治療しても戦はなくなりません。
そして、たくさんの人が死んでいく。世には貧しい人があふれており、助けてあげられるのはごく一部の人たちだけ。それを思うとやりきれなくなる」
お坊さんはそのことをどう思うかと尋ねます。
僧侶の足利義昭は、「仏のように、万人に施すことは出来ぬ、僧侶の自分もまた無力だ。麒麟がくる世にならなければ、皆が平等に豊かになることはない」
「父は将軍であったが戦を止められなかった」と、駒に対して語ったのです。
松永久秀曰く、将軍の値打ち。
多聞山城の、松永久秀を光秀が尋ねます。松永久秀は、りっぱな3つの、焼き物の壺の2つを、叩き割っていました。
同じものが3つよりも、1つの方が価値があると言うのです。「モノには元々値打ちがあるのではない。人が決めて作ってゆくもの。将軍もそれは例外ではない」
光秀は「将軍に値打ちがないから討つというのか?」と迫ります。
松永久秀は、「わしも殿を大事に思うとる。だが、政の中心だった三好長慶が亡くなったので、
今のままでは世は治まらぬ。隠居の身なので殿を支えることも、排除する動きを止めることもできぬ」。
「将軍の値打ちも人が決める。ふさわしいと思えれば値打ちは上がる。討ちはせん。都から追い払う」
「誰一人として動かんではないか。このままでは、世は動かんのじゃ。もはや、疲れた」
将軍を排してどうするのですか?武士の棟梁には、将軍が必要なのではないかと、怒り問いただす光秀でしたが、
そこに奥から藤孝(眞島秀和さん)がやって来て言います。
「都の人々の心は、殿から離れてしまった。幕臣もしかり。もう、次の将軍を迎えるしかない」。
藤孝は、そう言って涙を流して悔しがります。
将軍・足利義輝の、いにしえの歌。
そして、明智光秀は二条御所に向いました。結局、明智光秀は、織田信長を、将軍足利義輝の元へ、連れてくることが出来なかったのでした。
「十兵衛、ちこう。ご苦労であった。尾張の織田も上洛は無理か。皆、戦いに忙しいのじゃ」「都がこれ程、寂しいとは知らなかった」
そして、古(いにしえ)の歌「秋来ぬと目にはさやかに見えぬども、風の音にぞおどろかされぬる」を詠んだのです。
「夏は終わった。わしの夏は! 十兵衛、越前へ帰れ」「短かったが、よう、わしに仕えて呉れた。欲を言えば、もっと早くに出会いたかった。十兵衛、また会おう」
何の力にもなれなかった光秀は、ひれ伏せたまま、頭を上げることが出来ませんでした。
明智光秀は、涙を流して悔しがりました。
しかし十兵衛には、これ以上できることはなかったのです。そして、明智光秀、は越前に帰って行ったのです。
「『麒麟がくる』ネタバレ名言セリフ~23話義輝、夏の終わりに」への2件のフィードバック
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