2021大河ドラマ「青天を衝け」意味は?渋沢栄一の生涯を描く




2021大河ドラマ「青天を衝け」

2021年の大河ドラマは、第60作目となる「青天を衝け」です。主人公は、新一万円札の顔としても注目される「渋沢栄一」です。

約500の企業を育て、約600の社会公共事業に関わった「日本資本主義の父」と言われる人物です。

晩年には、民間外交にも力を注ぎ、ノーベル平和賞の候補に、2度選ばれています。



タイトルの『青天を衝け』の意味は?


渋沢栄一が詠んだ漢詩の一節。

渋沢栄一は、幕末から明治へ、時代の大渦に翻弄され、挫折を繰り返しながらも、

青天を衝つくかのように、高い志を持って、未来を切り開きました。

「緻密な計算」と「人への誠意」を武器に、近代日本のあるべき姿を追い続けた、渋沢栄一の、幕末からの生涯を描きます。

タイトルの『青天を衝け』は、渋沢自身が詠んだ漢詩の一節で、

「勢衝青天攘臂躋 気穿白雲唾手征」(意:青空をつきさす勢いで肘をまくって登り、白雲をつきぬける気力で手に唾して進む)から、取られたようです。

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ペリー来航で、江戸は騒乱の渦中に。




国難に見舞われた江戸幕府。

渋沢栄一は、嘉永6年(1853)武蔵国榛沢(はんざわ)郡血洗島村(現在の埼玉県深谷市)に生まれます。

渋沢栄一が、藍の生産に生きがいを感じ始めていたころ、江戸湾にペリー率いる、アメリカ軍艦4隻が来航しました。

開国を迫るペリーに対して、開国するか、追い払うか……。江戸幕府が大いに揺れる中、

第12代将軍・家慶(いえよし)の元で、幕府の中枢を担う老中首座の阿部正弘は、水戸藩の徳川斉昭(なりあき)に、協力を求めます。

そんな折、家慶が亡くなり、病弱な息子・家定が将軍に就くと、早くも次の将軍の座をめぐる争いが、加速するのでした。

水戸藩の徳川斉昭の嫡男である、一橋慶喜を推す福井藩主・松平慶永(よしなが)たちは、

まだ幼い紀州藩の徳川慶福(よしとみ)を推す、彦根藩主・井伊直弼(なおすけ)らと、真っ向から対立します。

徳川慶喜の正室・美賀君(みかぎみ)や、家定の正室・篤君(あつぎみ)も、否応なくその波に巻き込まれて行きます。

やがて、大老となった井伊直弼は、一橋派を粛清する「安政の大獄」を断行し、その手は、徳川慶喜、本人にも及ぶのでした。

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国を守りたいと、渋沢栄一は江戸へ。




江戸の混乱は地方にも伝播。

武蔵国榛沢(はんざわ)郡血洗島村(現在の埼玉県深谷市)にも、時を移さず、江戸の動揺は伝わって来ました。

従兄・尾高惇忠(じゅんちゅう)の元で、水戸学を学ぶ、渋沢栄一や親友の喜作は「ぺるりをやっつけろ」「日本を守れ」と盛り上がります。

渋沢栄一たちの道場には、真田範之助(はんのすけ)ら、攘夷(じょうい)派の志士も集まり始め、穏やかな村にも、時代の荒波が押し寄せるのでした。

従兄・尾高惇忠の弟・長七郎が江戸へ遊学に出た事で、幼なじみの千代と結婚し、家業にいそしんでいた渋沢栄一も、

「この国の事をもっと知りたい」という思いが、次第に強くなっていきます。。

渋沢栄一は「春の一時(いっとき)でいい。江戸に行かせて欲しい」と、父親に懇願します。

父の市郎右衛門も、栄一の熱意に根負けし、ついに、念願の江戸遊学が、叶うことになったのでした。

そこで出会ったのは、攘夷派の志士たちで、儒学者・大橋訥庵(とつあん)の元には、

身分に関わらず、この国を想(おもう)志士たちが、集まっていたのです。

一触即発の流れに触れ、渋沢栄一の運命は、ここから大きく揺れ動いて行くのでした。

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主人公渋沢栄一を演じるのは吉沢 亮。




栄一は思わぬ商才を発揮する。

渋沢栄一は、渋沢中の家(なかんち)の長男で、幼い頃から、人一倍おしゃべりで、剛情っぱりな性格でした。

従兄(いとこ)である、惇忠(じゅんちゅう)の影響を受け、渋沢栄一は、読書に没頭する日々を送り、

勤勉な父・市郎右衛門(いちろうえもん)の教えを受け、藍玉づくりの仕事の奥深さを知り、思わぬ商才を発揮して行くのでした。

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2024年渋沢栄一が新一万円札の顔になる。




日本資本主義の父の証し。

渋沢栄一が、再び脚光を浴びるニュースが、2019年に流れました。それは、久々に一万円札が刷新される、ニュースでした。

2024年上期に紙幣が刷新され、渋沢栄一が、一万円札の顔になるニュースに、東京証券取引所では、紙幣関連銘柄に買い注文が殺到し、

その中でも、紙幣識別機製造の日本金銭機械と、現金処理機大手のグローリーは、一時、値幅制限のストップ高になりました。

株式相場は、このニュースに敏感に反応しました。さすが、渋沢栄一は日本資本主義の父の証しです。

彼が東京株式取引所の設立に、関わった事を考えれば、感慨もひとしお、なんじゃないでしょうか。

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日本型資本主義を目指した渋沢栄一。




利益と会社の共生を目指した。

幕末から明治維新への移行期で、欧米並みの移行化が行われ、

その移行がスムーズに出来たのには、経済的な下支えが、あったからだと言われています。

その下支えをした第一人者こそが、渋沢栄一だったのです。

渋沢栄一は、利益と会社の共生を目指していました。

会社は社会のためにあるのであって、ステークホルダーのためにあるのでは無いと考えました。

渋沢栄一は、会社はどうあるべきかを考え、欧米型の資本主義から、日本型資本主義へ移ってゆく、

時代の方向性を目指して、企業のあるべき姿を求めました。

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渋沢栄一のバックボーン。




14歳から実業家の道へ。

彼をこのような人物に創り上げた背景には、彼の父親が、勤勉な農民でありながら、論語をそらんじていたり、

母親が、優しい人で、人のため世のため、他人の幸せを考える事が出来る人だった事が、影響しているようです。

渋沢栄一の実家は、農商であり、農業をしながら、一方では、農民から「藍」を買い取り、それを染物屋に売る仕事をしていたのです。

そんな農商の仕事を見てた渋沢栄一は、14歳から実業家の道を歩むようになります。

彼は「藍」の葉からできる、藍玉の番付表を作り、生産者の競争心を煽り、

切磋琢磨して良い製品を作り出す、人を巻き込む商才に長けていたのです。

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渋沢栄一のターニングポイント。




パリ万博のために、フランスを渡仏。

渋沢栄一の、ターニングポイントは、1867年にパリ万博のために、フランスを渡仏した事でした。

フランスでは、渋沢栄一の想像を超えた社会が、そこにあったのです。

そこは、フランス資本主義が、開花していた社会だったのです。そして、文明の格差の余りにも大きさに驚いたのでした。

渋沢栄一は、フランスの銀行家から、資本主義の仕組みを学び、経済こそが、世の中を潤す要になることを学びます。

1年10ヵ月後、渋沢栄一は、フランスから帰国しました。そこは、幕府が崩壊した日本でした。

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渋沢栄一が動き出す。




次々に会社を創り出す栄一。

帰国した渋沢栄一は、直ちに動き出します。明治2年に静岡県駿河に「高法会所」を設立します。

すると、その成功振りを見ていた、大蔵省のヘッドハンティングにより、日本のために、政府の仕事するよう説得されます。

「円」の貨幣制度を作り、33歳の時に、東京兜町に第一国立銀行(現、みずほフィナンシャルグループ)を作り、銀行紙幣を発行したのです。

これは、まだ、日本銀行が出来る前の話です。

紙幣の紙が必要になり、王子製紙を作り、インフラを整備するため、JR東日本(旧国鉄)、

東京電力、東京ガス、保険会社、海運会社などを作り、実践する経営者となって行きます。

そして、外国との取引をしてゆくためには、国民の総意が必要だと感じ、日本商工会議所を設立させたのです。

こうして、渋沢栄一は、凄い勢いで事業を実現させて、日本の近代化を牽引して行きました。

もし、あの時代に、渋沢栄一がいなかったら、日本の近代化は遅れ、

今、私たちが甘受している社会とは、違った社会になっていたかもしれないのです。

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『論語と算盤』




論語とソロバンが経営の指針に。

渋沢栄一は、父親の影響でしょうか、論語に精通していたようで、その精神を経営に生かしています。

渋沢栄一の名言に、論語と算盤と言う言葉があるのです。


「論語とソロバンと言うかけ離れたものを、一つにすると言う事が最も重要なのだ」


1916年(大正5年)に出版された渋沢栄一の著書『論語と算盤』は、各地を講演した内容を一冊に編纂したもので、

孔子の言行、「人は如何に生きるか」の、道徳と経済を如何に、調和する事が重要だと説いていて、企業経営者のバイブルにもなっているのです。

論語と算盤 (角川ソフィア文庫) [ 渋沢 栄一 ]





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