大河ドラマ『青天を衝け』あらすじネタバレ渋沢栄一の生涯。




大河ドラマ『青天を衝け』渋沢栄一の生涯。

NHK大河ドラマ60作目となる『青天を衝け』が始まりました。

主人公の渋沢栄一は、「日本の資本主義の父」と呼ばれ、新一万円札の「顔」になる人物です。



物語のスタートは、武蔵国血洗島村。



ごうじょっぱりで、お喋り好き。

物語のスタートは幕末が舞台です。

渋沢栄一(吉沢亮さん)は、武蔵国血洗島村(現在の埼玉県深谷市)で生まれ、その農村を舞台に、幼少期~青春期からドラマが始まります。

第1回「栄一、目覚める」の冒頭部分は、徳川慶喜(草彅剛さん)と、渋沢栄一(吉沢亮さん)の出会いシーンから始まりました。

供を連れて街道を馬で駆け、川を渡り駆け抜けて行く徳川慶喜。

その背後から叫び声を上げながら、慶喜を追って走るのが、渋沢栄一とその相棒・喜作(高良健吾さん)です。

「それがしは渋沢栄一でございます!」 「すでに、徳川のお命は尽きてございます!」

と叫びながら、転んでも、水たまりがあっても、走るのを止めません。

渋沢栄一の必死な声が、徳川慶喜の耳に届いたらしく、家臣らとともに、馬を制し戻って来ました。

「どうかこの渋沢をお取り立てくださいませ!」

その必死の渋沢栄一の思いは慶喜へと届き、屋敷へ呼ぶようにと側近である平岡円四郎(堤真一さん)へ伝えられるのでした。

渋沢栄一は、藍染の原料となる藍玉作りと、養蚕を手掛ける豪農の家に生まれました。

彼は幼い頃から、ごうじょっぱりの性格で、お喋り好きのようでした。

そんな幼い栄一、愛情深い母・ゑい(和久井映見さん)の、

「人は生まれてきたその時から一人でないんだよ。いろんなものと繋がってるんだよ」

「あんたが嬉しいだけじゃなくて、みんなが嬉しいのが一番なんだで」

という教えは、みんなが幸せになることを目指した、渋沢栄一の礎を築いた言葉が響きます。

父は「上に立つ者は、下の者への責任がある」と、他人への責任の重さを教育しました。

そうして育った、渋沢栄一は、どうしたら日の本を守れるかを考えるようになり、

幼い栄一が、ドラマの中で「俺が守ってやるこの国を…」と、声を上げるのでした。




第2回「栄一、踊る」では、9歳になった栄一は、父・市郎右衛門(小林薫さん)から藍の買付の仕事を習うようになり、各地の農村を駆け回ります。

そんな中、一番の楽しみは、村祭りで獅子舞を舞う事でしたが、

その地を治める代官から、無理難題の土木工事の命令で、祭りが中止になってしまうのでした。

それは6月で、農家にとっては一番忙しい季節でした。血洗島村の男たちは、昼は労役へ、夜は藍の刈り取りと、忙しい時期を過ごすのでした。

それから数年後、父からは藍の商いを、いとこの新五郎(田辺誠一さん)から、剣や読書を習い始めた栄一は、

父親の供で、江戸へ行く機会に恵まれるのでした。

丁度その時期は、ペリーが艦隊を引き連れて、開国を迫りに、日本へやって来た時だったのでした。



第3話「栄一、仕事はじめ」では、栄一は父に連れられ江戸へ行くことになり「江戸に行って一から商いを教えて貰うんだ」と期待に胸を膨らませます。

江戸に着いた栄一は「江戸では今日は祭りか?」と、その繁栄ぶりに驚きます。そして越後屋呉服店(現:三越)の繁盛ぶりを目の当たりにするのです。

当時の江戸は、世界最大の都市で100万人が暮らしていました。

そしてその3ヵ月後、浦賀に黒船が4隻来航したのです。このニュースは「黒船来たり」として、世間を駆け巡ったのでした。

その頃、中国ではアヘン戦争が起きていて、日本人は強い危機感を抱いていました。

その年の血洗島村の藍は、虫にやられ、期待する収穫量が採れないことから、栄一の父は長野県へ、藍の買付に行きますが、栄一の同行は許されませんでした。

しかし、何としても父の助けになりたいと、母親に頼み込み、一人で藍の買付に行ったのです。

栄一は幼い頃から父親の仕事振りを見ていたお陰て、藍の買い付けの目利きについては、文句なしの状態になっていたのでした。

「商いは根っから楽しいもんだぜ、これからも励むぜ、この国のために」と、意欲を燃やす栄一でした。



第4回「栄一、怒る」は、栄一は仕事にますます励み、もっとよい藍を作るにはどうしたら良いかと思い巡らせて、ある妙案を思い付きます。

それで、例年行われている、藍農家への労いの会を、栄一に仕切らせて欲しいと父親に頼み出ます。

そして、その会の当日、藍の出来によって農家の番付表を作成し、大関、関脇、小結と順位を付けたのです。

この妙案は農家に良い藍を作る競争心を植え付けたのでした。

一方、幕府はペリーの再来航が迫り混乱して行きます。

斉昭(竹中直人さん)は、次期将軍候補である息子・慶喜に優秀な家臣を付けようと、変わり者の平岡円四郎(堤真一さん)を小姓に据えるのでした。

そしてついに、日米和親条約が締結され、開港の噂は血洗島村にも届き、栄一たちはがく然とします。

そんな中、父・市郎右衛門(小林薫さん)の名代として、五百両の御用金を申し渡された栄一は、その理不尽さに、この世は何かがおかしいと感じ始めます。

そして、御用金を持参し「恐れながらそれが百姓の銭にございます!」と、岡部藩の代官・利根吉春に雨の中、土下座をして何かを訴えかけますが、

彼のそんな思いは通じず、栄一は怒りに燃えるのでした。



第5回「栄一、揺れる」では、栄一は「承服出来ん、承服出来ん」と、無理やり御用金を献上させる代官への怒りを静められませんでした。それを「悲憤慷慨」だと教えられるのでした。

惇忠(田辺誠一さん)に薦められた本で、清がアヘン戦争で如何に、英国に敗れたかを知った栄一は、開国した日本の未来を危惧するのでした。

そんな中、栄一の姉・なか(村川絵梨さん)は、自身の縁談を、“相手の家に憑き物(つきもの)がいる”という迷信的な理由で伯父・宗助(平泉成さん)たちから反対され、ふさぎ込んでしまいます。

一方、幕府の方針をなおも受け入れられない斉昭(竹中直人さん)は暴走します。

老中・阿部正弘(大谷亮平さん)と斉昭の側近・藤田東湖(渡辺いっけいさん)は、斉昭を必死にいさめる中、1855年、安政の大地震が江戸を襲うのでした。

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渋沢栄一、藍玉の生産で商才を発揮。




競争システムを導入。

渋沢栄一が、その器量を発揮したのが藍玉の生産でした。

渋沢栄一の実家は、農商であり、農業をしながら、一方では、農民から「藍」を買い取り、

その藍から、藍玉を生産し、染物屋に売る仕事をしていました。

そんな農商の仕事を見てた渋沢栄一は、14歳から実業家の道を歩むようになります。

彼は「藍」の葉から作る、藍玉の番付表を作り、生産者の競争心を煽り、切磋琢磨して良い製品を作り出す、競争システムを考え出したのです。

家業や学問を通じて、良い製品と、人を巻き込む商才に長けていたのです。

ドラマのロケ現場は群馬県安中市。

血洗島村のシーンでは、村の若者たちが、のびのびと未来を語り合い、彼の両親が温かく見守る中で、青春を謳歌して行きます。

緑鮮やかな血洗島村の農村風景は、とても穏やかで、とても印象的なシーンです。

これは群馬県安中市に、オープンセットを建てて、蓮や、桑畑、野菜なども、全て植えたそうで、ドラマの見ものの一つになっています。

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武士になりたかった渋沢栄一。




尊攘派から幕府側に。

渋沢栄一は、武士になりたいと望んでいて、日本の将来を憂いて、過激な尊王攘夷派となります。

そして、討幕をめざし、六十九人の同志を募り、武具を買い整え、命知らずの過激な計画を立てます。

ところが、寸前のところで、従兄の尾形惇忠に諫められ、計画を断念します。

血気に駆られて突っ走る一歩手前で、冷静に状況を見きわめ、反逆者として、処刑される危機を潜り抜けたのです。

その後、渋沢栄一は、一橋家の重臣、開国派で英明な平岡円四郎に出会い、

「世界を知らずに、攘夷を論じている自分」を知らされ開眼します。

出会うべき人に出会ったことで、「過去のとらわれを捨てる」ことを決意したのです。

こうして、かつて敵視していた幕府側、一橋家の家臣となって行くでした。

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パリ万国博覧会の渡仏が人生の転機。




フランス資本主義に覚醒。

江戸幕府最後の将軍、徳川慶喜の家臣となった渋沢栄一は、慶喜の弟、民部公子のお供として、パリ万国博覧会が開催されるフランスへ渡ります。

そこは、フランス資本主義が、開花していた社会だったのです。そして、文明の格差の、余りにも大きさに驚きます。

西洋の文化や社会に触れ、日本より遥かに進んだ、鉄道や兵器、科学技術などに驚愕します。

渋沢栄一は、フランスの銀行家から、資本主義の仕組みを学び、経済こそが、世の中を潤す要になることを学びます。

とりわけ、彼の心を揺り動かしたのは、銀行を中心とした経済構造であり、株式会社による、近代資本主義のありようでした。

「近代国家は、強力な軍備だけではなく、自由な取引による商工業によって支えられている。日本も遅れてはならない」 と、強く思うようになって行くのでした。

当時のフランスは、ナポレオン3世の時代で、経済を潤す要因が、3つありました。

それらは、(1)金融の整備 (2)インフラの整備 (3)人材の育成の、3つだったのです。

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帰国した渋沢栄一が動き出す。




金融・インフラの創業。

そして、渋沢栄一が、日本に帰って来てやったことは、正に、この3つだったのです。

渋沢栄一は、フランスとの文明・社会の進歩の差を痛感し、日本に戻ってきた後、

大政奉還して、慶喜が身を寄せていた静岡藩で、商法会所(株式会社)を始めます。

会所は順調に発展しますが、その成功を耳にした、明治政府に呼ばれ、大隈重信に説き伏せられて、大蔵省の役人となります。

大蔵省の役人となった渋沢栄一は、日本の近代化を目指して、財政、地方行政、殖産興業等を、精力的に推し進めますが、

障害も多く、「自分の生きる道は、ここではない」と悟り、自分をもっとも生かす道として、実業家を目指したのでした。

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『論語』の精神~仁愛の精神。




多くの人の利益を優先。

渋沢栄一は、少年期に学んだ孔子の『論語』の精神を生かして、

「私利私欲を追求し、ひたすら営利をむさぼる実業家ではなく、たくさんの人に利益をもたらす、仁愛の精神を持った実業家になろう」と決意します。

そこには、幼少期に父母から受けた、他人のために、何をすべきかの教えの、影響があったのかもしれません。

渋沢栄一が『論語』に長けていたのは、父親が『論語』をそらんじていて、

幼少期の頃から、身近に『論語』があったことが、大きいく影響しているようです。

現代語訳 論語と算盤 (ちくま新書 827) [ 渋沢 栄一 ]



480社の会社と600以上の慈善事業。




国家や社会のための「公益」

国家や社会のための「公益」を大切にすると言う、この考えのもとに、渋沢栄一は第一国立銀行や、東京商法会議所を設立させ、

王子製紙、日本郵船、帝国ホテル、札幌ビール、東京電力、東京ガス等、480社におよぶ株式会社を立ち上げさせました。

さらに「経済活動だけでなく、社会公共事業が大切だ」と医療、教育を支援し、

東京慈恵会、日本赤十字社、聖路加病院、理化学研究所等の病院の設立に関わり、

一橋大学や同志社大学、二松学舎、早稲田大学、日本女子大学等の、学校の設立を助けたのでした。

そして、この物語は、徳川家の最後の将軍・徳川慶喜と共に、その時代を、進んで行くことになるのです。

渋沢栄一100の訓言 「日本資本主義の父」が教える黄金の知恵 (日経ビジネス人文庫) [ 渋澤健 ]