『麒麟がくる』ネタバレあらすじセリフ名言~26話三淵の奸計




『麒麟がくる』第26話「三淵の奸計」

『麒麟がくる』では、越前の朝倉義景が、足利義昭を利用し、態勢の優位を計る、思惑をしています。

第26話は「三淵の奸計(かんけい)」です。 奸計とは、悪いはかりごと、悪だくみを意味します。

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朝倉義景の思惑に翻弄される光秀。


朝倉義景の気まぐれな言動。

永禄10年。足利義昭は、将軍になれば「出来なかったことが出来るかもしれない。貧しい人を助けられる」と、気持ちが、変わりつつありました。

それには、強い大名が、彼を支えることが条件でした。

足利義昭(滝藤賢一さん)を奉じ、織田信長と共に、上洛を目論む、朝倉義景(ユースケ・サンタマリアさん)だったのですが、

その気まぐれな言動から、光秀や三淵(谷原章介さん)らは、その真意に、次第に不安を募らせるのでした。

朝倉義景の家臣や一族も、決して、一枚岩になっていない様子を見るにつけ、

明智光秀は、このまま上洛をしても、三好勢とは十分に戦えないと悩みます。

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近衛前久(本郷奏多さん)も悩んでいた。




公家同士の権力争い。

小藪さんが演じる、二条晴良は二条家の当主で、永禄11(1568)年より、関白職にありました。

そして、公家同士の力関係の中で、近衛前久(本郷奏多さん)とは、対立していたのです。

近衛前久が推挙した、第14代将軍・足利義栄(一ノ瀬颯さん)が、病により京に来られないことを、やり玉に挙げ、

公家らしく上品に、ネチネチといじめをしていたのです。

将軍不在の京都で、権勢を振るっていたのは、足利義輝を死に追いやった、三好一族だったのです。

病で京へこれれない、足利義栄の評判は悪く、推挙した近衛前久は、朝廷での立場を、悪くしていたのです。

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足利義昭が元服する。




武士となった義昭。

そんな中、足利義昭が、元服の義を行いたいと朝廷に申し出ます。そして、無事、元服を果たし武士となります。

それを受け、朝倉義景は、足利義昭の、元服祝いの宴を開き、光秀も招かれます。

朝倉義景は「十兵衛、ありていに申せば、今日は無礼講である」

それに対して、光秀は「一乗谷を見ると、ものが溢れている、皆が動かなければ戦いにはなりませぬ。論外かと」と述べ、

民衆に戦いの意志がないのであれば、いくら戦をしても、戦いにならないと、述べるのでした。

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織田信長の舟に乗るのか。




伊呂波太夫が背中を押す。

すると、そこに伊呂波太夫(尾野真千子さん)の、姿がありました。

伊呂波太夫が語ります。「明智さまは、不思議なお方。そろそろ、船出の潮時ではありませぬか」

それに対して光秀は「あいにく、船出の舟が見つかりません」と、答えると。

「その舟の名は既に、お分かりの筈」と延べ、その舟が、織田信長であることを暗示し、

「お二人で上洛すればよろしいのです」と、述べたのです。

上機嫌で、上洛を決意したことを報告する朝倉義景でしたが、

列席していた、朝倉義景の従兄弟、朝倉景鏡(手塚とおるさん)は、それに大いに異を唱えるのでした。

その様子を見ていた光秀や、三淵藤英(谷原章介さん)らは、朝倉義景の真意に、更に、不安を感じるようになります。

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光秀が信長に上洛を促す。




大きな世を作るために。

そのため、明智光秀は、織田信長を訪ね、単独での、上洛を訴えます。

「京に出て、大きな世を作るのか。よし、そなたの申すとおりに、やってみよう。足利義昭さまを、この美濃にお連れせよ」

「私は美濃へ行く、そなたを信じよう」

足利義昭はつぶやきます。

「私は小さな蟻だ。誰か強き者の助けがいるのう、十兵衛」

光秀は妻子を美濃に帰すことを決めます。

それに対して妻は「何も怖いことはありませぬ。嬉しいばかりでございませぬ」光秀は「そなたは良き、嫁ごりょうだな」

足利義昭が越前を出て、美濃に行くことを聞いた、朝倉義景は

「わしの許しなしに、上洛出来るかどうか、思い知らせてやる」と、憤懣やるかたなく、家臣たちに当たり散らすのです。

そんな中、朝倉義景の嫡男の若君が、毒を盛られて殺害されてしまったのです。

この事件が起きて、朝倉義景はすっかりやる気を無くし、敢えて反対することもなく、

永禄11年7月に、足利義昭は美濃へ向かったのでした。

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「上洛」とは何か?




織田信長が、足利義昭を伴い上洛しますが、「上洛」とは、どのようなものでしょう。

そもそも「洛」とは唐の時代の中国の首都、「洛陽」からとったもので、日本では、その中心である、京都を指します。

そして、「上洛」とは、京へ入ることを意味していたのです。

足利幕府では各国に守護大名を派遣し、その土地を治めさせていました。

それと同時に、守護大名は将軍家を守るため、京都での常駐を義務づけられていました。

その為、多くの守護大名は守護代をたて、自分の代わりにその土地を治めさせ、領地と京都を、行ったり来たりしていたと言う訳なんです。

戦国時代に於いて、将軍を奉じて上洛すると言う事は、大名にとって何を意味したのかと言うと、

それは、力を失った将軍を、有力な戦国大名が担ぐことで、将軍を傀儡化し、

大名自身が絶大な権力を、持てると言う、大きなメリットがあったのです。

次回27話は「宗久の約束」です。

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