三島由紀夫『金閣寺』のテーマは、絶対的な美への嫉妬!




三島由紀夫『金閣寺』のテーマは、絶対的な美への嫉妬!

三島 由紀夫は、1925年〈大正14年〉に生まれた、小説家、劇作家です。

戦後の日本文学界を代表する、作家の一人であると同時に、ノーベル文学賞候補になるなど、

日本語の枠を超え、日本国外に於いても認められた人物で、『Esquire』誌の「世界の百人」に選ばれた、初の日本人です。



三島由紀夫『金閣寺』の冒頭。




三島由紀夫の代表作。

三島由紀夫の『金閣寺』は、こんな冒頭から始まります。


「幼時から父は、私によく、金閣のことを語った。私の生れたのは、舞鶴から東北の、日本海へ突き出たうらさびしい岬である。父の故郷はそこではなく、舞鶴東郊の志楽(しらく)である。

懇望されて、僧籍に入り、辺鄙な岬の寺の住職になり、その地で妻をもらって、私という子を設けた。

成生岬(なりうみさき)の寺の近くには、適当な中学校がなかった。やがて私は父母の膝下(しっか)を離れ、父の故郷の叔父の家に預けられ、そこから東舞鶴中学校へ徒歩で通った。

父の故郷は、光りのおびただしい土地であった。」


そして主人公は、叔父の家の二階の勉強部屋から見る、小山の若葉の山腹が、

西日を受けているのを見ると、金屏風を建てたように見え、金閣を想像したのです。

『金閣寺』は昭和31年(1956年)に雑誌『新潮』で連載され、その後、単行本として出版されました。

京都・鹿苑寺(ろくおんじ)の舎利殿「金閣」を、学僧が葛藤の末に放火すると言う、ショッキングなストーリーです。

これは、昭和25年(1950年)7月2日に、実際に起きた事件が題材になっていて、三島由紀夫の代表作とも呼ばれています。

金閣寺 (新潮文庫) [ 三島 由紀夫 ]



『金閣寺』あらすじ。


「金閣ほど美しいものはない」

物語のあらすじは、京都府舞鶴東郊の志楽(しらく)の、貧しい寺に生まれた主人公の溝口は、

住職の父親から「金閣ほど美しいものはない」と、幼い頃より聞かされて育ちます。

しかし、父に連れられて始めて見た金閣は、想像よりも美しくなく、幻滅します。

父の死後、その遺言どおり、溝口は鹿苑寺金閣の学僧となったのです。

太平洋戦争の最中、京都の空襲に思い至った溝口は、

美の象徴で不朽の存在と思われた金閣でも、自分と同じく滅ぶ運命にあると考え、金閣に改めて美を見出したのです。

そして戦争は終わりました。空襲でも、金閣が焼かれることはありませんでした。

そして、溝口にとっての金閣は、だんだん呪いのようなものになって行ったのです。

豊饒の海 1 春の雪 (新潮文庫) [ 三島 由紀夫 ]





金閣寺の老師は、溝口に期待して、仏教系の大谷大学の授業料を出してくれました。

しかし、大学で知り合った友人・柏木と遊ぶうちに、大学の欠席も増えて成績は悪くなり、老師や他の弟子からの評価は落ちていきました。

やがて柏木に借金をし、由良川方面へ無断で旅に出た後、溝口は金閣を燃やすことを決意します。

そしてある晩、溝口は金閣に火をつけたのです。最初は心中するつもりでしたが果たせず、裏の左大文字山に逃げます。

そこで短刀とカルモチン(睡眠薬)を捨て、煙草を一服した溝口は「生きよう」と思うのでした。

豊饒の海 2 奔馬 (新潮文庫 みー3-22 新潮文庫) [ 三島 由紀夫 ]



金閣寺の放火は実話だった。



「美に対する嫉妬」

昭和25年(1950)7月2日、金閣寺を放火した犯人は、重度の吃音に、幼い頃から苦しみ、

「美に対する嫉妬」「社会への復讐」を、動機として供述していたそうです。

三島由紀夫『金閣寺』の主要なテーマは、この「絶対的な美への嫉妬」です。

なぜ溝口は金閣に嫉妬したのでしょうか。

大きな原因の一つは、溝口が抱えていた吃音(きつおん、どもり)のコンプレックスでした。

溝口は何かを思いついても、吃音が気になって、口に出すのをためらってしまいます。

その間にも、目の前の現実は進んでいく。

やがて溝口は言葉にせずに自分の世界に閉じこもり、誰かを呪ったり、美しい金閣を妄想したりするようになっていたのです。

豊饒の海 3 暁の寺 (新潮文庫 みー3-23 新潮文庫) [ 三島 由紀夫 ]




三島由紀夫の経歴。



川端康成に見出された。

三島由紀夫の本名は、平岡公威(きみたけ)。東京・四谷に生まれます。

父・平岡梓は農林省などで勤務する公人で、内閣総理大臣を努めた、岸信介などと同級生でした。

三島由紀夫は、官僚一家に生まれたエリートだったのです。

幼少期より詩や俳句、短編小説などの創作に励み、16歳の頃に執筆した『花ざかりの森』で、

この頃より筆名の、三島由紀夫を名乗るようになりました。

学習院高校を首席で卒業し、東大法学部へ進学します。そして戦後、川端康成に見出されて、文壇へ本格的にデビューします。

大学卒業後、大蔵省に入省しながら文筆活動を続けますが、

やがて作家一本の生活に入り、『仮面の告白』を発表して、不動の地位を得たのです。

その後も『純白の夜』『青の時代』『愛の渇き』など精力的に執筆を行い、

『金閣寺』『永すぎた春』などのベストセラーを、次々と発表していきました。

ノーベル文学賞の候補にもなりましたが、晩年は政治活動が目立ち、民間防衛集団「楯の会」を結成し、

1970年11月25日、自衛隊市ヶ谷駐屯地に籠城し、割腹自殺を謀ったのでした。

豊饒の海 4 天人五衰 (新潮文庫 みー3-24 新潮文庫) [ 三島 由紀夫 ]




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