世界一受けたい授業で称賛『君たちはどう生きるか』の名言。


『君たちはどう生きるか』

『君たちはどう生きるか』という本は、1937年(昭和12年)に刊行されました。

昭和12年と言えば、第二次世界大戦が始まる2年前のことです。

当時の、先行きの見えなくなりつつある世の中で、生きてゆくために、本当に必要なものは、何が必要なんだろうと、考えさせて呉れる名著です。



世界一受けたい授業第2弾で称賛。




今も昔も変わらない人生のテーマを提起。

2018年1月27日に、世界一受けたい授業』の「特別授業」として

第2弾「大ヒット『君たちはどう生きるか』に学ぶ生きるヒント」が放映されました。

この本の根底にあるのは、今も昔も変わらない、人生のテーマである、

いじめ、貧困、差別などに対して、如何に勇気を持って立ち向かうべきなど、考えさせらえる授業となりました。

その後も、多くの読者が感動を貰っている本なのです。では、その内容はどんな本なのでしょう。


著者の吉野源三郎は『世界』の編集長。


岩波書店発行の総合雑誌。

この本の著者は、吉野源三郎という人物で、月刊雑誌『世界』の、初代編集長を務めた人です。

月刊雑誌『世界』は、岩波書店発行の総合雑誌で、

1946年1月に創刊し、「日本一のクオリティマガジン」を標榜して、発行されました。

この『君たちはどう生きるか』は、どんな本なのかと言えば、

子供のための哲学書のような本で、人生どう生きるべきかを、改めて考えさせられる本なのです。

漫画君たちはどう生きるか


主人公のコペル君15歳。



本名:本田潤一君。

主人公のコペル君(本名:本田潤一君)は、旧制中学2年生の15歳。

銀行員の父親を3年前に亡くし、父親に代わって相談役を買って出たのが、母親の弟で、無職のインテリの叔父だったのです。

叔父はなぜ無職だったのかと言えば、昭和初期の、大卒者の就職率は30%と言う、不況の状況だったのです。

君たちはどう生きるか

 

小津安二郎の『大学は出たけれど』。

そんな現状を皮肉った『大学は出たけれど』と言う映画が、1929年(昭和2年)に、公開されていて、

不況の中で、奔走する求職者の姿をコメディに描いていました。

その映画は、巨匠と言われる、小津安二郎が監督を務めたのでした。

『君たちはどう生きるか』が、出版されたのが、第二次世界大戦の直前で、不況が蔓延している時代、

例え東京帝国大学を卒業しても、なかなか就職口が、無かった時代だったのです。

君たちはどう生きるか/吉野源三郎





無職のインテリの叔父があだ名を付けた。



天文学者コペルニクスから「コペル君」。

コペル君というあだ名を付けたのは叔父さんで、おじさんは、潤一君の、物事を見る目の鋭さに驚き、天文学者コペルニクスから、その名前を付けたのです。

潤一君は、コペル君というあだ名を気に入っていて、

「こんな立派な人と同じ名前なんて、なんだか恥ずかしいよ。でも、心のどこかで願っているのだ、

周りの人にどんなに間違っていると言われても、自分の考えを信じ抜く人間に、僕もなってみたい。」と、語っていました。

読書の学校 池上彰 特別授業 「君たちはどう生きるか」[本/雑誌] (教養・文化シリーズ/別冊NHK100分de名著) / 池上彰/著


いじめの物語の登場人物たち。




水谷君、北見君(ガッチン)、浦川君、山口君。

物語は「いじめ」について進行して行きます。登場人物は、物静かな水谷君。男らしくガッチンと呼ばれる北見君。

豆腐屋の息子で家業を手伝いながら、幼い兄弟姉妹の、面倒を見ている浦川君。

そして、いじめっ子の山口君です。

浦川君は家業が豆腐屋だったことから、お弁当のおかずが、いつも油揚げだったことから、

貧しい家庭環境をさげすむように「アブラアゲ」と呼ばれていて、山口君から、いじめの標的にされていました。

おじさんは、こんな事を言っていました。

「貧しい人を見下し、金持ちにペコペコするような、人間の価値を貧富で判断する人間は、軽蔑に値する。」と。

君たちはどう生きるか (ポプラポケット文庫 日本の名作 25) [ 吉野 源三郎 ]

いじめの原因は貧困だった。




いじめの原因は、至る所にあります。

太っている、背が低いに始まり、髪の毛の色が違う、肌の色が違う、運動神経が鈍いなど、挙げたらきりがありません。

浦川君の場合は、家庭の貧困が根底にありました。

コペル君が通っている旧制中学は、現在の高校にあたります。

昭和初期の時代に、高校進学出来るの人は、お金に余裕のある、家庭の子供たちだったのでしょう。

そんな中で浦川君の家庭は貧しかったのです。

残念なことですが、そんなことが、いじめの原因になってしまったのでしょう。

君たちはどう生きるかの哲学 (幻冬舎新書) [ 上原隆 ]




クラスメイトは助けたいと思っていた。

しかし、山口君に兄貴の仕返しが怖かった。

そんな状況をクラスメイトは、「本当はいじめられている浦川君を助けた」と言うのが本心でしたが、

山口君には乱暴者の兄たちがいて、「文句のある奴は兄貴に言いつけてやる」と、脅かされていたので、みんなは、怯えていたのです。

山口君は、自分の力では足りない分を、兄貴に言いつけると脅し、自分の力を誇示しようとする、卑怯者だったのです。


ついに、ガッチンが立ち上がる。


クラスメイトも応援した。

ある日、山口君のいじめを見るに見かねたガッチンが、いじめっ子の山口君に、食って掛かります。

「誰がなんと言っても、もう許さん」

すると、クラスメイトもガッチンを応援して、山口君とガッチンの力関係は逆転したのです。

そんな中で、ただ一人抵抗し、山口君とガッチンの、ケンカを止めたのが、驚くことに、被害者の浦川君だったのです。

どうして、自分を苦しめる加害者を助けたのでしょうか。

その時、コペル君はこう思いました。

「一方的にやられるのが、どれだけ寂しいか、周りの流れに勇気を出して逆らった浦川君は、本当に立派だと思う。」と。

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コペル君が誓った。

ガッチンの前で壁になる。

ガッチンと浦川君の勇気ある行動に感心したコペル君は、ガッチン、浦川君、水谷君を前にして、こんな事を誓ったのでした。

「僕は、ガッチンが呼び出されたら一緒に行くよ。止められるかどうか分からないけれど、ガッチンの前で壁になる。絶対に逃げずに、みんながガッチンを守って戦おう」

誓いを守れず裏切り者になったコペル君。

怖くて隠れたままだったコペル君。

それから2週間後、山口君の兄貴たちが仕返しにやって来ました。

浦川君と水谷君は約束通り、ガッチンの壁になりましたが、やられてしまいました。

コペル君は、偶然その場を離れていて、仕返しの状況を確認しながらも、怖くて隠れたままで、出て来られなかったのでした。

3人は傷を負って泣いていました。そして、裏切り者のコペル君を無視したのです。


不登校になってしまったコペル君。

仲間を裏切った自責の念。

「自分がこんな卑怯な人間だったとは、死にたいー」と、

仲間を裏切ってしまったコペル君は、自責の念に苦しみ、不登校を繰り返すようになってしまいました。

それは、自分から誓った事に対して、それを、自ら裏切る行為をしてしまった罪悪感と、

裏切ってしまった相手と、どう接してゆくべきか、悩んでのことだったのです。

叔父さんからの答え。



おじさんに仲裁役を頼む。

追い込まれたコペル君は、おじさんに仲裁役を頼み、自分を許して呉れるように説得を頼みました。

すると、おじさんから、こんな答えが返って来たのです。

「コペル君、君の考えは間違っているぞ、君は勇気を出せずに、大事な約束を破ってしまった。

苦しい思いをしたから、許してもらおうなんて、そんなこと言える資格はない筈だ。」

「コペル君、いま君は、大きな苦しみを感じている。なぜ、それほど苦しまなければならないのか。それは、君が正しい道に、向かおうとしているからなんだ。」

そして、コペル君は、自分の過ちを受け入れ、手紙を書いて、謝罪することにしたのです。

コペル君は、おじさんの言うことに対して、素直に自分の過ちを認めました。

おじさんとコペル君の関係性。


無職でインテリのおじさん。

このおじさんは、母親の弟、つまり母方の叔父で、コペル君の相談役でした。

父親が亡くなってしまったので、致し方無いのですが、叔父だったから、素直になれたのかもしれません。

もし父親なら、父親と息子は直線の立場で、切っても切れない状況になり、これほど素直に、大人の言うことを、聞き入れたでしょうか。

しかし、叔父さんはとの関係は、母親の弟と言うことで、ワンクッション入っています。

直線の関係でなく、斜め線の関係だからこそ、意見を聞き入れて、素直になれたのかもしれません。

そうです、おじさんはコペル君の「メンター」になっていたのでしょう。

いじめを目撃したらどうする。

見て見ぬふりをするか。助けるか。

いじめの現場を目撃した時、人のとる行動は、見て見ぬふりをするか。助けるか。この2つです。

助けると言うことは、わづらわしい事になってしまうんじゃないかと案じ、凄い勇気がいります。

逆に自分が、いじめられる立場になることだってあるため、ためらってしまう事が、多いのかもしれません。

しかし、ガッチン、浦川君、水谷君は、勇気を振り絞り行動に出たのです。たいしたものです。

それに対して、勇気を出せなかったコペル君は、大いに後悔し、自分を責めたのです。

漫画君たちはどう生きるか

おじさんが語った言葉。

おじさんの、こんな言葉が印象的でした。

「ものを生み出す人間が立派であり、君は何も生産していないけれど、大きなものを毎日生み出している。」

しかし、その答えは、この本の中には出て来ません。おじさんは一体何を、言いたかったのでしょうか。

何かを生産する。何かを生み出す。と言うことは、きっと人の役に立つことをする、と言うことなんじゃないかと思います。

コペル君の存在自体が、周りの人たちに良い影響を及ぼし、

その誰かが、コペル君がいることに喜びを感じて貰うことが、コペル君の、やるべきことなんじゃないのでしょうか。

コペル君は、これからどう生きるのか。

自分で考えて、自分で決断する。

コペル君は、これらの事件とおじさんの教えによって、

自分中心的な考え方から、世の中の誰かのために、自分で考えて決断して、生きてゆくようになるべきなのです。

「人生をどう生きるか」この命題には、おじさんにも、答えが分かりません。

「どう生きる」と言う言葉は、生きる意味、生きる目的、生き方と言う観点から考えて見れば、

人生は、目的をもって生きて、何かを成し遂げるために、人は生きているんじゃないでしょうか。

コペル君は、どんな答えを出したのでしょう。

君たちはどう生きるか/吉野源三郎

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若者のための哲学書吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』要約

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