『君たちはどう生きるか』と言う本は、1937年(昭和12年)に発行された、「子供のための哲学書」のような本です。
著者は吉野源三郎と言い、月刊誌『世界』の初代編集長を務めた人です。
この本が刊行された、昭和12年という時代は、日本が第二次世界大戦に突入してゆく、2年前だったと言う時代背景があります。
主人公はコペル君。旧制中学2年生。
無職でインテリの叔父さんが教えて呉れた。
主人公のコペル君(本名:本田潤一君)は、旧制中学2年生の15歳。旧制中学は現在の高校にあたります。
銀行員の父親を3年前に亡くし、父親に代わって、彼の相談役を買って出たのが、母親の弟で、無職のインテリの叔父さんだったのです。
この物語では、コペル君が学校での出来事や、自分が抱える悩みを打ち明けると、
おじさんは、その日の夜に、どう生きるべきかのアドバイスを、ノートに書いてくれるのでした。
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信念を貫く。
「信念を貫く」ことの大切さを、おじさんが教えてくれた。
16世紀のヨーロッパでは、地球はすべての中心であり、その周りを太陽や星が回っていると言う、天動説が常識でした。
しかし、コペルニクスは、地球が太陽の周りを、回っていると言う地動説を唱えたのでした。
この考えは、教会の教えに反することから、迫害を受けましたが、
それでも、自らの信念を貫くことの、大切さをコペルニクスは貫いたのです。
【図書館版】池上彰特別授業『君たちはどう生きるか』 読書の学校 (NHK100分de名著) [ 池上彰 ]
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「コペル君」のあだ名の由来。
ある日、潤一君はおじさんと銀座のデパート屋上に来ました。潤一君は、下を歩く人々を見て、あることを思い出します。
「人間は分子みたいだ。目を凝らしても、見えないような遠くにいる人たちだって、世の中と言う、大きな流れを作っている一部なんだ」。
そんな、潤一君の言葉に驚いたおじさんは、
「今日、君がした発見は、コペルニクスと同じくらい大発見かもしれないからね。今日から君のことを、コペル君と呼ぶようにするよ。」
これに対してコペル君は、
「コペルニクスみたいに周りの人に、どれだけ間違っていると言われても、自分の考えを信じ抜ける立派な人に、僕もなってみたい。」と、応じたのです。
コペル君は「信念を貫く」ことの大切さを覚えたのでした。
君たちはどう生きるか (ワイド版岩波文庫) [ 吉野源三郎 ]
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英雄とはどんな人。
おじさんは、こんな事を言っていました。
「ナポレオンは、わずか10年間で貧乏将校から、皇帝の位まで、一気に駆け上がった。ナポレオンは、どんな状況でも、決して屈することがなかった」
「なぜ、ナポレオンの一生が、僕たちを感動させるか。それは、どんな困難な立場に立っても、不屈の闘志と、王者にふさわしい誇りを、失わなわないからだ」
君たちはどう生きるか (ポプラポケット文庫 日本の名作 25) [ 吉野 源三郎 ]
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ナポレオンはこんな人。
ナポレオンと言うと、華々しい戦績に注目が集まりがちですが、
彼は新しい秩序と法律を定めて、世界各国の模範となる「ナポレオン法典」」を作ったのです。
ナポレオンは18世紀、革命期のフランスの皇帝となり、フランス革命後の混乱を収拾し、軍事独裁権を樹立しました。
幾多の勝利と婚姻により、イギリス、ロシア、オスマン帝国の領土を除いた、ヨーロッパ大陸の大半を、自身の勢力下に置いたのです。
ナポレオンの言葉で有名なのが、この言葉です、「我輩の辞書に不可能と言う文字はない」The word impossible is not in my dictionary.
そして、おじさんはこう言いました。
「英雄や偉人と言われている人々の中で、本当に尊敬できるのは、人類の進歩に役立った人だけ」だと。
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いじめ問題を考える。
「勇気を出すことの大切さ」を、おじさんが教えて呉れた。
コペル君は、いじめに遭っているクラスメートと共に戦おうと、自分から宣言したのに、
仕返しの怖さから、クラスメートたちを、裏切って隠れてしまいました。
その自責の念から、
「自分がこんな卑怯な人間だったとは、死にたいー」と悩み、その仲裁を、おじさんに頼もうとしたのです。
そんな彼に、おじさんはこう言ったのです。
池上彰特別授業君たちはどう生きるか 読書の学校 (教養・文化シリーズ 別冊NHK100分de名著) [ 池上彰 ]
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苦しんでいるのは、正しい道へ進むため。
「コペル君、君の考えは間違っているぞ、君は勇気を出せずに、大事な約束を破ってしまった。
苦しい思いをしたから、許してもらおうなんて、そんなこと言える資格はない筈だ。」
「コペル君、いま君は、大きな苦しみを感じている。なぜ、それほど苦しまなければならないのか。
それは、君が正しい道に向かおうとしているからなんだ。」
ある日、コペル君は、粉ミルクの缶を見て発見したことを、おじさんに、手紙を書いて伝えることにしました。
ミルクの缶が、コペル君の手元に届くまでに、多くの人間が網目のように繋がっていることを、コペル君は気付いたのです。
日本に来るまでに、牛の世話をする人がいて、乳をしぼる人がいて、それを工場に運ぶ人がいて、
工場で粉ミルクにする人がいて、缶に詰める人がいて、それをトラックで運ぶ人がいて、
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汽船に積み込む人がいて、汽船を動かす人がいる。 日本に来たら、 汽船から荷をおろす人がいて、それを倉庫に運ぶ人がいて、
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売りさばきの商人がいて、小売の薬屋がいて、薬屋で買って、 やっと粉ミルクを、手にすることができます。
これは、自分は社会の一員であり、その社会の一員である自分が行動を起こすことで、
社会を変えることが、出来るのではないかと言う思いを、感じていたのかもしれません。
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著者吉野源三郎からの最後のお尋ね。
そして、最後は著者よりの、こんな言葉で締めくくられています。
「長い長いお話もひとまず、これで終わりです。そこで、最後にみなさんに、お尋ねしたいと思います。君たちはどう生きるか」
その回答は色々あるでしょう。これが正しい答えかどうかは、分かりませんが、たぶん、こんなことではないでしょうか。
「何かに行き詰まったり、思い悩んだ時は、苦しみ、もがきながら、今、自分が出来ること、やるべきことを、精一杯やること」
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「吉野源三郎『君たちはどう生きるか』要約とコペル君の名言。」への3件のフィードバック
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