各地にある、パナソニックのお店。
家電は現代の生活に、無くてはならないものです。
今では、各地に大型家電店が出現し、あらゆる家電が揃っていて、消費者にとっては、とても便利になりました。
しかし、その反面、町の家電店が減少し、姿を消しています。そんな中でも、「パナソニックのお店」は頑張っているようです。
我が家でも、ときどき利用していて、急に家電が故障した時や、
配線が問題ないかなど、気軽に見て貰えるので、とても重宝しています。
そんな、パナソニックですが、以前の社名は「松下電器」でした。松下幸之助が自宅の一部を工場にして創業した会社です。
松下幸之助の失敗の言葉。
松下幸之助の生い立ち。
松下幸之助は、1894年(明治27年)に、和歌山県で三男として生まれました。
父親が米相場で失敗して破産、その後一家は下駄屋を始めましたが、父親に商才がなく、
幸之助は、小学校を中退し、9歳で丁稚奉公に出て、多くの従事を積むのでした。
後に奉公先を自転車店へ移し、自転車商売の原点を学ぶのでした。
路面電車に衝撃し、電気の将来性を確信。
電気事業に将来性を見出す。
明治43年に、大阪に市電が開通し、電気で走る「路面電車」に衝撃を受け、
電気事業の将来性を感じ取り、電気の世界に入り込むのでした。
その結果16歳で大阪電灯(現、関西電力)へ入社すると、電球の取り替えの不便さを改良する、ソケットの考案をするのでした。
そして大正6年に手持資金95円で独立、狭い借家を工場にして、
妻と、妻の弟(井植歳男:戦後、三洋電機を創業)などと、改良ソケット製造を始めました。
松下電気器具製作所の誕生。
大正7年には、松下電気器具製作所を創業したのです。
ここで、二股ソケットや、二灯用差し込みプラグなどが、ヒットしてゆくことになったのです。
その後の成功は、世間の周知するところとなりました。
松下幸之助の言葉。
そんな、松下幸之助が、失敗に関する名言を残しています。
「こけたら、立ちなはれ」の名言
「こけたら、立ちなはれ。」
「とにかく、考えてみることである。工夫をしてみることである。そして、やってみることである。失敗すればやり直せばいい。」
「失敗の多くは、成功するまでに諦めてしまうところに、原因があるように思われる。最後の最後まで、諦めてはいけないのである。」
「失敗することを恐れるよりも、真剣でないことを恐れたい。」
「失敗すればやり直せばいい。やり直してダメならもう一度工夫し、もう一度やり直せばいい。」
「人は何度やりそこなっても、「もういっぺん」の勇気を失わなければ、必ずものになる。」
松下幸之助に失敗の名言が多いいのは、人のために、便利な製品を作ろうとしても、
なかなか、お客さまから評価を頂く製品を作り出すのは、難しいことが多かったからなんではないでしょうか。
お客さまに評価していただく製品を作り出すためには、お客さまからの声に耳を傾け、
たくさんの試作品をつくり、たくさんの改良を加えて、やっと完成品が世に出るのです。
それまでに、どれくらい失敗を繰り返して来たのでしょう。
失敗の先に、お客さまに喜んでいただける、製品が生まれるんだと思います。
だから、失敗に恐れず、何回でも挑戦する勇気を失うなと、言いたかったんじゃないでしょうか。
人生を後押ししてくれる言葉。
「こけたら、立ちなはれ。」
それらを象徴して「こけたら、立ちなはれ。」なんと完結で、人生を後押ししてくれる言葉ではありませんか。
PHP研究所の設立。
松下幸之助は、1946年11月に「PHP研究所」を設立して、倫理教育に乗り出したのです。
人の教育が大事たと考え、その人が会社を良くすると考えたのでしょう。
経営の神様。
「電気の神様」ではなく「経営の神様」と呼ばれる訳。
松下幸之助と言うと、「経営の神様」と言う呼び方をされます。
電気の達人なので、本来は「電気の神様」じゃないかと思うのですが、「電気の神様」じゃなく「経営の神様」なんです。
それを裏付けるように、こんな事も言っています。
「松下電器は先ず人をつくり、それから電器をつくる。」
また、松下幸之助は、赤字を許さなかったと言います。
「赤字は人間で言えば、血が垂れ流しになっているのと同じだ。
早く血を止めて、輸血をしろ!」と言って、経営にこだわりを示していました。
そんなところが、経営の神様と言われる所以なんでしょうか。
「【経営の名言】経営の神様、松下幸之助の失敗の極意とは。」への4件のフィードバック
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