ピンチはチャンス。
人生を順風満帆に歩みたいと、誰もが思う筈です。
しかし、順風満帆に歩んでいた積もりだった人生で、
「何でこんなことになってしまったんだろう」と、
人生を歩んでゆく中で、なりたく無いですが、そんな事態になることがあるかもしれません。
そのピンチのプレッシャーに押しつぶれそうになって、
自信を失くしてしまった時、これが「ピンチはチャンス」だとは、なかなか思わない筈です。
しかし、世の中の賢人たちは、そんな時に、チャンスの芽が出ているのを見逃さないのです。
ピンチはチャンスは誰の言葉に由来する?
大橋武夫さんの言葉だった。
この「ピンチはチャンス」の言葉は、大橋武夫さんが残した言葉です。
大橋武夫さんは、明治39年に愛知県で生まれ、陸軍中佐として従軍した後、
戦後38歳で、日本通運の運転手として仕えた後、東洋精密工業の経営者として活躍しました。
その後、独特の経営論の名言集などを表わし、経営コンサルタントとして活躍しました。
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ピンチはチャンスの由来は孫子の『兵法』
孫子の『兵法』をビジネスの世界へ。
陸軍時代の経験から、孫子の『兵法』に詳しく、社長退任後、戦時中に身につけたことを、
ビジネスの世界でも役立つだろうと思い立ち、分かり易く『兵法』を解説する塾を開催したのです。
「ピンチはチャンス」は、孫子の兵法に出て来る教訓を、誰にでも分かり易く説明した名言だったのです。
彼の著書は『座右の銘 ピンチはチャンスなり』が刊行されています。
そんなピンチに立ち向かった、賢人たちの名言があります。
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ロベルト・バッジョの名言。
「PKを外すことが出来るのは、PKを蹴る勇気を持った者だけだ。」
有名なイタリアのサッカー選手、ロベルト・バッジョの名言です。
この言葉は、1994年のワールドカップアメリカ大会決勝戦の、PK戦で生まれたものです。
PKを外してしまったことで、イタリアは敗北し、イタリア国内から非難される局面で、
この逆境から立ち直り、この経験を生かして、次の機会には同じ失敗を繰り返さないために、
自らを鼓舞するために、この名言が生まれました。
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偉大なるポニーテール!
ロベルト・バッジョ は、ファンタジスタ。
ロベルト・バッジョは、セリエA通算ゴール205得点で、歴代5位「イタリアの至宝」「偉大なるポニーテール」と称され、
ファンタジスタの象徴的存在として知られている、偉大なサッカー選手なのです。
アメリカワールドカップの前年の、1993年にバロンドールを受賞し、国民の期待は高まっていました。
しかし、大会直前に右足のアキレス腱を痛めてしまい、万全な状態でなく、1994年のワールドカップを迎えたのでした。
イタリアは、1勝1敗で辛うじて、決勝トーナメントに進出しますが、
無得点と精彩を欠く、ロベルト・バッジョへの風当たりは、激しくなったのです。
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PK戦を外したロベルト・バッジョ。
アメリカワールドカップの優勝を逃したイタリア。
しかし決勝トーナメントでは、本来の姿を取り戻し、酷評から一転し救世主となりましたが、
準決勝で右足ふくらはぎを痛めたまま、ブラジルとの決勝戦を迎え、強行出場したももの精彩を欠き、PK戦となりました。
ブラジルがリードを保ったまま、最終キッカーである、ロベルト・バッジョの番になりました。
彼の蹴ったボールは、ゴール左上に、遥か高く打ち上げたことにより、イタリアは優勝を逃がしたのでした。
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ロベルト・バッジョのPKを外した名言。
「PKを決めても誰も覚えていない。外したら誰もが忘れない。」
「僕のプライドはずたずたに傷つけられた。」
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FIFAワールドカップでPKを外したロベルト・バッジオの名言。
「Peanuts」スヌーピーの名言。
スヌーピーの言葉が心に沁みる。
「Peanuts」は1950年にアメリカの漫画家、チャールズ・M・シュルツが新聞連載を始めた時のコミックです。
そのコミック誌の発行部数は4億部を超えています。
題名の「Peanuts」は、ピーナッツでも食べながら、気楽に読めるマンガとして付けられた説があるようですが、
作者のシュルツはこれを否定していたそうです。
登場人物のチャーリーブラウンは野球が大好きで、監督兼ピッチャーですが、彼のチームはいつも負けてばかりです。
ピンチになると仲間たちが、ピッチャーズマウンドに駆け寄って彼を励まします。
彼はどんなに打たれようが、どんなに三振しようが諦めません。
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チャーリーブラウンは諦めない少年。
チャーリーブラウンの珠玉の言葉。
そうです。チャーリーブラウンは、どんなにピンチになろうが、決して諦めない少年だったのです。
平和で和やかそうに見える、スヌーピーやチャーリーブラウンの世界でも、
人間界と同じような悩みを抱え、時にはピンチに見舞われる事だってあるのでしょう。
そんな時、彼らは、彼らなりに考えた答えを見つけているのでした。そんな珠玉な言葉があったのです。
「配られたカードで勝負するしかないのさ」(スヌーピー)
「時々、あなたはどうして犬なんかでいられるのかと思うわ、…」というルーシーの言葉に対して、
スヌーピーが返した言葉が「配られたカードで勝負するしかないのさ・・・それがどういう意味であれ」と言う言葉だったのです。
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メジャーリーガー、イチローの名言。
イチローの名言。
「壁と言うものは、出来る人にしかやって来ない。超える可能性のある人にしかやって来ない。」
ピンチはチャンスでしかなく、乗り切るべき壁も、乗り越えられることが出来る人にしかやって来ないのです。
これは仕事の場面であると思います。難しい仕事と言うものは、誰にでも出来るものではありません。
やはり、この人なら出来ると上司が認めた人にしか、その仕事は回って来ないのです。
そして、その困難な仕事をやり遂げた時、やはりあの人だから、あの仕事は出来たのだ、
やはりあの人に仕事を任せて、良かったとなるのです。
常に球界のトップを、ストイックに走り続けて来た、イチローさんだから言える言葉だと思いませんか。
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ヘレンケラーの名言。
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「人生はどちらかです。勇気をもって挑むか、棒に振るか。」
ヘレンケラーは、アメリカの教育者で1880年~1918年を生きた人です。
2歳の時に髄膜炎を患い、視力、聴力、言葉を失いましたが、世界各地を歴訪して、
障がい者教育や福祉の発展に尽力を尽くした人で、日本へもやって来ました。
そんな厳しい境遇にも関わらず、障がい者を支える仕事を生涯を通してしていました。
そんな、彼女の生涯が映画化された『奇跡の人』は、多くに人に感銘を与えたのです。
サリバン先生とヘレン ふたりの奇跡の4か月 / デボラ・ホプキンソン 【絵本】
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ローマ教皇、ヨハネ・パウロ2世の名言。
ヨハネ・パウロ2世の名言。
「未来は今日始まる。明日始まるのではない。」
ヨハネ・パウロ二世は、ローマ教皇で、1920年~2005年を生きた人です。
カトリック教会の聖人で、1978年~2005年まで、教皇を務めました。
若い頃の私は、仕事を与えられると、明日から頑張ろうと思っていたのです。
今日は適当に流して、明日から仕事に取り掛かろうと思っていました。
そんな私の邪推な心を見透かすように、「明日と言う日」は来なかったのです。
明日が今日の延長線上にあるのなら、今日を頑張らない人に、明日は来ないと思い知らされたのです。
世界を愛で満たすために ヨハネ・パウロ二世100の言葉 [ ヨハネ・パウロ2世 ]
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教皇それとも法王。
「教皇」と「法王」の違いって何?
いつも分からなくなるのが「教皇」と「法王」って何が違うのだろうと言うことです。
教皇とは、ローマ法王やポープと呼ばれ、ローマカトリック教会の最高位の司教。法王とは、教皇と同じ意味の呼称のようです。
どちらも同じ意味ですが、翻訳の問題で2種類存在しています。
カトリック教会は、教皇を正式名称とし、日本政府は法王を正式名称としているのです。
このような呼称の棲み分けが成される以前は、
法王と訳されることが多かったため、メディアでは原則、法王を用いる事が多いようです。
聖霊 生命の与え主 教皇ヨハネ・パウロ二世回勅 (ペトロ文庫) [ ヨハネ・パウロ2世 ]
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経営の神様、松下幸之助の名言。
松下幸之助の名言。
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「ピンチから這い上がるチャンスは、ピンチになる前に考えていたことからは生まれない。苦しみに鍛えられ、それが薬となって、次の対策が生まれる。」
松下幸之助は、1894年(明治27年)に、和歌山県で三男として生まれました。
父親が米相場で失敗して破産、その後一家は下駄屋を始めましたが、父親に商才がなく、
幸之助は小学校を中退し、9歳で丁稚奉公に出て、多くの従事を積むのでした。
後に、奉公先を自転車店へ移し、自転車商売の原点を学ぶのでした。
明治43年に、大阪に市電が開通し、電気で走る「路面電車」に衝撃を受け、
電気事業の将来性を感じ取り、電気の世界に入り込みました。
16歳で大阪電灯(現、関西電力)へ入社すると、電球の取り替えの不便さを改良する、ソケットの考案をするのでした。
そして大正6年に、手持資金95円で独立狭い借家を工場にして、
妻と、妻の弟(井植歳男:戦後、三洋電機を創業)などと、
改良ソケット製造を始め、それが現在の「パナソニック」に繋がっているのです。
松下幸之助の見方・考え方 ビジネスの王道はこうして歩め! 永久保存版 [ PHP研究所 ]
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こけたら、立ちなはれ。
そんな、松下幸之助が、失敗に関する名言を残しています。
「こけたら、立ちなはれ。」
「とにかく、考えてみることである。工夫をしてみることである。そして、やってみることである。失敗すればやり直せばいい。」
人生心得帖/社員心得帖 (PHPビジネス新書) [ 松下幸之助 ]
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本田宗一郎の名言。
本田宗一郎 夢を力に 私の履歴書 (日経ビジネス人文庫) [ 本田 宗一郎 ]
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「人間に必要なのは困ることだ。絶体絶命に追い込まれた時に、出る力が本当の力です。」
本田宗一郎は、1906年(明治39年)に静岡県浜松市で生まれ、
1922年(大正11年)東京本郷湯島の自動車修理工場「アート商会」へ入社し、
その6年後に、のれん分けをしてもらい、浜松市で支店として独立、1948年本田技研工業を設立したのです。
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スーパーカブの大ヒット。
本田技研工業は、最初は二輪車のバイクから始め、「スーパーカブ」が大ヒットしました。
その後四輪車に移行し、数々の名車を生み出しラリーレースにも参戦しました。それも、本田宗一郎、一代でやり遂げたのです。
「無」から「有」を生み出す仕事は、多くの困難に直面する事でしょう。
それを乗り切るために、出て来た言葉のように思えます。
「必要は発明の母」と言う言葉があります。人は必要に迫られないと、なかなか行動を起こさないのかもしれません。
「困ること」を解決するために、知恵を絞ったり、努力を重ねたりするものじゃないでしょうか。
困ったことが生じないのは、きっと、大事なものから、目を反らしているのではないのでしょうか。
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