スティーブン・スピルバーグの、人生とお金と映画の名言。




スピルバーグの人気映画。

スティーブン・スピルバーグの名作の数々の中で、人気映画ランキングがあるそうです。

私たちをワクワクさせる、魔法のような映画の中でも、トップ3は、このようになっているようです。

第1位『ジェラシック・パーク』第2位『E.T.』第3位『ジョーズ』



第1位『ジェラシック・パーク』



琥珀の中の蚊の血から、恐竜を作り出す発想。

『ジェラシック・パーク』シリーズの作品は、恐竜映画として確固たる地位を築いたんじゃないでしょうか。

そして、スピルバーグ監督は、後編の『ロストワールド』まで作ったんです。

この作品の発想の凄さは、琥珀の中の蚊から、恐竜の血を取り出し、

これを現代の生物と組み合わせることで、太古の恐竜を復元させると言う発想の凄さです。

どんな考えを持ったら、こんなドラマチックな発想が生まれるのでしょう。

この映画は、観客を一瞬にして、ワクワクとした気持ちにさせてしまいました。

ジュラシック・ワールド 炎の王国/スティーヴン・スピルバーグ製作総指揮コリン・トレボロウ製作総指揮マイケル・クライトンキャラクター原案坂野徳隆





第2位『E.T.』



宇宙人とエリオット少年の友情。

宇宙人とエリオット少年との友情を描いた、人気の作品です。

『E.T.』と言うと、人差し指を合わせて、友情を表わすポスターのイメージがインプットされていますが、

実際の映画の中には、そのシーンは登場しないのです。

E.T. 宇宙からきたともだち[本/雑誌] (名作映画イラストレーション絵本) / メリッサ・マシスン/原作 スティーヴン・スピルバーグ/監督 キム・スミス/絵





第3位『ジョーズ』


迫りくる鮫のBGM。

ジョーズと言えば、あの鮫が迫りくる際の、BGMが恐怖心を誘います。

映画に登場する巨大な鮫は、実際には、あのサイズの鮫は存在しないそうです。

鮫の怖さを知らしめた作品になりました。

そして、私の好きな『インディージョーンズ』は第4位だったそうです。

考古学教授で、トレジャーハンター、ジョーンズ博士の大冒険物語で、

博士の父親が持っていた、あの分厚い手帳に書かれた、謎が気になって仕方がありませんでした。

スティーヴン・スピルバーグ (フィルムメーカーズ 期待の映像作家シリーズ) [ 南波克行 ]




スティーブン・スピルバーグの名言。



お金の名言。

「僕の人生において、お金なんてどうでもいいんだ。」

Money to me is not factor in my life

お金は大切なものですが、それ以上に大切なものが、スティーブン・スピルバーグにはあったから、こんな言葉を語ったんじゃないかと思います。

お金より大切なもの、それは何なのでしょう。

たぶん、それは映画で、映画を作るためのイマジネーションや、発想力が一番大切なことを実感したから、こんなことを言ったんじゃないでしょうか。

一見すると、お金は有り余っていて、お金のことなんか考えなくても、良い生活が送れるとも、読み取れますが、

映画の発想を考えるのは、並大抵のことでなかった筈です。

だから、こんな言葉で表したのではないでしょうか。

スピルバーグその世界と人生 [ リチャード・シッケル ]



スティーブン・スピルバーグの名言。



映画と人生の名言。

他にも、スティーブン・スピルバーグは、こんな名言を語っています。

「映画の撮影前、僕は常に4つの映画を見る。それは『七人の侍』、『アラビアのロレンス』、『素晴らしき哉、人生』、『捜索者』になることが多い。」

黒澤明作品を一番に挙げて呉れているのは、日本人としては嬉しい限りです。そして、巨匠・黒澤明の業績を再認識しました。

「『E.T.』は、僕の両親の離婚をテーマに、話を書こうとして始まったんだ。」

子供のとって、親の離婚がどんなトラウマになっているのか、考えさせられる言葉です。

「失敗とは避けられないものであり、成功とは手に入れにくいものだ。」

人は失敗しないで、生きて行くことは出来ないと、言って呉れているようです。

名監督の技を盗む! スピルバーグ流監督術 [ クリストファー・ケンワーシー ]


スティーブン・スピルバーグの人生。




両親の離婚が彼の人生に大きな影響を与えた。

スティーブン・スピルバーグは、アメリカ合衆国の映画監督で、映画プロデューサーで、

フォーブス誌の「アメリカで最も裕福なセレブリティ」の2位に選ばれた人物です。

彼は、1946年にオハイオ州のシンシナティで、ウクライナ系のユダヤ人の家庭で生まれ、アリゾナで育ったのです。

父親は電気技師、母親はピアニストで、後にレストラン経営をします。

ユダヤ人であった他に、ディスレクシア(失読症もしくは難読症)のため、

同級生より、読み書きの習得スピードが遅かったことで、いじめを受けたこともあったようです。

また、両親が離婚したことで、これらのことが、後の作品に、大きな影響を及ぼすことになるのです。


初めて観た映画は、『地上最大のショー』


初めて映画を観たのは5歳の時『地上最大のショー』だったそうです。

幼いころから8ミリカメラで、自主的な映画を作っていたようです。

映画に興味を持ったのは、13歳の頃に、家族旅行で父親から8ミリカメラの撮影を頼まれたことが、きっかけだったそうです。

1965年、カリフォルニア州立大学ロングビーチ校で、映画を専攻。

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スピルバーグの作品。

1971年。『刑事コロンボ』の第3作『構想の死角』で、監督を務め、同年、テレビ映画『激突』が好評になったのです。

1975年、『ジョーズ』公開。1977年『未知との遭遇』、

1980年代になると。『インディー・ジョーンズ』シリーズが公開され、考古学教授でトレジャーハンターの大冒険が話題となりました。

1993年『ジェラシック・パーク』公開。

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ウォルト・ディズニーこそ生みの親。

スティーブン・スピルバーグの作品に於いて、ディズニー映画は、初期の作品に様々な影響を与えているようで、

彼自身も雑誌のインタビューで、こう語っています。

「ウォルト・ディズニーこそ、僕の生みの親で、テレビは育ての親だ」。

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