永禄12年。三好一党の襲撃を受けた将軍足利義昭のために、織田信長は、二条城建設に着手し、築城が進んでいました。
工期が2ヵ月と言う短期間での工事であったことから、
京の都じゅうの、神社仏閣から、築城に関わる礎石や、調度品を集めさせていたのです。
永禄12年。三好一党の襲撃を受けた将軍足利義昭のために、織田信長は、二条城建設に着手し、築城が進んでいました。
工期が2ヵ月と言う短期間での工事であったことから、
京の都じゅうの、神社仏閣から、築城に関わる礎石や、調度品を集めさせていたのです。
永禄11年9月。ついに足利義昭は、信長と共に上洛を果たし、室町幕府、第15代将軍に就任したのです。
そして、その上洛には光秀も同行していました。
そして、明智光秀は、将軍・足利義昭の奉公衆となり、高い地位を得ていたのです。