フランスにフレンチがあり、イタリアにイタリアンがありますが、イギリスにはおいしい料理がないと、よく言われています。
イギリスの料理の代表格と言えば「フィッシュ&チップス」を思い浮かべる人が、ほとんどなんじゃないでしょうか?
そんな「フィッシュ&チップス」にまつわる雑学です。
開高健のフィッシュ&チップス
まず最初に食べたいものとして、揚げたて熱々の、フィッシュ&チップスを紹介していました。
そのフィッシュ&チップスは、ニュースペーパーに包んで、提供されるのがイギリスらしいと話していた中で、
開高さんは、このニュースペーパーは、ディリー・テレグラフや、ガーディアンなどの、クオリティーの高い一般紙ではなく、
低俗な大衆紙やゴシップ紙の新聞が良いんだと、軽口を叩いていたのを思い出します。
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フィッシュ&チップスは国民食?
フィッシュ&チップスは、イギリスの「国民食」と言われいていて、イメージでは、日本の寿司や天ぷらに近いようです。
フィッシュチ&ップスは、タラなどの白身魚のフライに、棒状のポテトフライを添えたものです。
この料理は、ユダヤ人の食文化に由来しているそうです。
魚のフライはユダヤ人セファルディ系の移民が、安息日に食べていた料理をイギリスに持ち込んだもので、
その販売業はロンドンに住んでいた、ユダヤ人を発祥としていました。
フィッシュ&チップスと、その?店から漂う独特の匂いは、ヴィクトリア朝期に、ユダヤ人差別の象徴だったようです。
これを食べていたのが、キプロスやイタリアからの移民の労働者たちで、
イギリスの上層、中層階級からは、軽蔑の目を向けられたいたそうなんです。
それでも、フィッシュ&チップスは、根強くイギリスの食生活の中で、絶えることなく食され、国民食になったようです。
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第一号店「ジョセフ・マリン」
イギリス人のソウルフードであり、イギリスの伝統的ファストフードの「フィッシュ&チップス」。ですが、
その第一号店が誕生したのは、1860年のロンドンの下町イーストエンドにあった「ジョセフ・マリン」と言うお店だと言われています。
19世紀中頃のイギリスでは、既に魚のフライとポテト・チップスが店舗で販売されていましたが、
「ジョセフ・マリン」は、その2つをドッキングさせ、「フィッシュ&チップス」として売り出しました。
折しも産業革命期の労働者は安価で、すぐに食べられ、さらに腹持ちの良い食事を求めていたのです。
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産業革命とフィッシュ&チップス
「フィッシュ&チップス」が普及した背景には、産業革命により、急速に整備された鉄道輸送が寄与していて、
ミッドランド・ディストリクトや、リンカンシャーなどの地方から、ジャガイモと魚が大都市に運ばれることにより、
食文化として成立することになったのです。
産業革命以前は、新鮮な生魚を、遠方に輸送する手段は存在しませんでした。
鉄道網の整備と蒸気船の登場により、ロンドンなどの大都市に、迅速に鮮魚を輸送することが可能となったのです。
また、生魚の保存に役立つ冷凍技術が発達し、1880年代に導入されたトロール漁業によって、
多量の魚を獲ることが可能となった事も関係しています。
こうして、イギリスの工業化の進行とともに「フィッシュ&チップス」は、広くイギリス国民に浸透していき、
フィッシュ&チップスは、イギリス国民にとっての最初の外食産業となり、
1930年代になると、中流階級もフィッシュ&チップスを食するようになります。
そして、井戸端会議の集会場や、若者のたまり場として、
フィッシュ&チップスは、都会の労働者階級の社交場としての地位を、確立するようになるのです。
パブの衰退と同時期に、パブよりも健全な、たまり場であるフィッシュ&チップスの台頭が始まったのです。
と言うことで、「フィッシュ&チップス」は、産業革命を支えた要因の一つだったかもしれません。
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イギリス国民のソールフード。
20世紀の初頭、ロンドンには約1200軒のフィッシュ&チップスのお店が存在していたと言われています。
フィッシュ&チップスは庶民にとっての最初の外食産業であり、やがて、「庶民の憩いの場」として広く親しまれていきました。
1913年には、英国国際フィッシュ&チップス協会が設立され、フィッシュ&チップスのレシピや、調理法が確立されます。
第二次世界大戦下でも、数少ない配給食糧として市民に提供され、
戦後になってもイギリス国民のソウルフードとして、根強い人気を得ていくのです。
1970年代のロンドンには、フィッシュ&チップスの店が多く現れ、町中に屋台が建ち並んでいました。
70年代の初頭には夕方になると、新聞紙に包まれたフィッシュ&チップスを手に、
労働者たちが帰宅する光景が見られるようになります。
また、70年代から80年代のロンドンでは、
地下鉄やバスの乗務員として多く雇用された、
カリブ系黒人女性が、夕食にフィッシュ&チップスを持ち帰る姿が、しばしば見られるようになります。
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フィッシュ&チップスと新聞紙
フライは白紙で包まれ、白紙の外側に、油分を吸収する新聞紙が巻かれた状態で提供されるか、
あるいは、円錐状に丸められた新聞紙に、入れられて渡されることも多かったようです。
包装紙に包まれたフィッシュ&チップスを渡された客は、
歩きながら、あるいはどこかに腰かけて、フライを指でつまんで食べるのが一般的です。
パブやイスとテーブルが置かれた、フィッシュ&チップスの店では、皿に載せて供されます。
イギリスでは、伝統的にフィッシュ&チップスには、酢と塩をかけて食べます。
酢はモルトビネガーや、オニオンビネガーが使用され、醸造されていない、安価な調味料がかけられることもあります。
付け合せにはマッシーピー(Mushy peas、潰した緑色の豆)が一般的で、
テーブルが置かれた、フィッシュ&チップスの店とパブでは、
通常料理と一緒に輪切りのレモン、酢と塩とソース類が出され、客は好みで、味付けが出来るようになっています。
イギリス国民のソウルフードとして、永く親しまれてきたフィッシュ&チップスですが、
昨今の食の多様化や地域コミュニティの崩壊などで、地域の人々に支えられてきた家族経営の店は、姿を消しているようです。
現在イギリス国民は、週1〜2回はフィッシュ&チップスを楽しんでいるそうで、
イギリスでは、フィッシュ&チップスは毎年2億2900万食が食べられています。
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フィッシュ&チップスの危機と受難
そんな「フィッシュ&チップス」ですが、2022年危機に悩まされています。
その受難は、英国の欧州連合(EU)離脱から始まったようで、
2022年のイギリスに認められた、北極圏におけるマダラの漁獲量は、ブレグジット(英のEU離脱)前の40%程度にまで減少しました。
更にロシアのウクライナ侵攻で、燃料と電力料金が上がり、
魚を捕まえるにも、揚げるにもコストが増大し続けたほか、戦争で食用油や肥料、小麦の価格も上がっています。
マダラとコダラは、ノルウェーとロシアの北方にあるバレンツ海が漁場となっており、
戦争によって、この地域での漁獲量がどうなるか、不透明感が強まっているそうです。
2022年3月には、イギリス政府が対ロシア制裁の一環として、ロシア産白身魚を、35%の関税適用対象に加えると発表。
ただ現在は影響を調査するとして、実施は保留されています。
一方ひまわり油は、イギリスがウクライナから輸入している主な農産物で、
イギリス政府は、他の植物油で代替する対策に取り組んでいるようで、「フィッシュ&チップス」の受難が続いているようです。
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「イギリス産業革命とフィッシュアンドチップスの歴史と雑学」への1件のフィードバック
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