永禄12年夏。明智光秀は美濃へ旅立つ準備をしていました。
そんな中、将軍の御座所へ、駒がやって来たのです。「駒殿は何用で?」すると「公方さまがお待ちで…」と声が掛かります。
「公方さまがお待ちかね?」と、いぶかる光秀でした。その日、駒は丸薬で稼いだ金を持ち、登城したのです。
そして、将軍・足利義昭も、駒と会うのを愉しみにしているようで、二人で隠れて、蛍を見に行くのでした。
美濃・岐阜城に、信長に会うために光秀がやって来ます。
信長は越前の朝倉義景と一戦を交えねばと考えていますが、将軍・足利義昭(公方さま)は、朝倉に恩義がある為、戦は好んでいません。
帰蝶との再会。
信長に会うため通された部屋にいたのは、信長の嫡男・奇妙丸でした。そこへ帰蝶がやって来ます。久し振りの対面でした。
「十兵衛、懐かしいの~」すると、奇妙丸が、これが泣き虫の十兵衛かと発し、帰蝶が光秀のことを「泣き虫十兵衛」と奇妙丸に、教え込んでいたことが発覚します。
帰蝶が発します。「信長さまも、随分お悩みのご様子、なにとぞ良しなに」
光秀は「帰蝶さまは、朝倉との戦いをどう思われますか」
すると、帰蝶は、我が兄の子龍興が朝倉をそそのかした、としたうえで、朝倉との小競り合いが続いていることを踏まえて、
「京が一時穏やかになったとて、足元の美濃に火が付けば、全てまた、一から始めねばなりますまい」と語った後、
光秀に、きっぱりとこう告げるのです。
「それゆえ、私は申し上げました。朝倉をお打ちなされませと」
朝倉討伐に悩む織田信長。
庭で、鷹を愛でる信長がいました。「朝倉は一人では勝てぬ。何か良い手はないか?」史実でも信長の鷹好きは知られています。
「帝の御所の、崩れていた塀が見事に修復されていました。」
それに対して信長は、父信秀が御所の塀の修繕に、4000貫出していたことに触れ、信長が父上への供養だと思って、やった事だったのでした。
「帝はこの戦をどう思っているのか聞いて見たいものよな」
それに対して光秀は「認められなければ、信長さまは、一人で戦うことになるでしょう。叩けば門は開くかもしれません。」
光秀が家族との再会。
この岐阜城には信長が、光秀の妻と2人の娘を呼び寄せて呉れていました。3人に再開した光秀は「明日の早朝、京に戻る」
妻は「私どもも京へ、お呼びいただけないでしょうか。戦に出るのをお見送りしたい。十兵衛さまの出陣を、お見送りしたいと思います」
「京へ、騒がしき都へ、京へ来るか」
正親町天皇(坂東玉三郎さん)と東庵医師(堺正章さん)が、碁を打ちながら、信長の人物像について語っていました。
東庵は語ります。「信長は曲がりなりにも、上洛を果たしました。見るべきところはあると。」
この場面では、天皇の御姿がはっきり出て来ませでした、意図的なんでしょうか。
信長が帝(正親町天皇)に謁見。
永禄13年2月。京の内裏。そこには帝に拝謁する信長の姿がありました。
拝謁が終わり、控室に戻ってきた信長は光秀に対して「帝は破格の扱いをしたのだ。」
「わしを、良くご存じであった。今川、摂津との戦いを、いずれも見事と仰せになられた。当代一の武将だと、お褒め頂いた。」
「帝がわしの修復にありがたいと。天下静謐のためにいっそう励めと」「この都、畿内を平らかにすべし」と、
「そのための戦ならやむなしと、戦の勅命を頂いたのだ」と、言われたことを披露したのです。
帝に拝謁後に、褒められたと無邪気に喜ぶ、信長の姿がありました。
こうして信長は、朝倉義景(ユースケ・サンタマリアさん)を、討つための大義名分を、正親町天皇から得ようとしたのです。
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幕府内に協力者がいない信長。
帝からの勅命を頂いた信長でしたが、幕府内では、摂津晴門が悪者ですが、三淵藤英(谷原章介さん)の、不審な挙動が目に注がれます。
摂津晴門が、朝倉義景の嫡男・阿君丸毒殺に、三淵藤英が関与していたことを、暴露しました。
毒殺を指示したのは三淵藤英で、その毒薬を運んだのが、摂津晴門の家臣だった事が判明したのです。
朝倉義景の嫡男を殺して、義景の上洛意欲を削いだうえで、信長を頼ったにもかかわらず、
今回の、朝倉攻めに対しては、公方さまは朝倉の世話になったので、大義名分が必要だと、強硬に拒絶するのでした。
三淵藤英は、「幕府は京を守らなければならない。我々は京の外へ、一歩も出る積りはない」
4月。妙覚寺。諸国の兵を引き連れて、信長が叫びます。
「出陣じゃ!」
「『麒麟がくる』ネタバレ名言セリフ第30話~朝倉義景を討て。」への2件のフィードバック
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