三國清三の自伝的エッセイ『三流シェフ』鍋洗いの言葉と名言




三國清三シェフの自伝的エッセイ『三流シェフ』の名言

2022年12月16日の「グッドモーニング」で、玉川徹さんの取材で取り上げられたのが、

料理界のカリスマ・三國シェフの自伝的エッセイ『三流シェフ』でした。

そして、自身がオーナーシェフを務める、東京・四ツ谷の『オテル・ドゥ・ミクニ』を2022年12月で閉店すると言う内容でした。

三國清三さんと言えば、フランスのミシュランレストランで修行をして、

フランス最高勲章を受章し、フランス料理人の達人と言われる人物です。

そんなカリスマが、オーナーシェフを務める、東京・四ツ谷の『オテル・ドゥ・ミクニ』を何で閉店するのか?

そして彼が如何にして、一流シェフに成れたのか、その秘密を明かしたのでした。

三國清三さんシェフを目指す。


三國清三さんは1954年、北海道増毛町で生まれます。その生い立ちは貧しく、両親は半農半漁で兄弟は7人でした。

三國さんは「たまに学校に行くと、先生に帰って家の手伝いをしろと言われるほど貧乏だった」と振り返りました。

小学2年生の頃から、漁師の父親と漁に出たそうで、中学卒業後、米店で働きながら、夜間の調理師学校へ通い始めます。

この米店で運命の料理、ハンバーグと出会います。そこの娘さんから手作りのハンバーグを食べさせて貰います。

そのハンバーグの美味しさに魅了されますが、娘さんは札幌にはもっとおいしいハンバーグがあることを教えて貰います。

それが札幌グランドホテルのハンバーグだと言うのです。

ある時、調理師学校のマナー研修が、札幌グランドホテルでありました。

その時、三國清三さんはホテルの厨房に行き、このホテルで働きたいことを青木料理長に訴えたのです。

当時中卒を採用していなかった、札幌グランドホテルが採用した理由について、

恩師の青木さんは「求めてるものを絶対進みたいと思って僕に目でしがみついてきた」と話されました。

その後、レストランの厨房で鍋洗いが日課になり、特例で社員と認められたのです。

それを可能にしたのが、厨房での皿洗い、鍋洗いだったのです。

その寸暇も惜しまず、一心に鍋を洗う三國さんの仕事ぶりを、見ていて呉れた人がいたのです。

その後、レストランのメインダイニングに配属され、シェフの花形である、ワゴンサービスも任されるようになったのです。

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料理の神様に出会う。


三國シェフは料理長の青木さんから、東京に「料理の神様」がいると言う話を聞きます。

その神様は、東京オリンピックでの選手村の料理長も務めた、帝国ホテルの総料理長の村上信夫さんでした。

青木さんに紹介され、会いに行って得た仕事は、洗い場のパートタイムだったのです。

昨日まで、札幌グランドホテルで、花形のワゴンサービスも任されていた自信が、へし折られた瞬間でした。

それでも三國さんは諦めません。

何とか村上信夫総料理長に自分を知って貰いたいと、

総料理長の行動を観察し、トイレに行くタイミングを合わせて、隣に並んで、連れしょんをする手段に出たそうです。

その後、総料理長の番組収録に押しかけ、頼まれてもいないのにアシスタントになったそうです。

その2年後、辞めることを決意し、ホテル内18のレストランすべての鍋洗いを続けていました。

しかし、帝国ホテルの社員にはなれなかったようです。

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スイス大使館の料理人へ。


レストランの洗い場を始めて3か月後、総料理長に呼び出されスイス行きを勧められます。

三国さんはその勧めを受け入れ、在スイス日本国大使館料理長になるため、スイスへと旅立ちます。その時20歳でした。

しかし帝国ホテルでは、洗い場のパートタイムだったため、料理を作らせて貰う機会が一切無かったのでした。

帝国ホテルでは、先輩たちが作るフランス料理を見ていましたが、

実際に作ったことはないばかりか、正式なフランス料理を食べたこともなかったのです。

在スイス日本国大使館では、シェフは三國さん一人だったそうです。

そこでの最初の仕事は、アメリカ大使を招いての晩餐会でした。



三國さんはアメリカ大使のひいきのお店で1週間の研修を受けて、

晩餐会当日、朝から下ごしらえを始め12人分の料理を一人で作り、初の晩餐会は成功に終わったそうです。

晩餐会後、大使から「アメリカ大使が不思議がっていた。何で自分の好物ばかりだったのか」と言われたそうです。

その後もスイスで修業を重ね、食通の間で話題のレストランを訪ねます。

そして天才と呼ばれたフレディ・ジラルデに弟子入りしました。なんとか食らいつこうと、鍋洗いをしました。

三國さんは「前に進むしかなかった。厨房で鍋を洗うのは僕の原点の原点」とおっしゃっていました。

三國さんは公邸料理人の任期を終えても、フレディ・ジラルデの元で学んだ後、フランスに渡ります。

そこで、ミシュランの三ツ星レストランを渡り歩き、

厨房のダ・ヴィンチと呼ばれたアラン・シャペルのお店で働き研鑽を重ねたのです。

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「オテル・ドゥ・ミクニ」開店


1982年に帰国し3年後、東京四谷の住宅街に「オテル・ドゥ・ミクニ」をオープンしました。

その当時、友人の多くが反対したそうです。

近所に一軒の飲食店もない、夜は真っ暗な住宅街にフランス料理店を開業するなんて。

しかも駐車場もないときている。お客さんが入るわけないだろう、と。

しかし、三國さんは住宅街の奥まった場所にあったその建物を、一目で気に入ります。

控えめだが温かみのある洋館。敷地内の樹木のたたずまいも良かったそうです。

その言葉通り「オテル・ドゥ・ミクニ」は、中央・総武線を四ツ谷駅で下車し、

四谷見附を左折して、外堀通り沿いを住宅地の方向に歩いて行くと、奥まった場所にそのレストランはあるのです。

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ミシュランの星が取れなかった。


「オテル・ドゥ・ミクニ」は、

本場フランスの伝統を生かしつつ、味噌、米、醤油を取り入れた、日本風のフランス料理を確立し提供したのです。

そのレストランのお客さまは、日本の政財界人や各国の要人、

高倉健さんや、ポールマッカートニーさんら、国内外の著名人にも愛されました。

2013年には日仏首脳会談の総料理長を務め、2015年にはフランス政府から、日本の料理人としては初めて、

レジオン・ドヌール勲章シュバリエを受勲するなど、料理人として輝かしい道を歩んで来ました。

その一方で成しえなかった事もありました。それが「ミシュランで星を取ること」でした。

巣立った弟子たちが星を取るのに、自分の店は80席を連日満席にしても、星がつくことはありませんでした。

『三流シェフ』名言



料理界のカリスマと言われる、三國シェフの自伝的エッセイ『三流シェフ』では、

「苦労する覚悟さえあれば、居場所は見つかる」

「人は人の苦労をそれほど評価しない」

「みんながやりたくないことを機嫌良くやる」

と、そんな言葉がありました。

そして、数々の三國さんの言葉に力を貰えるのです。


前に進むしかなかった。厨房で鍋を洗うのは僕の原点の原点。


お金、学歴がなくても志は平等。捨て身でぶつかれば、必ず道は拓ける。


毎日、僕たちが生きていけるのは、毎日が変化しているからである。


幸か不幸か、僕はあまり物事を知らない。知らないから、固定的に考えないですむ。


その根底には、一流のシェフになるために、どんな時でも料理に接していたいと思い、

「鍋洗い」と言う仕事が一般的には嫌がれれる仕事でも、

先輩料理人から喜んで貰う事で、自身の喜びを見出していたのかもしれません。

この本の中では、父親との漁、ホテルでの鍋洗い、ヨーロッパ修行時代、30歳での開業、

そして、がむしゃらに突っ走って来た三國さんが、

「オテル・ドゥ・ミクニ」を閉店する訳と、これから叶える夢について書かれていました。

「オテル・ドゥ・ミクニ」の店舗は、当初8年間の賃貸契約で借りたものでしたが、その後、買取りました。

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70歳で目指すレストラン


創業から37年営業して来たレストランを、三國さんは68歳にして、この建物を壊し、

一旦更地にした後、客席8人のお店を2年後の70歳に、完成を目指して立て直すと言うことでした。

今までは多くのコックさんウエイトレス、ウエイターを使って経営して来ましたが、

これからは、自分一人で出来るレストランをやりたいと言うことだったのです。

一旦、大きく拡大したものを、縮小するのには大きな決断がいると思いますが、

自分が出来る範囲で、お客さまと直に接する距離で、おもてなしをしたいように思えました。

そして、三國さんが成功して来た根底には「鍋洗い」のキーワードが常にあったのです。

だから“世界のミクニ”は、必死に鍋を磨き続けていたのです。

この本は、雑用こそ人生の突破口だと教えて呉れます。

誰より苦労しても、人の喜ぶことをしする。しかし、その苦労を見ている人は1%にも満たないでしょうが、

そこにはきっと、頑張っているあなたを見ていて呉れる人が、きっといる筈だと、勇気を与えて呉れる本でした。

〈目次〉
はじめに
第一章 小学校二年生の漁師
第二章 黒いハンバーグ
第三章 帝国ホテルの鍋洗い
第四章 悪魔の厨房
第五章 セ・パ・ラフィネ
第六章 ジャポニゼ
最終章 最後のシェフ
おわりに

三流シェフ [ 三國 清三 ]