新紙幣の刷新のニュース。
再び、渋沢栄一が脚光を浴びるニュースが、2019年に流れました。
それは、久々に一万円札が刷新される、ニュースでした。
2024年上期に紙幣が刷新され、渋沢栄一が一万円のお札の顔になる、ニュースが日本中に流れた日でした。
新紙幣の経済効果は?
紙幣刷新の経済効果。
その日、東京証券取引所では、紙幣関連銘柄に買い注文が殺到し、
その中でも、紙幣識別機製造の日本金銭機械と、現金処理機大手のグローリーは、一時、値幅制限のストップ高になりました。
株式相場は、このニュースに敏感に反応しました。
さすがに、渋沢栄一は日本資本主義の父の証しです。
彼が東京株式取引所の設立に、関わった事を考えれば、感慨もひとしお、なんじゃないでしょうか。
また、紙幣刷新による経済効果は、1兆6千億円になると言う、試算も出ています。
渋沢栄一が新紙幣の顔になる理由。
一万円札の顔が、渋沢栄一になる。
では、何故、渋沢栄一が、お札の顔になるのでしょうか。
日本資本主義の功績が、多大なので当然と言えば、当然の気がします。
一万円札の顔には、今まで、聖徳太子、福沢諭吉が担って来ています。そして福沢諭吉になってから、だいぶ時間が経ちました。
今までのお札に顔には、政治家や、文化人が選ばれて来ました。
しかし、幕末から明治維新への移行期で、欧米並みの移行化が行われ、その移行がスムーズに出来たのには、
経済的な下支えが、あったからだと言われています。
その下支えをした第一人者こそが、渋沢栄一だったのです。
そういう意味では、やっと、経済面にも光が当たって来たような気がします。
渋沢栄一は、利益と会社の共生を目指していました。
会社は社会のためにあるのであって、ステークホルダーのためにあるのでは無いと考えました。
渋沢栄一の名言。
論語とソロバンの名言。
そんな渋沢栄一の名言があります。
「論語とソロバンと言うかけ離れたものを、一つにすると言う事が最も重要なのだ」
1916年に出版された渋沢栄一の著書『論語と算盤』は、各地を講演した内容を一冊に編纂したもので、
孔子の言行、「人は如何に生きるか」の、道徳と経済を如何に、調和する事が重要だと説いていて、
企業経営者のバイブルにもなっているのです。
この『論語と算盤』は、大正5年に発行しているようですが、
発行から100年近く経っていることから、当時の初版本が見つかっていないと言います。
渋沢栄一が考えた、会社のあるべき姿。
渋沢栄一は、会社はどうあるべきかを考え、
欧米型の資本主義から、日本型資本主義へ移ってゆく、時代の方向性を目指して、企業のあるべき姿を求めていたのです。
彼をこのような人物に創り上げた背景には、彼の父親が、勤勉な農民でありながら、論語をそらんじていたり、
母親が、優しい人で、人のため世のため、他人の幸せを考える事が出来る人だった事が、影響しているようです。
渋沢栄一の実家は、農商であり、農業をしながら、
一方では、農民から「藍」を買い取り、それを染物屋に売る仕事をしていたようです。
そんな農商の仕事を見てた渋沢栄一は、14歳から実業家の道を歩むようになるのです。
彼は「藍」の葉からできる、藍玉の番付表を作り、生産者の競争心を煽り、
切磋琢磨して良い製品を作り出す、人を巻き込む商才に長けていたようです。
渋沢栄一 才能を活かし、お金を活かし、人を活かす 実業の父が教える「人生繁栄の法則」 (知的生きかた文庫) [ 大下 英治 ] |
渋沢栄一の渡仏が、ターニングポイント。
渋沢栄一のターニングポイント。
渋沢栄一の、ターニングポイントは、1867年にパリ万博のために、フランスを渡仏したことでした。
フランスでは、渋沢栄一の想像を超えた社会が、そこにあったのです。
そこは、フランス資本主義が、開花していた社会だったのです。そして、文明の格差の余りにも大きさに驚いたのでした。
渋沢栄一は、フランスの銀行家から、資本主義の仕組みを学び、経済こそが、世の中を潤す要になることを学んだのです。
当時のフランスは、ナポレオン3世の時代で、経済を潤すものが3つありました。
(1)金融の整備 (2)インフラの整備 (3)人材の育成
渋沢栄一が、日本に帰って来てやったことは、この3つだったのです。
ちょん髷を切り落とした渋沢栄一。
こんな文明の格差を見せつけられた彼は、髷(まげ)を切り落とし、シルクハットにネクタイを締め、ステッキを持ったのです。
そんな、彼の写真が残っています。パリで撮ったのでしょうか、古い社会と決別した表情で写っています。
1年10ヵ月後、渋沢栄一は、フランスから帰国しました。そこは、幕府が崩壊した日本だったのです。
渋沢栄一が凄い勢いで、多くの会社を作る。
帰国した彼は動き出します。
明治2年に静岡県駿河に、「高法会所」を設立。
その成功振りを見ていた、大蔵省のヘッドハンティングにより、日本のために、政府の仕事するよう説得されたのです。
「円」の貨幣制度を作り、33歳の時に、東京兜町に第一国立銀行(現、みずほフィナンシャルグループ)を作り、
銀行紙幣を発行したのです。これは、まだ、日本銀行が出来る前の話です。
渋沢栄一は、「合本主義」を唱えました。
合本主義の目指すものは、社会全体を良くすること。そして、銀行を軸とした、金融インフラを作ってゆくことだったのです。
紙幣の紙が必要になり、王子製紙を作り、インフラを整備するため、
JR東日本(旧国鉄)、東京電力、東京ガス、保険会社、海運会社などを作り、実践する経営者となってゆくのでした。
そして、外国との取引をしてゆくためには、国民の総意が必要だと感じ、日本商工会議所を設立させたのです。
渋沢栄一が手掛けた会社は500社。
渋沢栄一が作った会社は、長寿会社。
このように、凄い勢いで会社を設立させて行きました。その数は500社近くになると言います。
1ヵ月、1社づつ設立させても、40年掛かる計算になります。
そして、渋沢栄一が手掛けた会社は、長寿企業が多いようです。
彼が手掛けた481社の内、現在も存続している長寿企業は296社で、率にして、61%も存続しているのです。
その他、外国からの要人が来日するようになると、それに対応するように帝国ホテルを作り、
日本の良さを知って貰おうとしたり、日本を懐かしく思って貰えるようなサービスをしたのです。
これは、広義のインフラ整備として、人材の確保、育成、養成をしていたのです。
こうして見ると、渋沢栄一は、凄い勢いで事業を実現させて、日本の近代化を牽引しています。
もし、あの時代に、渋沢栄一がいなかったら、
日本の近代化は遅れ、今、私たちが甘受している社会とは、違った社会になっていたかもしれません。
彼は公益のために仕事をしなければならないとして、自分と他者の利益を調和させる考え方として、
「道徳経済合一致」を掲げていました。
大谷翔平選手も読んだ『論語と算盤』
『論語と算盤』
その考えが集約したものが、1916年に出版した『論語と算盤』で、道徳と経済を調和を説いています。
日本ハムファイターズ時代の大谷翔平選手が、
このを『論語と算盤』を読んで、目標設定シートを書いた事で、再び脚光を浴びる事になりました。
ドラッガーが称賛した渋沢栄一の教え。
そして、経営の神様として知られる、ドラッガーは、彼の著書『マネジメント』の日本語版の序文で、
「企業の社会的責任」の先駆者と銘記し、渋沢栄一を称賛しています。
「経営の『社会的責任』について論じた歴史上人物の中で、かの偉大な、明治を築いた人物に一人である。渋沢栄一の右のでるものを知らない」。
今回の紙幣の刷新は20年振りとなるようで、その主な理由は、偽造防止と言う事らしいんですが、もう一つ理由があるようです。
それは、紙幣の刷新を適当なタイミングでやって置かないと、
新紙幣をつくる、技術の継承が、出来なくなってしまうと言う訳です。
確かに、20年に一度の仕事では、紙幣に従事する人が、その仕事に携われるのは、定年までに2回携われるか否かです。
偽造防止で、精度の高い技術を入れて作る紙幣ですので、技術の継承は、欠かせない問題のようです。
「『論語と算盤』の渋沢栄一が、一万円のお札の顔になる。」への3件のフィードバック
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