徹子の部屋の黒柳徹子さん、アンアン創刊50周年の新聞広告!

 

黒柳徹子さんが、新聞広告に出現!

 2020年3月4日の朝刊を見て、ビックリしました。黒柳徹子さんの写真が、新聞の全面広告欄に、掲載されていたからです。

『anan』が、3月4日で50周年を迎えたようなのです。それで、こんな大々的な新聞広告を打ったようです。

 その広告にはこんな案内がなされていました。

anan創刊50周年の広告のパンダ。

ぬいぐるみのパンダと徹子さん。

「anan50th」おかげさまで『anan』は、創刊50周年を迎えました。の文字の下に、たくさんの、パンダのぬいぐるみに囲まれた、黒柳徹子さんの写真が、全面広告で掲載されていました。

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女性のライフスタイル誌。

 大阪万博の年、1970年3月3日に創刊号を発売した『anan』は、日本初のL版サイズ、オールグラビアの「女性ライフスタイル誌」として登場しました。

 月2回刊⇒10DAYS⇒週刊誌と、発行サイクルを変えながら、半世紀の刊行を、続けて来ました。

 常に、その時代の女性の気持ちに寄り添い「流行」「ファッション」「気分」を追いかけて来た雑誌です。

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アンアンの謎を知る、黒柳徹子さん登場。

子供の頃からパンダ好きの、黒柳徹子さん。

 黒柳徹子さんは、子供の頃から、大のパンダ好きだったようです。日本でパンダがまだ知られていなかった頃から、パンダに大変な、興味を持っていたようです。

 『anan』創刊当時の1970年頃、黒柳徹子さんは、ロンドンへパンダの「ムチ」を見に行ったそうです。

 その時、ロシアから「アンアン」と言うオスのパンダがロンドンに来ていたそうです。

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パンダの名前が雑誌名になる。

ロンドン動物園のパンダの名前が、ananの雑誌名へ。

 そのパンダの名前がanan創刊のスタッフの耳に入り、雑誌名の有力候補になっていったようなのです。

 丁度、その頃実施していた雑誌名の公募でも「アンアン」と言う応募があったこともあって、正式に雑誌名として決定したのだそうです。

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子供の頃の思いが、一生の思いになる。

アメリカからのパンダのぬいぐるみから始まった。

 黒柳徹子さんは、子供の頃、叔父がアメリカからのお土産として、パンダのぬいぐるみを、持って帰って来たことをきっかけに、パンダの研究を始めたそうです。

 そのパンダの研究は70年以上に及び、日本パンダ保護協会名誉会長を務めています。

 黒柳徹子さんが、テレビ出演をするようになった頃から、その当時、日本ではあまり知られていなかった、パンダを紹介したそうです。

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日中国交正常化の記念でパンダが来た。

「カンカン・ランラン」

 そんな、黒柳徹子さんの尽力もあって1972年には、日中国交正常化の記念に、2匹のパンダ「カンカン・ランラン」が、日本に初上陸しました。

 そして、東京上野動物園に展示され、一大パンダブームが起きたのです。

 黒柳徹子さんは「日中の国交が回復したので、パンダをお願いして欲しい」と首相官邸に、電話しようと思ったそうです。

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パンダの中継ニュースに映った徹子さん。

パンダ来日初日に、上野動物園に駆け付けた徹子さん。

 また、黒柳徹子さんは、パンダ初来日の日には、仕事のリハーサルを抜け出して、

 上野動物園の裏口でパンダを乗せたトラックの到着を、長時間待っていたそうですが、

 パンダはコンテナの中で、外からは全く見ることが出来なかったと言います。

 更に、それを中継していたニュース番組に、見学に来ていた黒柳徹子さんの姿が映っていた、というエピソードがあるくらいなのです。

 また、1986年に初めて、パンダの名前の公募が始まった時には、当時の鈴木都知事とともに、選考委員を務めました。

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ジャイアントパンダ保護活動。

『世界・不思議発見』

 長年に渡る、ジャイアントパンダの保護活動への功績から、中華人民共和国四川省の成都パンダ繁育研究基地より、

 その年に生まれたパンダの命名権が、初めて無償で与えられたそうで、そのことが2012年9月放送の『世界・不思議発見』の放映で紹介されていました。

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黒柳徹子さんが、70年来の夢を果たす。

夢の始まりはパンダのぬいぐるみ。

 黒柳徹子さんは、子供の頃に、叔父がアメリカからお土産として貰った、パンダのぬいぐるみがきっかけで、

 その後70年という歳月の中で、これだけパンダに関わって、パンダに熱い愛情を捧げ、

 パンダを知りたいと言う夢を実現しているのです。

 そして、その夢がジャイアントパンダの保護活動まで、及んでいるのです。

 これって、凄い事だと思いませんか。そして、これは、誰にでも出来る事ではありません。

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徹子さんのパンダの夢が、ananにも受け継がれている。

 そこには、子供の頃抱いた、多くに人にパンダの存在を知らせたいと言う思うが、詰まっているように思います。

 そして、その思いは、ananにも共通していて、『anan』の裏表紙の上の方に、創刊以来、イラストレーターの大橋歩さんが描くパンダが、今もずっといるのです。

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