「生命の水」とも言われたウイスキー。ウイスキーの起源は、中世にまでさかのぼるようで、
12~13世紀頃には、原始的な蒸留がおこなわれていて、14世紀には、ある程度の、蒸留技術が生まれていたと言われています。
そして麦芽を原料にした、蒸留酒が現れるのは15世紀末でした。
ウイスキーの起源。
ウイスキーは、最初ケルト語でウスケ・ボー「生命の水」と呼ばれ、それが変化して、ウイスキーと言われるようになったと考えらています。
ウイスキーは穀物を糖化・発酵させたアルコールを、蒸留して作られる蒸留酒で、
これらの事は、15世紀のスコットランドの文献に、初めて登場するそうです。
ウイスキーの発祥地には、所説あるようですが、スコットランドには、アイルランドから伝わったとする説が有力のようです。
長らく彼の地の地酒だった、スコッチウイスキーが世界に広まったのは、19世紀以降のこと。
その理由は、連続式蒸留機の発明で、癖の少ないグレーンウイスキーを、大量生産できるようになり、
モルトウイスキーより安価で飲みやすい、ブレンデッドウイスキーが生まれたからでした。
[箱入] デュワーズ 12年 40度 700ml スコッチ ブレンデッドウイスキー
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モルトウイスキー&ブレンデッドウイスキー
『モルト』とは、英語で大麦麦芽を意味します。
大麦麦芽のみを使用したウイスキーを、『モルトウイスキー』と呼びます。
そして『シングル』が意味するものは、単一の蒸溜所で作られたウイスキーを、ボトリングしたものです。
すなわち、一つの蒸溜所でつくられた『モルトウイスキー』だけを、瓶詰めしたものが『シングルモルトウイスキー』なのです。
これに対して、複数の蒸溜所の『モルトウイスキー』と、
トウモロコシなどを原料とした『グレーンウイスキー』を混和したものを『ブレンデッドウイスキー』と呼びます。
『ブレンデッドウイスキー』が、様々な特長を持つウイスキーを、絶妙な技術でブレンドし、バランスのとれた味や香りを追及しているのに対し、
『シングルモルトウイスキー』は、その蒸溜所の個性やこだわりが、そのまま反映されているのが特長です。
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琥珀色のウイスキーの誕生。
現在のような琥珀色のウイスキーになったのは、18世紀の始めだそうです。
それは、ウイスキーの関税が一気に引き上げられ、密造者が続出したことに、原因がありました。
税吏の目を逃れる為、シェリーの空樽に隠して貯蔵し、熟成させるという方法を、生み出したのです。
これが幸いしたのか、透明の液体が琥珀色のおいしい酒に、その姿をかえていったと言われています。
英国紳士らが嗜むようになったスコッチウイスキーですが、
スコットランド、アイルランドと並んで、ウイスキー作りが盛んなのが、アメリカとカナダです。
スコットランドや、アイルランドの移民たちが製法を伝え、アメリカでは18世紀ごろから、ウイスキーが作られるようになり、
トウモロコシを主原料とするバーボンなど、独自のウイスキー文化が発祥しました。
スコッチウイスキーもバーボンも、両方ともウイスキーです。
ウイスキーとは「穀物を原料とした蒸留酒で、木樽で熟成させたもの」の意味なので、どちらも同じなのです。
そして、”世界の5大ウイスキー”と呼ばれるものとして、
アイリッシュ、スコッチ、アメリカン、カナディアン、ジャパニーズがあります。
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アメリカの禁酒法時代。
カナディアンウイスキーは、禁酒法時代(1920年~1933年)に、アメリカへの輸出で、全盛期を築いたのです。
実は、アメリカの禁酒法時代には、闇に紛れた粗悪な酒が横行していました。
そんな中で、カナダから密輸されたウイスキーは、良質な味わいで人気があったのです。
禁酒法撤廃後も、再開準備に手間取る、アメリカのウイスキー業者をしり目に、
カナディアンウイスキーは、アメリカに根を下ろしたのです。
カナディアンウイスキー1750ml 40度 正規輸入品 カサ・マエストリ ステンレス フラスクボトル CASA MAESTRI カナダ産ウイスキー
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日本へは黒船がもたらした。
日本には、アメリカのペリー艦隊の黒船が来航(1853年)の際に、ウイスキーが持ち込まれたようです。
明治維新以降は、西洋文化の流入と共に、洋酒が持ち込まれるようになりました。
そして、1923年に寿屋(現サントリー)が、日本初のモルトウイスキー蒸留所「山崎蒸留所」を設け、
スコットランドで製法を学んだ、竹鶴政孝(ニッカウヰスキー創業者)を招き、日本初の本格ウイスキー製造を始めたのです。
そのサントリーの前進の寿屋で、当時広告を担当していた、開高健と山口瞳は、こんなお酒の名言を残しています。
【お一人様12本限り】 サントリーシングルモルトウイスキー 山崎 NV 43度 箱なし 700ml
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「名酒の名酒ぶりを知りたければ日頃は安酒を飲んでいなければならない」開高健
「最初の一杯がいい。そして、最後の一杯も捨てがたい」山口瞳
【関連】
ウイスキーを愛した男たち。
ウイスキーをこよなく愛した男たちがいました。そんな彼らの逸話です。
ウィンストン・チャーチル:(1874~1965)
第二次世界大戦の最中、イギリスはナチスの空爆にさらされていました。
この時、英国首相に就任したのが、ウィンストン・チャーチルでした。
彼は大の酒好きで、ジョニー・ウォーカーを、こよなく愛したそうです。朝起きれば、水で薄めたジョニー・ウォーカーを一杯。
仕事中も、この酒で喉を湿らせ、得意のジョークや当意即妙の受け答えをしていたようです。
ジョニー・ウォーカー
ジョニー・ウォーカーの特徴と言えば、長方型の四角いボトルです。
今でこそ、各種のお酒のボトルの形はさまざまですが、当時としては斬新な形状でした。
斜めに貼ったラベルや、思い切ったデザイン。
このおかげで、棚に並ぶボトル群の中でも、ひときわ目を引く印象的な存在になったのです。
また、覚えやすい名称と、英国紳士のひな型のようなキャラクターを持つ、ストライディングマンが繰り出す姿が、
多くの広告を広め、名声を博しました。
実はこのストライディングマン、実は時代に併せて、ファッションやスタイルが、微妙にモデルチェンジされているそうです。
ジョニーウォーカー ブラック(黒) 正規 40度 700ml[長S][ジョニ黒] [ウイスキー][ウィスキー]ブラックラベル
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アイゼンハワー:(1890-1969)
第二次世界大戦下で、連合国勝利のために活躍し、
第34代アメリカ大統領に就任したアイゼンハワーは、無類のウイスキー好きでした。
数あるウイスキーの中でも、彼が一番好んだのは、ワイルドターキーでした。
この酒は、ルーズベルトやケネディ大統領なども、愛飲していたとされていますが、
一説によると、アイゼンハワーは、アメリカでのワイルドターキー人気の火付け役だったと、言われているのです。
ワイルドターキーの由来
ちなみに、ワイルドターキーの由来は、
ある時、蒸留所に七面鳥狩りの男が現れて、ウイスキーをボトルに詰めてもらって、狩猟仲間にふるまっていました。
それが好評だったため、七面鳥狩りシーズンには、必ずウイスキーの注文が、来るようになったのです。
そこで名称を、ワイルドターキーにしたのだと言うそうです。
ワイルドターキー 8年 50.5度 箱なし 1000ml(1L) 正規
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吉田茂:(1878~1967)
偉大な宰相と称される吉田茂は、オールドパーを愛した男でした。
スーツは老舗テーラーで仕立て、車はロールス・ロイス、英国の一流品に徹底的にこだわり抜きました。
大磯に閑居して後も、その影響力は絶大で、
薫陶を求めて訪ねて来る、若き政治家たちと政策談議を交わし、このスコッチウイスキーを振る舞ったと言います。
高度成長期を牽引したあまたの政治家が、吉田学校でオールドパーの洗礼を経て、ウイスキーを好むようになったと言うのです。
オールドパーの由来
「オールドパー」とは、1635年に152歳で亡くなり、英国史上最長寿と言われるトーマス・パーの愛称です。
この伝説の人物の名を、ウイスキーのブランド名に冠したのは、
その長寿を「ウイスキーの熟成」に、培われた叡智を「ブレンド技術」になぞらえた為だとか。
そこには、自らのウイスキーに不朽の価値を与え、末永く後世に届けたいという、造り手の願いが込められているようです。
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白洲次郎:(1902~1985)
吉田茂首相の懐刀として、GHQ相手に辣腕をふるい、日本の近代民主主義国家の、基礎を築いた白洲次郎は、
イギリス留学時代からザ・マッカランを愛飲していました。
しかし当時は、輸入代理店のない時代です。日本に帰国すれば飲めなくなるのですが、実は白洲次郎は飲んでいました。
それは、イギリスの貴族から樽で、ウイスキーを送ってもらっていたからだったのです。
ザ・マッカラン
スコットランド北部のハイランド地方にあるスペイサイド地区。
このスペイサイド地区は、スペイ川、デブロン川、ロッシー川の流域の地域で「スコッチウイスキーのメッカ」と称されます。
このメッカ・スペイサイド地区にザ・マッカランの蒸溜所はあります。
製法からこだわり抜かれた、その完璧さと気品ある味わいから、
「シングルモルトのロールスロイス」と、高級百貨店ハロッズは、刊行したウイスキー読本の中で讃えました。
[お一人様1本][箱入] マッカラン ダブルカスク 12年 40度 700ml ザ・マッカラン
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田中角栄:(1918~1993)
第64・65代総理大臣だった田中角栄が、彼が好きだったのが、イギリスのウイスキー、オールドパーです。
田中角栄とオールドパーを結びつけたのは吉田茂でした。
田中角栄が初めて吉田邸を訪れた時、吉田は上機嫌でオールドパーを勧めたそうです。
以来、田中角栄はこの酒を愛飲しましたそうです。
彼は濃い酒が好きで、グラスを氷で満たし、半分ほどオールドパーを注ぎ、水を注ぎ飲んでいたそうです。
明治維新のオールドパー。
「オールドパー」は、一説によると、日本に初めて紹介された、スコッチウイスキーなのだとか、言われています。
明治政府が欧米に派遣した使節団が、明治6年(1873年)に帰国した際に、持ち帰ったとされていて、
使節団のリーダー・岩倉具視をはじめ、明治維新の英傑たちも「オールドパー」に魅了されたようです。
ウイスキー オールドパー 12年 750ml (70627) 洋酒 Whisky(21-4)
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【関連】
偉人たちのお酒の名言。
「他人をより面白い人間にするために、私は酒を飲む。」
–アーネスト・ヘミングウェイ
「賢い人間には、周りの愚か者と共に時間を過ごすため、無理やり酔っぱらわなくてはならない時がある。」
–アーネスト・ヘミングウェイ
「ワインの中には知恵がある。ビールの中には自由がある
水の中にはバクテリアがいる。」
-ベンジャミン・フランクリン
「神はわれわれを愛し、われわれに幸せになることを求めている
ビールがその証拠である。」
-ベンジャミン・フランクリン
「酒の一杯は健康のため。二杯は快楽のため。
三杯は放縦のため。四杯は狂気のため。」
-アナカルシス
「酒は人生という手術を耐えさせてくれる麻酔薬だ。」
–バーナード・ショー
「酒はハッピーな時に飲もう
不幸だからという理由で飲んでは決してならない。」
-ギルバート・ケイス・チェスタトン
「責められるべきは酒を飲むことではなく、度を過ごすことだ」
-ジョン・セルデン
「酒は人類にとって最大の敵かもしれない
だが聖書はこう言っている、「汝の敵を愛せよ」と。」
–フランク・シナトラ
「勤労は日々を豊かにし、酒は日曜日を幸福にする。」 -シャルル・ボードレール
「酒の毒は酒が毒だからではなく、すばらしいが故につい飲み過ぎるからだ。」 -エブラハム・リンカーン
「私は機会があれば飲む、時には機会がなくても飲む。」 -ミゲル・デ・セルバンテス・サアベドラ(ドン・キホーテ)
「ウイスキーの歴史と豆知識と、世界の偉人のお酒の名言。」への2件のフィードバック
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