夏目漱石は著書の中などに多くの名言を残しています。その中のエッセンスを紐解いて見ましょう。
多くの名作を残している漱石ですから、きっと触れて来たものがある筈です。明治時代の空気感が伝わって来るかもしれません。
漱石の世界へ行きましょう。
「月が綺麗ですね」
恋愛下手な日本人が、素直な愛情表現を表すのを苦手としていた時代に、日本文化に合うように変化させた、情緒あふれる名言です。
夏目漱石が、高等師範学校(後の東京高等師範学校、旧東京教育大学、現在の筑波大学の前身)で、
英語嘱託となって赴任を命ぜられたのが、愛媛県尋常中学校(松山東高校の前身)でした。
1895年(明治28年)4月から教鞭をとっていたのです。
そんな、英語教師をしていた夏目漱石が「I LOVE YOU」という英語を弟子に翻訳させますが、
その答えが「我汝を愛す」だったため幻滅します。
「日本人はそんなことは言わない。『月が綺麗ですね』とでも訳しておけ」と言ったことから、生まれたとされています。
『吾輩は猫である』
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「のんきと見える人々も、心の底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする」
「吾輩は猫である」に出てくる名言です。
悩みなんてなく、楽観的に生きているように見える人でも、様々な問題を抱えて生きているものです。
そんなことを気づかせてくれる言葉です。
人の心は、時にはガラス細工のように、繊細で壊れやすいものかもしれません。
いくら強気で元気そうにしている人でも、見た目だけで判断してはいけませんよと、促すような、意味もあるのかもしれません。
「ナポレオンでもアレキサンダーでも勝って満足した者は一人もいない」
「吾輩は猫である」からの名言です。「吾輩は猫である」の冒頭シーンは、
「吾輩は猫である。名前はまだ無い。どこで生れたか頓(とん)と見當がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニヤーニヤー泣いて居た事丈は記憶して居る。吾輩はこゝで始めて人間といふものを見た。
然(しか)もあとで聞くとそれは書生といふ人間中で一番獰悪(だうあく)な種族であつたさうだ。此書生といふのは時々我々を捕(つかま)へて煮て食ふといふ話である。…」
と続き、これが、なかなか読み進むのが厄介な小説で、私も何度かトライしましたが、読破が難しい記憶があります。
物語は、中学校の英語教師である珍野苦沙弥の家に飼われている猫である「吾輩」の視点から、
珍野一家や、そこに集う彼の友人や門下の書生たちの人間模様が風刺的にかつ、戯作的に描かれています。
この中で、世界三大征服者として知られる、ナポレオン、アレキサンダー、チンギスハン、その中の二人の名前を出しているのです。
人間の欲は計り知れず、どこまでも膨張するのだということを表した言葉のようで、
いくら力がある人でも、名誉を求めればさらに大きな名誉を、富を得ればさらに大きな富を得ようと、欲が膨らんで行ってしまうものです。
人生の目的はどこにあるのか、改めて考えさせられる名言です。
『草枕』
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「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。」
夏目漱石の名著「草枕」の冒頭の一節です。
全ての人は理屈を通す人か、情に厚い人か、意地っ張りな人かに、だいたい分類されるとしたら、
そのどれもが人の世では生きづらい。つまりどんな人でも生きづらさを抱えながら生きているのですよ、という意味の言葉です。
「草枕」は「那古井温泉」(熊本県玉名市小天温泉がモデル)を舞台に、作者・漱石の言う「非人情」の世界を描いた作品で、漱石の作品の中でも、特に有名な冒頭の一説です。
現代社会に、生きづらさを感じている人には、勇気を与えてくれる言葉でしょう。
「あらゆる芸術の士は、人の世をのどかにし、人の心を豊かにするが故に尊い」
「草枕」の冒頭文「智に働けば角が立つ〜」の後に出てくる名言です。
「智に働けば角が立つ〜」で、人の世の住みにくさを説く一方で、そんな人の心を安らげてくれる芸術の素晴らしさを訴えています。
「嬉しい恋が積もれば、恋をせぬ昔がかえって恋しかろ」
この言葉も「草枕」に出てくる名言です。人は男と女の関わりから多くのことを学ぶものです。
人生に於いてたくさんの恋愛をしてきた人は、甘い思い出も苦い思い出も、心の中に刻まれていると思います。
恋するから嬉しい一方で、恋するから苦しいこともあるのかもしれません。
嬉しい恋も辛い恋も両方あるのだと、どちらも大切なのだということに気づかせてくれる言葉です。
『こころ』
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「鋳型に入れたような悪人は世の中にあるはずがありませんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変わるんだから恐ろしいのです。だから油断できないんです。」
漱石の作品の中でも、名作と言われる「こころ」の中に出てくる名言です。
この言葉の要素は、世の中の人が、善の要素も悪の要素も抱えて生きています。
ごく普通の人間と思われる人の中にも、悪人が存在するのだという事を語っているのです。
人は生きてゆくには、仕事に就いて働くしかありません。
しかし、職を失った人の中には、生きるために、犯罪を犯すこともあるということです。
仕事があれば真っ当に働ける人も、失職して、食べることが困難になれば、
自暴自棄に陥って悪人になってしまう場合だってあるのだと、警鐘を鳴らしているようです。
「こころ」は、語り手は「私」で、時は明治末期。夏休みに鎌倉由比ヶ浜に海水浴に来ていた「私」は、同じく来ていた「先生」と出会い、
交流を始め、東京に帰ったあとも先生の家に出入りするようになります。先生は奥さんと静かに暮らしていますが、
先生は毎月、雑司ヶ谷にある友達の墓に墓参りするのです。そして、先生は私に何度も謎めいた、そして教訓めいたことを言うのでした。
新潮文庫で一番売れている本は『こころ』
夏目漱石の『こころ』は、1914年(大正3年)に『朝日新聞』で「心 先生の遺書」として連載され、
同年9月に岩波書店より、漱石自身の装丁で刊行されました。
この本は『彼岸過迄』『行人』に続く、後期3部作の最後の作品です。
新潮文庫では、2016年時点で発行部数718万部を記録しており、同文庫の中でもっとも売れていて、作品としても「日本で一番に売れている」本なのです。
昭和22年以降、「新潮文庫」では8000冊以上の文庫が、生み出されていることを考えると、『こころ』は、大した本なのです。
高校の教科書にも載っていることや、読書感想文の、課題図書としている場合もあることを考えると、納得してしまいます。
因みに、新潮文庫の発行部数ベスト5は、
1位。夏目漱石『こころ』 2位。太宰治『人間失格』 3位。アーネスト。ヘミングウェイ『老人と海』 4位。夏目漱石『坊ちゃん』 5位。アルベール・カミュ『異邦人』 となっていて、
夏目漱石が、ベスト5に2つも入っているのを見ると、さすが漱石先生と思ってしまいます。
「女には大きな人道の立場から来る愛情よりも、 多少義理をはずれても 自分だけに集注される親切を嬉しがる性質が、 男よりも強いように思われます。」(こころ)
「精神的に向上心のない奴は馬鹿だ」(こころ)
この言葉は、もともとはKの発言でした。Kの言う精神的な向上とは、古典から人生を学んだり、自己修養に励んだりすることです。
それを忘れて、遊ぶことや異性に恋することに興じているような人間は、
Kにとってみたら、精神的に向上心のない者であり、馬鹿としか見えないのでした。
そして、「こころ」は、「彼岸過迄」「行人」へ続く後期の3部作なのです。
『行人』
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「自分が幸福でないものに、他を幸福にする力がある筈がありません」
「行人」は男女について、近代知識人の苦悩を描く作品で、『彼岸過迄』に続き『こころ』に繋がる、後期3部作の2作目です。
「行人」では膨大な知識を有する学者である主人公の兄が、自分の苦悩を和らげるためには、知識なんて無意味だという徒労感に襲われます。
兄は自分の妻を愛している筈なのになぜか、心の底から信用することができないという、切なさから出た言葉です。
学を身に付け、出世をすることが幸せなのか、一生を共にする人を心から愛せる人が幸せなのか、そんな苦悩を問いを投げかけてくれる言葉です。
『虞美人草』
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「愛嬌というのはね、自分より強いものを倒す柔らかい武器だよ」
「虞美人草」からの名言です。外交官志望の行動的な主人公が、哲学的な思想を持つ友人に向けた言葉です。
強い相手を打ち負かすには、更に強い力や、大きな権力が有利ですが、
時に愛嬌やユーモアが、張り詰めた空気を和まして、相手を打ち負かすこともあるのです。
「色を見るものは形を見ず、形を見るものは質を見ず。」(虞美人草)
物事の本質を見るには、何が必要なんでしょうか。
「ある人は十銭をもって 一円の十分の一と解釈する。ある人は十銭をもって 一銭の十倍と解釈する。同じ言葉が人によって高くも低くもなる。」(虞美人草)
例えば、財布の中に現金が5,000円しかなくなったと考えるか、まだ5,000円あると考えるかによって、物事は大きく違って来るんじゃないでしょうか。
「運命は神の考えることだ。 人間は人間らしく働けばそれで結構だ。」(虞美人草)
『坊ちゃん』
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「人間は好き嫌いで働くものだ。論法で働くものじゃない。」(坊ちゃん)
「たまに正直な純粋な人を見ると、坊ちゃんだの小僧だのと難癖をつけて軽蔑する。」(坊ちゃん)
「親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰こしを抜ぬかした事がある。…」で、始まる「坊ちゃん」は、
小学生の時に、同級生に「弱虫やーい」と、囃(はやし)られ、二階から飛び降り一週間ほど腰を抜かし、小使(こづかい)に負ぶさって帰って来た時、
親父から、飛び降りたぐらいで腰を抜かす奴がいるかと問われ、この次は抜かさずに飛んで見せますと答える、
そんな軽妙な返事が、可笑しさと無鉄砲な雰囲気を醸し出していて、この冒頭部分だけで、漱石は一瞬にして読者を、一気に物語の世界へと引き込むのです。
【関連】
漱石ファンの作者の著書『神様のカルテ』
漱石好きにはたまらない本があります。それは『神様のカルテ』です。地方病院に勤める主人公の医師が、夏目漱石ファンで、
その語り口調が、まるで漱石の『吾輩は猫である』の登場人物のように語るのです。
作者の夏川草介さんと言う名前はペンネームで、それぞれの文字を、著名な作家からとっています。
「夏」は夏目漱石から、草介の「草」は漱石の作品『草枕』から「川」は川端康成から、「介」は芥川龍之介から取ったそうで、漱石に心酔しているのです。
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「明治の文豪、夏目漱石の名作に刻まれた珠玉の名言・言葉。」への6件のフィードバック
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