夏目漱石『こころ』精神的に向上心のないものは馬鹿だ。




夏目漱石『こころ』

明治の文豪、夏目漱石は、多くの文学作品を残していますが、その中でも、最も人気の高いのが『こころ』です。

主人公の私が、暑中休暇を利用して海水浴に行った鎌倉で、先生に出会い、物語が始まるのです。

夏目漱石『こころ』の冒頭は、こんな一節から始まります。

<上 先生と私>



私はその人を常に先生と呼んでいた。

「私(わたくし)は其人を常に先生と呼んでいた。だから此処でもただ先生と書く丈で本名は打ち明けない。

是は世間を憚かる遠慮というよりも、其方が私にとって自然だからである。私は其人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」と云いたくなる。

筆をとっても心得は同じ事である。余所々々しい頭文字抔(など)はとても使う気にならない。

私が先生と知り合になったのは鎌倉である。其時私はまだ若々しい書生であった。

暑中休暇を利用して海水浴に行った友達から是非来いという端書を受取ったので、私は多少の金を工面して、出掛る事にした。

私は金に工面に二三日を費やした。所が私が鎌倉に着いて三日と経(た)たないうちに、私を呼び寄せた友達は、急に国元から帰れと云う電報を受け取った。」

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主人公の私が鎌倉で先生に出会う。



海で偶然会った無職の先生。

こうして、この物語は、若々しい書生の私が、先生に出会うところから始まります。

先生と言っても、単に主人公の私が、そう呼んでいるだけであって、実際は海で偶然に出会った無職の人でした。

最初は出会った海で、世間話をする程度の仲でしたが、

徐々に主人公の私は、先生だけではなく先生の奥さんとも、交流を深めて行くことになったのです。

先生は近づきがたい雰囲気を放っていましたが、主人公の私は、先生の学問の知識や思想に惹かれ、

月2,3回ほど、家を訪ねるようになり、次第に先生に傾倒して行ったのです。

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先生は何者なのか?




雑司ヶ谷の霊園に墓参りに行く先生。

その先生はと言うと、大学卒で博識なのに仕事に就いておらず、何か苦しみを抱えているようでしたが、

仲の良い奥さんでさえも、その理由が、分からないとのことでした。

先生との交流をして行く中で、主人公の私は、先生に対して、何か違和感を覚えていくのでした。

そして、先生は毎月決まった日に、雑司ヶ谷の霊園に墓参りに行きますが、それが誰のお墓なのかは、分かりませんでした。

先生と奥さんは一見、仲の良い夫婦のように見えましたが、

先生がどことなく奥さんに対して、何かしらの、わだかまりを抱いているようなのです。

そのことを、主人公の私は、先生に問い詰めますが、「話すべき時が来れば話します」と、濁されてしまったのでした。

そして、明治天皇が崩御されたのです。

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<中 両親と私>



先生からの長い書簡。

主人公の私は、大学卒業後、父が病気のため一時故郷に戻り、しばらく実家に戻っていました。

その時、先生から、過去を記した長い書簡を受け取ったのでした。(それは遺書でもありました)

先生は、自身の裏切りが招いた、親友の逝去に苦しみを持ち続けていて、

明治天皇の崩御と、乃木大将の殉死に触発され、自分も絶命を決意したのです。

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<下 先生と遺書>



先生の過去が明らかになる。

先生から届いたその書簡には、先生が今まで抱えてきた過去や苦悩が、事細かに記されていたのです。

先生は、高校生の時に、両親を相次いで失くし、叔父に遺産を誤魔化される目に遭い、

以来、故郷と縁を切り、人間不信になっていたのです。

しかし、大学生になってからは、間借り先の未亡人の奥さんと、お嬢さんとの交流のおかげで元気になり、

美しいお嬢さんに、恋心も抱くようになりました。

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友情と恋心に葛藤する先生。



Kに冷たい言葉を投げかける先生。

そんな中、先生は、神経症で弱っていた幼馴染の友人Kを、間借り先に、一緒に住まわせる事にしたのです。

次第にKが元気になって嬉しかったのですが、その内、Kもお嬢さんを好きになってしまい(本人に悩みを打ち明けられた)、

先生はひどく苦しむことになって行くのです。

先生はそんなKの気持ちを知りながら、冷たい言葉を投げかけてしまうのです。

その結果、Kは恋に破れ、それを苦に、私宛の遺書を遺して、自殺を図ってしまったのでした。

遺書には、私に対する文句が書かれているのではないか、と恐る恐る読み始めますが、

そのような言葉は書かれておらず、これで、間借り先の奥さんやお嬢さんに、軽蔑されずに済む、助かったと安心します。

そして、先生はKの死をずっと悔やんで自殺を考えながらも、奥さんと結婚し、生活を営んでいたのでした。

しかし、先生はこの先も、親友を死に追いやったという事実を背負って、生きていかなければいけない、

という事を、感じざるを得ない事態になってゆくのでした。

そして、最期に先生は、主人公の私に、自分の過去をさらけ出して、逝ってしまったのでした。

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夏目漱石の晩年の代表作『こころ』



上「先生と私」中「両親と私」下「先生と遺書」

『こころ』は、1914年に発表された、夏目漱石の晩年を代表する小説で、

上「先生と私」中「両親と私」下「先生と遺書」の三部で構成されています。

エゴイズム(利己主義)と人間の心の機微、犯した罪との葛藤が描かれた、この作品は今でも多くの人に読まれ続けています。

『こころ』は、新潮文庫の中で、一番読まれているそうです。数ある文庫本の中でも、凄い実績だと思います。

物語では、下「先生と遺書」で、大学を卒業して帰省した私のもとに、先生から遺書が届き、先生の生涯が打ち明けられました。

先生は学生時代、美しいお嬢さんのいる間借り先に、生活に困窮して、神経症で弱っていた、親友のKを同居させていました。

やがてKから、お嬢さんへの恋心を打ち明けられると、Kの信条につけこんで恋を妨げようとし、

更にKを出し抜いて、間借り先の奥さんから、お嬢さんとの結婚の許しを得たのです。

それを知ったKは自殺してしまいます。

そして、お嬢さんと結婚した先生は、妻にも真実を打ち明けられず、罪の意識を背負ったまま、生き続けて来たのでした。

そして、明治天皇が崩御され、乃木大将の殉死と言う、時代が変わる中で、先生も自殺をしてしまうのでした。

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先生がKに投げ放った言葉。




自分のエゴイズムを優先した先生。

そして、この物語のエゴイズム(利己主義)と、人間の心の機微が表現されているシーンが、散歩中に、Kから恋についての意見を求められる場面です。

先生がKに向かって、この際なんで私の批評が必要なのかと尋ねた時に、

彼はいつもにも似ない悄然(しょうぜん)した口調で、自分は弱い人間であるのが、恥ずかしいと言います。

そうして迷っているから、自分で自分が分らなくなってしまったので、私に公平な批評を求めるより外に、仕方がないと言ったのです。

それを聞いた先生はすかさず、迷うという意味を聞きただしました。 彼は進んでいいか退いていいか、それに迷うのだと説明しました。

そこで先生は、すぐ一歩先へ出ました。そうして、退こうと思えば退けるのかと、彼に聞いたのです。

すると、彼の言葉がそこで不意に行き詰りました。

彼はただ苦しいと言っただけでした。実際、彼の表情には苦しそうなところが、ありありと見えていました。

もし相手がお嬢さんでなかったならば、どんなに彼に都合のいい返事を、その渇き切った顔の上に、慈雨(じう)の如く注いでやったか分りません。

先生はそのくらいの美しい同情をもって、生れて来た人間と自分ながら信じていたのです。

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Kとお嬢さんを天秤に掛けた先生。



退こうと思えば退けるのか?

しかし、その時の先生は違っていました。

Kが先生に対して意見を求めると、先生はKに対して「退こうと思えば退けるのか」と質問します。

しかしKは言葉に詰まり「ただ苦しい」とだけ答えます。

この時のKの心情は、「お嬢さんとの恋を成就させる方向に進むと、これまでの自分の生き方に反してしまう。しかし恋を諦める事も出来ず、苦しい」という様に見られました。

そして、先生は「精神的に向上心のないものはばかだ」とKに言ったのです。

これは以前、2人で行った旅行中に、Kから言われた言葉で、

Kが信念とする言葉を、言い返す事によって、Kの恋を批判し、完全に諦めさせようとしたのでした。

友情と恋のライバルの狭間に立たされた先生は、自分のエゴイズム(利己主義)を優先させ、Kに厳しい言葉を放ったのでした。

その結果、Kは命を絶ち、先生は奥さんと結婚しましたが、その気持ちを払拭できないまま、人生を歩んで来たのでした。

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精神的に向上心のないものは馬鹿だ。


Kを追い詰めた先生の言葉。

『こころ』を思い出すたびに、「精神的に向上心のないものはばかだ」と言う言葉が頭をよぎります。

それは、高校の授業の時から、ずっと続いています。

先生がKに放ったと言うか、突き放したような厳しい言葉に、Kは絶望したように命を絶ちました。

恋を巡る事情の中で、自分のエゴイズムを優先したいと言う、先生の気持ちは分かりますが、

その時点では、先生もお嬢さんへの恋心と、親友のKとの友情の狭間にいたのですから、

もっと丁寧に、Kに対して、自分の気持ちを素直に話していたら、事態は変わっていたのかもしれません。

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漱石ファンの作者の著書『神様のカルテ』



読書好きにはたまらない本があった。

漱石好きにはたまらない本があります。それは『神様のカルテ』です。地方病院に勤める主人公の医師が、夏目漱石ファンで、

その語り口調が、まるで漱石の『吾輩は猫である』の登場人物のように語るのです。

作者の夏川草介さんと言う名前はペンネームで、それぞれの文字を、著名な作家からとっています。

「夏」は夏目漱石から、草介の「草」は漱石の作品『草枕』から「川」は川端康成から、「介」は芥川龍之介から取ったそうで、漱石に心酔しているのです。

新章 神様のカルテ [ 夏川 草介 ]

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