小説『神様のカルテ』がドラマ化!文豪の名言・言葉が満載だ




神様のカルテ』読書好きにはたまらない。

『神様のカルテ』シリーズは、夏川草介さんによって執筆された、医師たちの仕事と生活を綴った小説です。

『神様のカルテ』は、その1作目が小学館文庫小説賞を受賞し、2010年の本屋大賞2位に輝きました。

そして、その後続編が発表され、大ヒット作となって行きます。

また映画化もされて、人気のある医師物語となりました。

2021年2月テレビドラマ化され話題に!


更に、2021年2月に、福士蒼汰さん主演で、テレビドラマ化され、4話のシリーズ物として、

各回2時間ドラマ×4回として、『神様のカルテ』シリーズにあわせた、4夜仕立てとなっています。

長野県松本市の情景が、たびたび映し出され、遠くに臨む北アルプスの山々が、

地域医療を目指す、主人公の栗原一止の凛とした姿勢のように見えるのです。

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小説『神様のカルテ』の夏川草介さん。



ペンネームの由来は漱石、康成、龍之介。

夏川草介さんは大阪府出身で、信州大学医学部医学科卒業した、現役の医師である傍ら、

小説の執筆をしていて、『神様のカルテ』は、彼の処女作です。

夏川草介さんと言う名前はペンネームで、それぞれの文字を著名な作家からとっています。

「夏」は夏目漱石から、草介の「草」は漱石の作品『草枕』からとったそうです。

この事について、小学館から発行されている、文庫『草枕』巻末に、

夏川草介さんによる「解説にかえて――『草枕』から漱石の世界へ――」が収録されていて、そこで自身の名前の由来を、このように綴っているのです。

「我が筆名「夏川草介」の「夏」は夏目漱石から、「草」は草枕からとったものである。あとは川端康成と芥川龍之介から、一字ずつを拝借したものであるが、いずれにしても『草枕』は特別である。」

と言うことで、夏川草介さんは、明治の文豪・夏目漱石、ノーベル文学賞作家・川端康成、

そして、鬼才・芥川龍之介が、バックボーンにあるんですね。

神様のカルテ [ 夏川 草介 ]



夏目漱石の大ファンだった作者夏川草介。




『草枕』は特別である。

『神様のカルテ』では、主人公の一止も、夏目漱石の大ファンで『草枕』を暗唱できる程ですが、

これは、作者自身がモデルになっているようです。

夏川草介さんの作品には、夏目漱石の『吾輩は猫である』に、登場するような口調で話す、人物が登場します。

『吾輩は猫である』の冒頭はこんな一節で始まりますよね。


「吾輩は猫である。名前はまだ無い。どこで生れたか頓(とん)と見當がつかぬ。

何でも薄暗いじめじめした所でニヤーニヤー泣いて居た事丈は記憶して居る。

吾輩はこゝで始めて人間といふものを見た。然(しか)もあとで聞くとそれは書生といふ人間中で一番獰悪(だうあく)な種族であつたさうだ。

此書生といふのは時々我々を捕(つかま)へて煮て食ふといふ話である。… …」云々。


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明治の文豪、夏目漱石の名作に刻まれた珠玉の言葉・名言集。


『神様のカルテ』には、漱石の文章のような言葉が、散りばめられています。

「なんたる失態だ、私は驚愕した… 釈明の余地のない失態なのである。いや、私に問題があるのではない。環境の罪である。

だいたい私のような勤勉・実直を絵に描いたような青年内科医が、冒頭から釈明の余地のない失態に追い込まれるくらいであるから、その環境の劣悪さも想像がつくであろう。」

これなど、一見すると堅苦しい文章のように思えますが、

声を出して読んで見ると、リズム感ある言葉になっていて、ある種、心地よい余韻を発しているのです。

神様のカルテ(2) [ 夏川 草介 ]

 

物語のあらすじ。


『神様のカルテ1』


地方医師の苦悩と生き甲斐。

主人公の栗原一止(くりはらいちと)は、長野県松本市の基幹病院、本庄病院で働く5年目の内科医です。

この病院は、地域の患者を一手に引き受ける、地域医療の最前線であり、「24時間365日対応」をモットーに掲げています。

慢性的な医師不足、ベット不足の中で、一止をはじめ医師たちは、その精神を受け継ぎ、この病院で地域医療の激務をこなしていました。

そんな忙しい彼を支えるのは、山岳写真家の妻、栗原榛名(はるな)です。

彼女は一止にとって、癒しとなる大切な存在で、一止は彼女の淹れるコーヒーを、世界一だと思っています。

そして二人が暮らすアパート「御嶽荘」には、隣人であり友人の、信州大学文学部在籍の学士殿と、

自称画家の男爵が共に暮らしていて、夜な夜な集い、酒を酌み交わしていたのです。

神様のカルテ(3) [ 夏川 草介 ]



地方病院を支える主人公の栗原一止。



大学病院からのスカウト話。

そんな中で、一止に大学病院からスカウトの話が来ます。

現在よりも良い労働環境で、最先端の医学を研究できる条件に、彼の心は揺れ動きます。

同僚の砂山も、より良い環境で働ける選択に賛同します。

しかし大学病院は大規模だからこそゆえの、ひずみもあります。

そんな時、一止は病院で出会った、癌の末期患者をきっかけに、自身の医師としての生き方に向き合います。

学問を行うのに必要なものは、気概であって学歴ではない。 熱意であって建て前ではない。(『神様のカルテ』)

これは、一止と榛名の住む「御嶽荘」の住人に、一止が学問について語った言葉です。

神様のカルテ0 [ 夏川 草介 ]



『神様のカルテ2』




家族か、仕事か、どっちが大事?

地方病院での勤務を続けることを決めた一止は、相変わらず忙しい日々を送っていました。

そんなある日、大学生時代に、期待の星と言われていた同級生の辰也が、東京の大病院から、一止のいる地方病院へとやって来ます。

辰也は大学時代の、意欲溢れる姿から豹変していて、仕事は仕事と割り切り、定時で帰るような医師となっていたのです。

そして、患者の容態よりも、自分のプライベートの時間を優先し、看護師からも距離を置かれるのでした。

そんな中、自分の働き方にポリシーを感じながら頑張る一止と、彼を支え続ける榛名の間に、子供が生まれました。

子供の誕生で、改めて家族という存在の大きさを感じる一止ですが、

職場で自分の救いを求める患者がいれば、そちらを優先せざるを得ない自身の働き方を譲れず、

家族か、仕事か、どっちが大事の、究極の選択肢を前に、彼は再び自身の医師としての在り方を、考え始めたのでした。

神様のカルテ(2) [ 夏川 草介 ]



セオドア・ソレンソンの言葉・名言。


ケネディ大統領の特別顧問。


良心に恥じぬということだけが、我々の確かな報酬である(『神さまのカルテ2』)


一止は大学時代から引用していたこの言葉を、仕事の仕方について問うため、辰也に投げかけます。

この言葉は、彼が常に心に留めているセオドア・ソレンソンの言葉であり、くり返し引用される名言です。

セオドア・ソレンソンは、アメリカ ケネディ大統領の特別顧問をした人物で、大統領のスピーチの原稿を書いていました。

ピアノソロ 辻井伸行 「神様のカルテ ~辻井伸行 自作集」



良心に恥じぬということだけが、我々の確かな報酬である



ケネディ大統領のスピーチライターの言葉。

タイトルの「良心に恥じぬということだけが、我々の確かな報酬である」という原稿を書き、

ケネディ大統領の、スピーチライターとしての功績が有名で、「ケネディの分身」と言われました。

小説の中で「ケネディは戦争のにこの演説をぶったが、われわれは医業のためにこの言葉を用いよう。百万人を殺す英雄ではなく、一人を救う凡人であろう」と語っています。

因みに、ケネディ大統領が大統領就任式で、アメリカ国民に述べた言葉は、とても有名で、長く語り継がれています。


国があなたのために何をしてくれるのかを問うのではなく、あなたが国のために何を成すことができるのかを問うて欲しい。

- ジョン・F・ケネディ -


そして、一止の、こんな言葉も印象的です。

医者の話ではない。 人間の話をしているのだ。(『神様のカルテ2』)

彼が正義を貫くために異例の対応をした後、

「医者は患者の治療だけしていればいい」という言葉を、事務スタッフから言われた際に、発した印象的な言葉です。

新章 神様のカルテ 小学館文庫 / 夏川草介 【文庫】


神様のカルテで登場の文豪・作家・名言。

無類の読書好き。

主人公の栗原一止は、無類の読書好きで、その発言や言葉の中で、文豪たちの言葉を語るのです。

島崎藤村『夜明け前』

夜明け前 第1部 上 (新潮文庫 しー2-7 新潮文庫) [ 島崎藤村 ]


例えば、島崎藤村の『夜明け前』はこんな冒頭から始まります。


「木曾路はすべて山の中である。あるところは岨(そば)づたいに行く崖(がけ)の道であり、

あるところは数十間の深さに臨む木曾川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である。

一筋の街道(かいどう)はこの深い森林地帯を貫いていた。」


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島崎藤村『夜明け前』は、幕末維新の西洋化夜明けの意味だった



明けない夜はない。やまない雨はない。



学士殿に語った言葉。

そして、明けない夜はない。やまない雨はない。そういうことなのだ、学士殿と、栗原一止が語るのです。

これは、大学受験に失敗し、信州の田舎町に、8年住み着いていた学士殿が、

息子は東京の大学で、学問を続けていると、固く信じていたという母を亡くし、出雲の実家に帰る時に、

栗原一止が、餞別として島崎藤村の『夜明け前』を、手渡した時のセリフです。

「けっしておもしろい話でも気持ちのいい話でもない。葛藤と懊脳(おうのう)がどこまでも続く果てしない物語だ。

その苦しい中に少しずつ未来を切り開いていく実に地道な物語だ。私が高校時代に古本屋で手に入れた本でな。壁にぶつかった時はよくこの本を開いていた。

今はまだ、私の人生の“ 夜明け前 ”なのだと自分に言い聞かせて」・・・

「明けない夜はない。止まない雨はない。そう言うことなのだ、学士殿」

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夏目漱石『草枕』

いずれにしても『草枕』は特別である。

草枕改版 (新潮文庫) [ 夏目漱石 ]


栗原一止が敬愛する、夏目漱石の名著『草枕』の冒頭です。


「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。」


現代語訳すれば、

全ての人は理屈を通す人か、情に厚い人か、意地っ張りな人かに、だいたい分類されるとしたら、

そのどれもが人の世では生きづらい。つまりどんな人でも、生きづらさを抱えながら生きているのですよ、という意味です。

『草枕』は、作者の夏川草介さんが、特別と言っている小説で、特別な思い入れがあるようです。

『神様のカルテ』シリーズの【1、2、3、0、新】と、シリーズ全作品で、何度となく名前が出てくる本であり、様々なエピソードがあります。

◆子供の頃から愛読していて、全文を暗誦するほど、何回も、何回も読んでいる本なのです。

◆学士殿がアパート「御嶽荘」を去る前夜に、仲間たちと酒を酌み交わしている時に冒頭から朗誦していました。

このシーンは、2021年2月のテレビドラマでも、描かれていて、読書欲を駆り立てるようなシーンでした。

◆信州大学医学部の学生時代、親友の進藤辰也に、将棋を一局指す毎に、聞かせていました。

◆毎日鞄に入れて通勤し、病院では白衣のポケットに入れている程『草枕』が好きなのです。

◆あまりにも、ぼろぼろになっていたので、『神様のカルテ3』で本庄病院を辞める際に、看護主任の東西直美から、新しい本を贈られます。

などと、『草枕』に関しては、多くの場面で登場している本なのです。

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主人公が敬愛する夏目漱石。


不思議な若者であった。

履歴書を見ると、尊敬する人物も愛読書も趣味もすべて「夏目漱石」で統一されている。(神様のカルテ0)

『神様のカルテ』シリーズの主人公・栗原一止が敬愛しているのが夏目漱石です。

尊敬する人物と愛読書が漱石で、更に趣味が「夏目漱石」なのだと言うのです。

一止の意味。

一に止まると書いて、
正しいという意味だなんて、
この年になるまで知りませんでした。

人は生きていると、
前へ前へという気持ちばかり急いて、
どんどん大切なものを
置き去りにしていくものでしょう。
本当に正しいことというのは、
一番初めの場所にあるのかもしれません。
(神様のカルテ)


『神様のカルテ3』

スーパーウーマン女医の登場。

栗原一止は恩師の古狐先生を、リンパ腫の癌で亡くした悲しみを抱えたまま、長野県松本市の本庄病院で勤務を続けています。

古狐先生は、内藤鴨一と言う、消化器内科副部長で、3日続けて働いて、3日ゆっくり休んでも、顔色が変わらず悪いことから、一止が「古狐先生」と呼んでいたのです。

そして、彼は本庄病院の内科部長の大狸先生とは、学生時代からの、腐れ縁の付き合いだったのです。

ある日、本庄病院に、新しい仲間である小幡が加わりました。

小幡は優秀な女性医師で、研究に打ち込み、論文の執筆をしながら、医師としての役割もまっとうするスーパーウーマンです。

一止は彼女の姿勢を尊敬しますが、酒が原因で身体を壊し、度々病院に搬送されて来るような、

「治る意志を持たない患者は診ない」と言うポリシーに対しては疑問を抱いています。

『ジャン・クリストフ』を愛読する患者。

酒に溺れた元教師の愛読書。

そんなある日、一人の30代の元音楽教師が、病院に担ぎ込まれて来ます。

吐血しても、彼は酒を断つことが出来ず、病室でも飲酒を繰り返していました。

そしてその人は、東西主任看護師の、高校時代恩師の音楽の先生で、彼女が恋心を抱いていた人だったのです。

ロマン・ロランの『ジャン・クリストフ』




『北』を示し続ける羅針盤。

その彼が持っていたのが、ロマン・ロランの『ジャン・クリストフ』の下巻でした。


芸術家とは、いかなる嵐の中でも、常に『北』を示し続ける羅針盤だ。


そんな、だらしなくなった彼を前にして、東西主任看護師が発っします。

「あなたの心がどこに向いているかさっぱりわからないけど、私は、この10年間一度も北を見失ってないわ。なぜだかわかる?」

彼女の言葉は、逆境の中で、なおも屈せず、己の進むべき道を高らかに歌い上げたクリストフ自身の言葉のように聞こえました。

すると栗原一止は、その患者に語ります。

「親友のオリヴィエが絶望し、生きることを諦めようとしたとき、クリストフはこんなことを言っています。」


忠実な友が、君とともに泣く限り、この人生は生きてゆく価値がある


そんな元音楽教師が、真剣に自分と向き合い、断酒治療をするための専門病院へ転院する時、

一止はその患者にロマン・ロランの『ジャン・クリストフ』の上巻を差し出し、

「東西からですよ。女子高の頃、憧れている教師から借りていたそうです」

栗原一止は、患者に寄り添う医師を目指していますが、

小幡女医は患者を助けるためには、新しい治療法を勉強したり、研究することに、時間を使うべきだと主張します。

そんなストイックな、小幡女医のポリシーには理由があり、一止に対して「偽善者」と言います。

本当の医療とは何なのか?

病んだ患者のそばに寄り添うことが医師の仕事なのか?

一止は自分の信じていたものについて改めて向き合うことになるのです。

ロマン・ロラン伝 1866-1944 [ ベルナール・デュシャトレ ]



夏目漱石の「牛のように歩む」

牛には中々なりきれないです。

そんな中で、栗原一止の患者が癌の疑いがあり、検査すると、その疑いが濃厚となり、手術で摘出することになったのです。

それは長時間掛かる手術でしたが、無事終わり、患者が快方に向かっていた後で、摘出した臓器からは、癌細胞が見つからなかったのでした。

誤診なのかと悩み、苦しむ一止が出した答えが、信濃大学病院へ行って勉強したいと言う思いだったのです。

それは夏目漱石の言うように「牛のように歩んでゆくことなら出来る」と言いうものだったのでした。


あせってはいけません。ただ、牛のように、図々しく進んで行くのが大事です。


1916年8月24日付けの書簡の中の言葉で、死を目前にした49歳の夏目漱石が、

その才能を高く評価していた二人の新進作家、24歳の芥川龍之介と 25歳の久米正雄に宛てた、手紙の一節の中にありました。


牛になる事はどうしても必要です。吾々はとかく馬になりたがるが、牛には中々なりきれないです。


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信濃大学病院で苦悩する栗原一止の選択。

テレビドラマ『神様のカルテ』最終夜。

ドラマスペシャル『神様のカルテ』では、最終話として、信濃大学医学部付属病院で勤務する。

医者となって10年目の、栗原一止を描いていきます。

彼は、良い医師とは何かを考え、患者と正面から向き合っていたのです。

栗原一止は、信濃大学病院第4内科の、大学院生であることから、給料はなく、当直のアルバイトで、家族の生計を立ています。

そのため、休みは大学院生として、実験と論文をこなす、そんな長時間勤務を強いられていました。

第4内科のスタッフは、普段はおチャラけて、毎日のように、二日酔いの状態で出勤して来ますが、

実はキレモノらしい、“鬼切り”の異名を持つ班長・北条陽介(市原隼人さん)と、

日本茶好きゆえ“利休”と呼ばれる、消化器内科医4年目の後輩・新発田大里(森永悠希さん)、

臨床の教授の前で、病理学希望と言いのけて以来“お嬢”と呼ばれる研修医・鮎川めぐみ(矢作穂香さん)がいる、第四内科第三班に所属していました。

後に、お嬢は研修医の仕事を通じて「患者は顕微鏡の中にいるんじゃなくて、目の前にいる」名言を語ります。

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大学病院医局との対立。


大学の権威と白い巨塔。

大学病院だけあって、設備も医師の人数も潤沢でしたが、そこには“権威”と言う、大きな壁があったのです。

中でもベッドを確保するための、駆け引きは日常茶飯事で、「ベットの空きがない」と、なかなか入院を認めない、

第四内科の准教授・宇佐美正隆に、日夜振り回され続けていたのでした。

宇佐美准教授は、己の理念を高圧的に押し付け、必ず、パンを例えて説明することから、“パン屋”と呼ばれていました。

栗原一止の担当患者・二木美桜(貫地谷しほりさん)が、進行性膵癌で、転移も見つかり、ステージIVと診断されました。

切除は不可能とされるような状況の中で、美桜は、丁寧に対応してくれた、一止に診て欲しいと懇願します。

それは、一止が以前、掛けて呉れた「止まない雨はない、明けない夜はない」と言って励まして呉れた言葉が、嬉しかったからでした。

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お医者さんは、魔法使いじゃない。

ママは治るの?

そんな中、美桜の娘・理沙(宮崎歩夢さん)が一止を訪ねて来て。「ママ治る?」そう尋ねる、まだ幼い理沙に、

栗原一止は「お医者さんは、魔法使いではない。しかしながら、やれることには、全力を尽くすことを約束する」と答えます。

こんな事態でも、内科との連携や、ベッドの確保がスムーズに行かず、カンファレンスでも悲観的な意見ばかりで、思うように事が進みません。

権威・駆け引きが渦巻く理不尽だらけな大学病院で医者はどうあるべきか――患者たちに寄り添いながら、一止はその答えを必死に導き出そうとしていくのでした。

そんな一止の姿を見た小料理屋の主人が声を掛けます。「悩むのは成長している証なんじゃないか?」

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夏目漱石の真面目に言葉。

『虞美人草』の中一節。

そんな悩み抜く中で、栗原一止が漱石の言葉を発します。


『真面目とはね、君、真剣勝負の意味だよ。』


これは、夏目漱石の『虞美人草』の中で、何度か発する宗近のこの言葉です。

その一節はこんなくだりです。


『真面目になれるほど、自信力の出る事はない。真面目になれるほど、腰が据わる事はない。真面目になれるほど、精神の存在を自覚する事はない。

天地の前に自分が現存していると云う観念は、真面目になって始めて得られる自覚だ。真面目とはね、君、真剣勝負の意味だよ。やっつける意味だよ。やっつけなくっちゃいられない意味だよ。

人間全体が活動する意味だよ。口が巧者に働いたり、手が小器用に働いたりするのは、いくら働いたって真面目じゃない。

頭の中を遺憾なく世の中へ敲きつけて始めて真面目になった気持になる。安心する。』


『真面目と云うのはね、僕に云わせると、つまり実行の二字に帰着するのだ。口だけで真面目になるのは、口だけが真面目になるので、人間が真面目になったんじゃない。

君と云う一個の人間が真面目になったと主張するなら、主張するだけの証拠を実地に見せなけりゃ何にもならない。……』


『要するに真面目な処置は、どうつければ好いのかね。そこが君のやるところだ。』


虞美人草改版 (岩波文庫) [ 夏目漱石 ]



ヘミングウェイの勇気の言葉。



更に、栗原一止がヘミングウェイの言葉を発します。


『勇気とは、窮しても品位を失わないことだ。』


栗原一止は患者を救うために、医局の了解なしに行動したことがあって、大学病院医局と対立してゆき、左遷の危機に遭って行きます。

そして、新年度の人事異動時に、覚悟を決めて、辞令を貰いに行くと、

内科部長から言い渡されたのは、第四内科第三班の班長への抜擢だったのです。

「君はこれからも、患者の話をしなさい」と部長が言ったのです。一生懸命頑張っている人を、誰かが見ているのです。

新章 神様のカルテ 小学館文庫 / 夏川草介 【文庫】

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