朝礼ネタで、たまには心に沁みる「感動する話」をして見るのはいかがですか。
感動的な話は、人を引き付けます。朝のひと時ですが、じぃ~んと、思って頂けるかも知れません。
あなたの違う顔を見せられるかも知れません。
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目次。28例文。
バス間違えた五輪選手にタクシー代
絵本「ぼくらのサブウェイベイビー」
「奇跡のバックホーム」横田慎太郎
交通安全週間でカツオの善行に感動
アンネ・フランクの笑顔の名言。
辛い時の特効薬は心から笑うこと
失敗しなかった一日は、……
天使のパンは感動のパンだった
目の不自由な少年と野球選手の約束
交通事故に遭ったピザ配達員の使命
夫婦の思いやりが沁みる賢者の贈り物
震災避難所で見た少年の優しさの精神
サザエさんカツオのお小遣いの使い方
ヘレンケラー教育したサリヴァン先生
世界で注目を集めたタイのCM
カツオ家族をテーマにした作文に感動
己の道を生きる勇気スナフキンの言葉
『君たちはどう生きるのか』の名言。
ベーブルースの病気の少年への約束
人生の最後の食事、ライオンのおやつ
自分の強みを発見した『銭湯図解』
ぼくはイエローでホワイトでちょっと
植物を愛した判事『家栽の人』
麒麟の田村裕ホームレス中学生の教訓
星の王子さまの大切なものの名言。
チャーリーブラウンの人生の名言。
一杯のかけ蕎麦の話、覚えていますか
イチローの好きな事を仕事にする考え
すごい朝礼 たった15分の習慣で人生が変わる [ 大嶋啓介 ]
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バス間違えた五輪選手にタクシー代
東京オリンピックで、準決勝に出場予定のジャマイカの陸上選手パーチメントは、バスを間違い国立競技場ではなく、水上種目の競技場に向かってしまいました。
バスで選手村に戻り、再び別のバスで国立競技場に向かう時間はありませんでした。そこで彼は、ボランティアに話しかけて助力を求めたところ、
タクシー代を渡して呉れました。その人は、大会スタッフのストイコビッチ河島ティヤナさん(25)でした。
準決勝に間に合ったパーチメントは決勝進出を果たすと、決勝ではシーズンベストの13秒04で、金メダルを獲得したのです。
彼はインスタグラムで、河島さんに再会して感謝を伝え、お金を返す様子を投稿すると、世界中で話題になり、彼女はジャマイカ大使館から式典に呼ばれ、
「河島さんの行動は日本人のホスピタリティーを象徴するもので、我々は感謝の気持ちでいっぱいです」と称賛され、ジャマイカ旅行を、招待されたのです。
ジャマイカ (ナショナルジオグラフィック世界の国) [ ジェン・グリーン ]
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絵本「ぼくらのサブウェイベイビー」の感動。
「ぼくらのサブウェイベイビー」と言う絵本が、世界中の人々に感動を与えているそうです。
これは、20年前にニューヨークで起きた実話がモデルです。
物語はダニーという男性が、地下鉄の駅で生まれたばかりの、黒人の男の赤ちゃんを、見つけたことから始まります。
家庭裁判所の公聴会に出席したダニー・スチュワートは、裁判官から突然「この子を養子に引き取ることに、興味はありまか?」と尋ねられます。
ダニーは、ビートと言う男性と暮らしていましたが、2人はこの赤ちゃんにケビンと名付け、正式に養子に迎え入れたのです。
2人は、戸惑いや不安もありましたが、多くの人の助けを借りながら、ケビン君を大切に育てたのでした。
そのケビン君は、20年経った現在大学生になり、数学とコンピューターサイエンスを学んでいる、立派な青年に育ったのです。
Our Subway Baby【電子書籍】[ Peter Mercurio ]
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『奇跡のバックホーム』横田慎太郎に野球の神様がいた。
横田慎太郎さんの著書『奇跡のバックホーム』を紹介します。横田さんは鹿児島実業から2013年ドラフト2位で、阪神に入団、
入団から4年目のキャンプ中盤に、突然の原因不明の頭痛が続き、その診断は脳腫瘍だったのです。
厳しい手術とその後のリハビリを果たし、育成選手としての再契約を果たします。
一軍復帰に向けた2019年「自分で打った打球が全く見えない」と退団を決意します。
そんな彼に「引退試合」が実現します。2019年ウエスタンリーグ最終戦、8回2アウト2塁で、横田さんは守備につきました。
息を呑むような状況の中、なんとバッターの打球は、センター前に転がり横田さんの前に飛んでいきました。
ボールが鮮明に見えない中で捕球し、ノーバンでバックホームし、クロスプレーで見事にアウトにしたのです。
このプレーが「奇跡のバックホーム」と呼ばれ、野球の神様が微笑んだと言われて話題になりました。
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サザエさん交通安全週間で、カツオの善行に感動。
浪平が路地から飛び出して来た自転車とぶつかりそうになり、浪平は意識を高めようと、磯野家交通安全週間を設けたのです。
1週間、交通安全に取り組めたら、ご褒美にお寿司屋に連れて行くと約束したのです。約束の期限まで残り2日。
サザエさんが買い物に行きますが、財布を忘れているのに気が付き、カツオが財布を届けると買って出て、家を飛び出します。
そして、急ぐあまり人とぶつかりそうになってしまい、浪平は激怒し、お寿司屋さんの話は、ご破算となってしまいました。
翌日、カツオは下校時に交差点に差し掛かると、信号が点滅し「赤」になろうとしていました。
いつものカツオなら、ギリギリ「青」で渡ってしまったかもしれませんが、気持ちが沈んでいたのか、次の「青」で渡ろうとしたその時、
一人のおばあさんが、横断歩道を渡ろうとしていたのです。慌てたカツオは、信号が「赤」になることを伝え、横断するのを引き留めたのでした。
それを近くにいた警察官が見ていて、カツオの「善行」を褒めたのでした。カツオの「善行」に心温まる感動がありました。
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アンネ・フランクの笑顔の名言。
『アンネの日記』の著者アンネ・フランクは、1929年6月、ドイツ・フランクフルトで、ユダヤ系ドイツ人の家庭で生まれます。
父は銀行家で一家は比較的裕福でしたが、銀行業も世界的な不況から立ち直れずに、業績は悪化していました。
1933年、ナチ党党首ヒトラーがドイツ国首相に任命されると、危機感を抱いたユダヤ系ドイツ人は次々と国外へ亡命します。
程なくして、フランク一家もオランダ・アムステルダムへ移住しますが、1939年9月ドイツ軍のポーランド侵攻により第二次世界大戦が始まります。
オランダは中立を宣言するも、ドイツ軍がオランダへ侵攻し、一週間足らずでドイツ軍占領地となったのです。
そんなアンネ・フランクの名言が、「薬を10錠飲むよりも、心から笑ったほうがずっと効果があるはず。」
苦しい時代を生きたアンネ・フランクが、こんな力強いメッセージを残しているのです。
皆さんは最近心から笑っていますか? 気持ちが落ち込んでいる時、そんな時には大きな声で笑ってみましょう。
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「辛い時の特効薬は心から笑うこと」
辛い時の特効薬があれば良いのですが、そんな苦痛を和らげて呉れる言葉がありました。それは、アンネ・フランクの言葉です。
「薬を10錠飲むよりも、心から笑った方がずっと効果があるはず。」
『アンネの日記』でお馴染みのアンネ・フランクは、過酷な環境下においても、いつも明るく希望を失いませんでした。そんな彼女の信条が伝わって来ます。
ナチスによるユダヤ人迫害が続く中、屋根裏部屋に隠れ住みながら書かれた『アンネの日記』は、
架空の友人キティに向けて書かれています。キティはアンネの心の中の友達でもあり、私たち読者でもあるのかもしれません。
辛い時に自分に勇気を与えて呉れるのは笑顔でしょう。笑顔は人を幸せにし、自分も幸せになれと、後押しして呉れるようです。
苦しい境遇の中でも人間の善性への信頼と、美への感受性を失わず保ち続けた、アンネのみずみずしい日々に触れる1冊です。
アンネの日記 増補新訂版 (文春文庫) [ アンネ・フランク ]
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「失敗しなかった一日は、……」
これは著述家の中谷彰宏さんの著書、『人生は成功するようにできている』の中で、出てくる言葉です。
誰でも失敗はしたくないですよね。では何故、人は失敗するのでしょう。それは新しいことに挑戦するからではないでしょうか。
一度失敗すると、次からは失敗しないようにと、考えたり、メモを取ったり、勉強したり、人から教えて貰ったりする筈です。
真剣になる第一歩は失敗だったのです。失敗しないと言うことは、何もしないから失敗しないのです。
「失敗は成功の母」と言うことわざがあります。失敗する事によってやり方を改めることができ、
それが成功へと繋がる事になるので、一度や二度の失敗にくじけるべきではないという教えです。
失敗しないようにと、皆の後ろから付いて行く人生と、自分で切り開いて行く人生。どちらを選びますか。
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「天使のパンは感動のパンだった。」
古都・鎌倉に一軒のパン屋があります。それは、元競輪選手の多以良(たいら)泉己(みずき)さんが食パンやライ麦パン、クルミパンなどを、インターネットで販売しているパン屋さんです。
レース中の事故による後遺症で、集中力が続かないのと、左足に麻痺が残り、一日に作れるのは2~5個ですが、彼の生き方に共感して注文する人は尽きず、食べた人から、
「こんなに勇気の出るパンはない」「生きる力をもらった」と多くの感想が寄せられ、口コミで「天使のパン」として広まり、今では注文から14年待ちだそうです。
選手時代に、最上級クラスへの昇級レースで1着でゴールする直前、後続の転倒に巻き込まれ頭から落車し、2日間生死の境をさまよい、意識が戻るも手足が動かせず、言葉も出ない状態でした。
1カ月後、何とか歩けるようになりましたが、不安の中、子供の頃から得意だったお菓子作りとパン作りを始め、生地を手でこねるのが、リハビリだと医師から聞きます。
そのパンをイベントなどで売ると、「どこの店よりもおいしい」と完売。「多くの人に食べて欲しい」とネット販売を開始。
パンを心待ちにする人は1万4600人に。「確かに事故で失ったものは大きかったけど、得たものも大きかった。人生に無駄なことなんて一つもない」と語っていました。
デジタルライフ・モノワーカー モノ選びで劇的に豊かになる仕事術 [ 高澤 けーすけ ]
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目の不自由な少年と野球選手の約束
アメリカのとある地方に、野球観戦の大好きな、でも、目の不自由な少年がいました。少年は大リーグ屈指のスラッガーである選手に憧れていて、少年はその選手へファンレターを送りました。
「ぼくは、目が見えません。でも、毎日あなたのホームランを愉しみにしています。
手術をすれば見えるようになるのですが、怖くてたまりません。あなたのような強い心が欲しい。ぼくのヒーローへ。」
少年のことがマスコミの目に留まり、二人が対面しました。「今度の試合でホームランを放てば、少年は勇気をもって手術に臨むと」ヒーローと少年は約束します。
テレビや新聞を見た多くのファンが、スタジアムで固唾をのんで見守り、少年も、テレビの中継を祈る思いで聞いています。
そして、その試合で、ヒーローの最後の打席。2ストライク3ボール。ピッチャーが投げた最後のボールは・・・大きな空振りとともに、キャッチャーミットに突き刺さりました。
全米から大きな溜め息が漏れようとした時、スタジアムの実況が、「ホームラン! 月にまで届きそうな、大きな大きなホームランです!」と、伝えたのです。
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「交通事故に遭ったピザ配達員の仕事の使命」
(これは私が昔、遭遇した実話ですので、こんなエピソードがあったそうです。と言う出だして話してはいかがでしょうか。)
それは駅前での事です。ピザ配達のバイクが横倒しになって、配達員が路上で横たわり、両手で顔を覆っていました。
乗用車の女性ドライバーが「私が悪いんです。後ろを確認せずに運転席のドアを開けたので、バイクがぶつかったんです」
事故で配達員の眼鏡が壊れ、目の中にレンズの破片が入ってしまったようで、苦しんでいました。
その時、配達員の青年が「お願いがあります。おまけを持参するのを忘れて、取りに帰って来たんです。これを、この先のマンションの311号室へ届けてください」
それを聞いた大学生らしき青年が「俺が届けて来る」と言うと、バイクから景品を取り出し、届けに行って呉れたのです。
その時、救急車が現場に到着しました。事故に遭い、自分が苦しんでいる状況でも、お客さまとの約束を守る青年の使命感と、進んで届けに行って呉れた青年、こんな若き二人がいたのです。
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「夫婦の思いやりが沁みる『賢者の贈り物』」
『賢者の贈り物』は、1905年アメリカの新聞に掲載されました。貧しい夫婦が、お互いの大切なものと引き換えに、クリスマスプレゼントを、贈り合う事で起きた、行き違いを描いた小説です。
この物語が広く世間で、知られるきっかけは、1988年に、ギフト販売の「シャディ」が、CMで放映したことによるものです。
物語のあらすじは、貧しい夫婦がお互いに、相手のクリスマスプレゼントを、如何しようかと考えます。
夫はサラリーマンでしたが、景気が悪く、給料が下がるばかりだったのです。夫は、祖父から父、父から自分へと受け継いできた、金の懐中時計を大事にしていました。
妻は、美しい長い髪を持ち主でしたが、夫の懐中時計に吊るす、プラチナの鎖を買い求めるために、髪の買取人のところへ行き、自慢の髪を切り、お金に換えたのでした。
一方、夫は、金の懐中時計を質に入れ、鼈甲の櫛を買い求めたのでした。この櫛は、妻が長く憧れていた櫛でした。
物語の終わりに、夫が妻に、「僕たちのクリスマスプレゼントは、少し置いてしまっておこう。今、使うには立派すぎる」
【抽出】
クリスマスに読みたい、オ・ーヘンリーの『賢者の贈り物』。
『震災避難所で見た、少年の優しさの精神』
東日本大震災5日後、被災地に一人の警察官が派遣されました。彼は在日ベトナム人の両親を持ち、苦学して大学院で学び、人のために働きたいと、日本に帰化した警察官です。
その夜、被災者に食料配布の手伝いに向かった学校で、その警察官は、寒い校舎にTシャツ短パン姿で、配給の最後尾に並ぶ9歳の男の子が気になります。
長い列の最後に居た少年に、夕食が渡るか心配になってその子に話しかけます。少年は警官の彼にポツリと話し始めます。
「お父さんが車ごと津波に呑まれるのを校舎の窓から見てしまった、自宅が海岸近くなので、たぶんお母さんや幼い妹弟も助かっていないと思う」と言ったのです。
家族を語る少年は、不安と悔しさと心細さと寒さで、にじむ涙を拭きながら声を震わせていました。
警官は自分の着ていたコートを少年にそっと掛け、そして持ってきていた自分の食料を少年に手渡しました。
しかし警官の彼が眼にしたのは、受け取った食料を、トコトコと配給箱に置きに行った少年の姿でした。
唖然とした彼の眼差しを見つめ返し少年はこう言います。「ありがとう、でも他にも沢山の人が、僕よりもっとおなかを空かせているだろうし…」
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「『サザエさん』カツオのお小遣いの使い方の名言」
アニメの「サザエさん」は1969年からテレビ放送されて50年を超え、今や国民的アニメの代表格です。登場人物のカツオに、感動した物語がありました。
それは、2020年8月9日に放送された「ぼくたち、勤労の夏」での事です。カツオは夏は交際費がかさむからと、せっせと小遣い目的で家の手伝いをすます。
しかし、なかなか貯まらないことから、九州の海平に、小遣いを融通してもらうため電話してしまいます。それが、波平にばれて「手伝いしても小遣いは禁止だ!」と怒られます。
すると中島君が「フリーマーケットの手伝いを一緒にやろうよ」と、カツオを誘い手伝いをする事で、500円をゲットします。
そのお金で、家族のためにスイカを買ったのです。家族みんなのために、お金を使ったのでした。カツオは言ってました。
なんだか自分だけの為に使うのは、もったいなくなって、僕も、お父さんたちが、お土産を買ってくる気持ちがわかったよ。
カツオの思いやり溢れる言葉にジーンと来ました。『サザエさん』の、日常生活の中に、ほっこりしたり感動がありました。
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【抽出】
「ヘレンケラーを教育したサリヴァン先生」
ヘレンケラーと言うと、三重苦でしたが、どんな教育をされたので、あんな素晴らしい、人格者となったのでしょう。
1887年3月、当時22歳のサリヴァンがヘレンケラーの家へ来ると、7歳になった彼女は、予想に反して元気のいい子でしたが、
一方怒りっぽくて乱暴、疲れを知らぬようにはね回り、両親も時に手を焼く有様なのを知って、この子に素直さを教えることは、並大抵の苦労ではないと直感します。
しかしヘレンは、頭脳明晰で、ことに記憶力がよく、適切な教育をすれば、素晴らしい子供になれると確信を抱きます。
サリヴァンは人形をヘレンに抱かせ、指文字で「DOLL(人形)」という字をその手の平に書きます。もちろんヘレンは何のことか判らなかったのですが、
繰り返しているうちに、それが自分の抱いているものの名前であることを覚り、2週間後には、全てのものに名前があることを理解したのです。
教育をはじめて3カ月目で、ヘレンは300の言葉を覚えます。これはヘレンの天賦の知力にもよりますが、サリヴァンの教育的手腕が、普通でなかったことを物語るものです。
サリバン先生 【学習漫画 世界の伝記NEXT】 ヘレン・ケラーとともに歩んだ教育者 (集英社版・学習漫画) [ 奥良モト ]
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【抽出】
「世界で注目を集めたタイのCM」
世界で注目された、タイCMがあります。そのストーリーは、学校から帰ってくるなり、体重計に乗る少年の姿から始まります。
体重を増やしたいのか、物干し竿で懸垂をし、床で腹筋を行います。視線の先のメモには「体重は最低でも45キロ」という文字。
自分で食事を用意し、さらにトレーニング。洗濯も自分でこなしているようです。
夜になり、布団に入った少年。またしてもメモを取り出しますが、そこには「最低でも6時間は寝ること」と書いてあります。
横になった少年のそばには、大きなベッド。枕がふたつ並べられていますが、そこに両親の姿はありません。
そこに、少年の父親が、病院から電話を掛けて来ます。病室で横たわる母親が映されたところで、映像の謎が明らかになります。
少年は自分の母親に輸血するため、輸血条件の「体重45キロ以上」「睡眠は最低でも6時間」を守るべく生活していたのでした。
CMの最後に、「1回献血するだけで、ひとりの人生を救える」というメッセージが、流れたそうです。
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「カツオの家族をテーマにした作文に感動」
それは、2019年9月22日に放映された「姉さんとぼく」でした。学校から“家族”のテーマで、作文の宿題を出されたカツオは、
「わが家で姉さん以上の面白い材料はない」と、提出日2日前に作文を提出します。花沢さんが驚いて理由を聞くと、「モデルがいいせいか、すらすら書けちゃってね」と自信満々の様子です。
そしてこの作文は、優秀とされ、クラスの代表として学校の文集に選出されたのです。
数日後、磯野家では、カツオの書いた作文の発表会が行われました。「では お粗末の一席」と前置きしたカツオは、「姉さんとぼく」という作文を読み上げます。
「僕が生まれたとき中学生だった姉は、生徒手帳の間に僕の写真を挟んで皆に見せびらかしていたらしい」と、サザエさんの旧友から聞いたエピソードを話します。
ところが最近、その写真をフネから見せてもらうとビックリ仰天。カツオ曰く、「猿みたいで、お世辞にも可愛いとは言えない」容姿だったのです。
「姉はなんでこんな写真を、可愛いと言ったのだろう」と素朴な疑問をフネにぶつけると、「それは弟だからですよ」と教えられたのでした。
磯野家の相続〔令和版〕 (PHP文庫) [ 長谷川 裕雅 ]
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【抽出】
「己の道を生きる勇気。スナフキンの言葉」
「大切なのは、自分のしたいことを、自分で知ってるってことだよ。」この言葉は『ムーミン』の中のスナフキンの言葉です。
スナフキンはムーミン谷の、川べりにテントを張って暮らし、秋になると南へ旅立ちます。
そんな自由な旅暮らしに憧れつつも、現実的に、スナフキンの生活に自分を重ね合わせて見ると、とても定住しないテント暮らしには不安を抱きます。
私たちは「本当にしたいこと」に伴う困難を恐れ、周囲との軋轢を避け、自分のしたいこととは、違うことばかりしているのかもしれません。
作者のトーベ・ヤンソンが生み出した『ムーミン』が知られるようになったのは、イギリスの新聞に連載された漫画が、人気に火を付けたのでした。
祖国のフィンランド紙では連載をしていましたが、本格的に連載が始まったのは、
1954年にイギリスの「イブニング・ニュース紙」からで、この連載は、1975年まで20年以上続いたのです。
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【抽出】
『君たちはどう生きるのか』の名言
「コペル君、いま君は、大きな苦しみを感じている。なぜ、それほど苦しまなければならないのか。それは、君が正しい道に、向かおうとしているからなんだ。」
この言葉は、いじめに苦しむ友達を助けようと、コペル君が声を上げ、友達たちと一緒に、いじめに立ち向かおうと誓いますが、
言い出した筈のコペル君が、いざとなると、怖くなり逃げ出し、その結果、友達たちは、ボコボコにされてしまいます。
その結果に責任を感じ、一時引きこもりになるのですが、友達との修復を、親戚のおじさんに頼んだ時の、おじさんの言葉です。
『君たちはどう生きるか』という本は、1937年(昭和12年)に刊行されました。昭和12年と言えば、第二次世界大戦が始まる2年前のことです。
そして、この本は現在でも大きな反響を上げています。
苦しむ事と言うことは、正しい道に戻りたいからだと言う、おじさんの言葉が、優しさと勇気を呉れる筈です。
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【抽出】
「ベーブ・ルースの病気の少年への約束」
ベーブ・ルースの本名は、ジョージ・ハーマン・ルース。酒場を自営する家庭に生まれ、幼少期よりわんぱくで、7歳で両親の手に負えない、不良少年になっていました。
全寮制の矯正施設に送られたジョージは、ここで神父マシアスに出会います。2m近い巨漢の神父は、ジョージを威圧し、勉強、職業訓練、野球を指導しました。
野球に魅力を感じ、チームのエースとなったジョージは、19歳でメジャーリーグデビューを果たしたのです。
非行から立ち直ったジョージは「ベーブ(赤ちゃん)」と呼ばれ、以後、野球ファンから親しまれ、ヤンキース在籍時に付けていた背番号「3」は、永久欠番となっています。
ベーブ・ルース伝説で有名な、病気の少年のためにホームランを約束し、実際に打ったという話で、「療養中の僕の小さな仲間へ、今日は1本か2本のホームランを打つよ」
そして約束通りホームランを打つと、病床のラジオで中継を聞いていた少年は勇気付けられ、見事に回復したと言うのです。
でもこの話、部分的には合っていますが、「病床で本人に約束した」など脚色も結構入っているようです。でも良い話ですね。
ベーブ・ルースは、なぜ甲子園でホームランを打てなかったのか [ 永田 陽一 ]
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「人生の最後に食べたいもの、ライオンのおやつ」
人生の最後に食べたいおやつは何ですか?食べて、生きて、この世から旅立つ。すべての人にいつか訪れる話の小説があります。
それは『本屋大賞』受賞の、小川糸さんの『ライオンのおやつ』です。
それは、不治の病が見つかり瀬戸内海のホスピス「ライオンの家」へ向かう主人公が船に乗り、代表のマドンナに会うためにやってきます。
その道中で、マドンナはどんな天使なのかと考えたり、5年前に父親に会った事を思い出しながら、船上の人となっていたのです。
主人公は、健康な頃は、明日が来ることが当たり前と信じて生きていましたが、それは本当はとても、幸せなことだったと悟ったのでした。
海が見られるホスピス、そこには、暖炉がある「おやつの間」があり、そこでは、毎週日曜日午後3時からお茶会があり、
選ばれた1種類のお菓子が、全員に提供されると言う、人生の最後を考えさせられる物語です。
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【抽出】
「自分の強みを発見した『銭湯図解』の凄さ」
誰でも自分の強みがあって、努力次第では、自分の強みを生かせる場所がある事を、改めて気が付いた事がありました。
それは「情熱大陸」で紹介された、塩谷歩波(エンヤ)さんです。塩谷さんは、早稲田大学大学院を卒業後、
都内の設計事務所に就職しましたが、仕事のストレスから体調を崩し、就職から1年半後に休職しました。
そんな時、友人や医師の勧めで、銭湯めぐりをするうちに、疲れた心と身体が、心身共に回復して来たと言います。
その銭湯の魅力を、友人に伝えようとして、建築図法を用いて描き始めた、緻密な銭湯の図解イラストを、ツィーター上に公開すると、
たちまち話題になったそうで、「自分のやりたい事は、絵を描く事だと気が付いた」と言います。
その銭湯の図解イラストを見た、東京高円寺の銭湯「小杉湯」の店主から、パンフレットの作成依頼を受けた縁で、小杉湯に就職し、『銭湯図解』の出版に繋がったそうです。
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【抽出】
「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」
この本の著者、ブレイディみかこさんは、1965年に福岡で生まれ、高校卒業後、アルバイトと渡英を繰り返し、1996年からイギリスの南端のブライトンに住んでいます。
ご家族は、アイルランド人の夫と、息子さんが一人。夫は金融街シティの銀行員から、大型ダンプの運転手に転職しました。
日本人の母と、アイルランド人の父の間に生まれた息子さんは、自分のアイデンティティが、日本なのか、イギリスなのかに悩みながら、思春期を迎えたのでした。
そんなある日、ブレイディみかこさんは、息子さんの部屋にある、机の上の国語のノートの、落書きが目に入ったのです。
青い色のペンで、ノートの端に、小さく体をすぼめて、息を潜めているような筆跡で、「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」と記されていたのです。
イギリスでは公立でも、保護者が子供を通わせる、小・中学校を選ぶことが出来るようで、学校のランクが公表されています。
彼女のお宅は、学校ランキングでも底辺あたりの、元公営住宅地に住んでいて、息子さんは迷いながらも自分で「底辺中学校」への進学を決めたのです。
ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー [ ブレイディ みかこ ]
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【抽出】
「植物を愛した判事『家栽の人』」
『家栽の人』は小学館の『ビックコミック』として、1987年~1996年までの、9年間に渡って掲載されたコミックです。
主人公の桑田義雄は、人間を愛し、植物を慈しむ、変わり者の家庭裁判所の判事で、
植物が大好きで、愛する草花を少しでも多く、植えたいと思っている「植物オタク」のような人なのです。
桑田判事の父は、最高裁判所の長官で、法曹界のトップでしたが、彼は出世に興味はなく、地方都市の家庭裁判所で、道を誤った少年の、更生を支えていたのです。
問題を起こして、家庭裁判所に送られてくる、少年少女たちに、土いじりの好きな桑田判事は、草木を育てるように、愛情を込めて接し更生を促してゆくのです。
彼は、罪を犯した少年の心の機微に対して、大人たちがどう接するべきなのかを考えていて、罰するのではなく彼らを見守り、励まし、育てようとしていて、こんな言葉を語ります。
「植物は簡単に花が咲き、実がなるものではありません。時間をかけて、大切に慈しみ育てることが大切です。」
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【抽出】
「麒麟の田村裕『ホームレス中学生』の教訓」
田村裕さんが「貧乏」になったのは、父親のリストラでした。父親は大手製薬会社の管理職で、裕福な家庭で育ちました。しかし、小学5年生の時に最愛の母を亡くし、
その後、父親も母と同じ病になります。父親は早期発見のため手術が成功し、一命を取り留めますが、運悪く入院中に、勤務先から解雇され、全財産を失ったのでした。
実家がいきなり貧乏となり、中学2年の時に家が差し押さえられ、家族と生き別れ、その後は、近くの公園に住みついて、雑草やダンボールを食べていた。と言う話で話題になりました。
父親とは、一家離散後は、ほぼ全く連絡を取らず、長きに渡って消息不明の状態が続いていましたが、テレビ番組内で、アメリカの超能力者によって、父親が発見され再会を果たしたのです。
『ホームレス中学生』の印税2億円が話題となりますが、田村裕さんの説明によると、1億円は税金で支払い、残りは父親の家を建て、もろもろ使って、使い果たしたと言います。
何故、貯金をしなかったのかと言う問いに「ホームレス中学生のアカンところは、何とかなると思って生きてきたこと」と、話されたのです。
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【抽出】
「星の王子さまの大切なものの名言」
『星の王子さま』の中で、サン・テグジュペリのこんな言葉が印象的す。「大切なものは、目に見えないからね。」
『星の王子さま』の中でも、象徴的な言葉で、人は目に見えるものを大事にしますが、本当に大切で大事なものは、目に見えない、心の中や、気持ちの中にあって、
人を思いやる気持ちや、助け合う心、人への感謝の思いなど、目には見えませんが、大切にしなければならないものが、たくさんあると言っているのです。
サン・テグジュペリは、1900年にフランスのリヨンで生まれ、幼少期より飛行士に憧れて、兵役に志願し、陸軍飛行連隊に入隊、軍用機操縦士に従事、退役後も民間飛行士として活躍しました。
軍隊に属しながら26歳で作家デビューしますが、第二次世界大戦に召集され、ドイツ軍のフランス侵攻を受け、アメリカへ亡命し、ニューヨークで『星の王子さま』を執筆したのです。
その後、自ら志願して。北アフリカ戦線に赴き、偵察部隊に着任するも、1944年7月地中海コルシカ島から、偵察飛行に飛び立ち、そのまま消息を絶ったのでした。
星の王子さまオリジナル版 [ アントアーヌ・ド・サン・テグジュペリ ]
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【抽出】
「チャーリーブラウンの人生の名言」
「Peanuts」は1950年にアメリカの漫画家、チャールズ・M・シュルツが新聞連載を始めた時のコミックです。
題名の「Peanuts」は、ピーナッツでも食べながら気楽に読めるマンガとして付けられた説があるようですが、シュルツはこれを否定していたそうです。
登場人物のスヌーピーは、ちょっと皮肉っぽい犬ですが、その飼い主のチャーリーブラウンは、とても人間味に溢れています。
彼には妹のサリーがいて、親友のライナスは、いつもタオルケットを引きずっています。
チャーリーブラウンは野球が大好きで、監督兼ピッチャーですが、彼のチームはいつも負けてばかりです。
ピンチになると仲間たちが、ピッチャーズマウンドに駆け寄って彼を励まします。彼はどんなに打たれようが、どんなに三振しようが諦めません。
そんなチャーリーブラウンの言葉です。「人生という本は、後ろの方に答えが書いてあるんじゃないんだ。」
PEANUTS スヌーピー (70周年記念 ) – 完全版 ピーナッツ全集 1 スヌーピー1950~1952 / 雑誌・書籍
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【抽出】
「一杯のかけ蕎麦の話、覚えていますか?」
1972年の大晦日に、札幌の時計台横丁(架空の地名)にある「北海亭」という蕎麦屋に、2人の子供を連れた女性がやって来ます。
閉店間際だと店主が母子に告げますが、どうしても蕎麦が食べたいと母親が願い、店主は仕方なく母子を店内に入れたのです。
3人連れにも関わらず母親は「かけ蕎麦を1杯ください」と言ったのです。店主は母子の心情を思い、本人たちに分からないように、内緒で1.5人前の蕎麦を茹でたのです。
母子は一杯150円の、かけ蕎麦を分け合って食べました。この母子は事故で父親を亡くし、大晦日に父親の好きだった「北海亭」のかけ蕎麦を食べに来ることが、年に一度の贅沢だったのです。
翌年の大晦日も1杯、翌々年の大晦日は2杯、母子はかけ蕎麦を食べに来たのです。その都度「北海亭」の店主は、彼らに分からないように、多めにそばを茹でました。
ある年から母子は来なくなります。そして十数年後のある日、母と大きくなった息子2人が再び「北海亭」にやって来ました。
子供たちは医師と銀行員になり、すっかり立派な大人となっていました。そして、わざわざ遠方からこの店を訪れ嬉しそうに、母子3人でかけ蕎麦を3杯頼んだのでした。
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「イチローの好きな事を仕事にする考え方」
メジャーリーガーだったイチローさんを、ブランドパートナーとして起用する、SMBC日興証券が公開した動画で、イチロー先生が質問に答えています。
「好きなことを仕事にすると大変ですか?」と言う、将来、お寿司屋さんを開きたいと言う少年の質問に対して、イチローさんはこう答えました。
「僕は野球をプロとしてやって来たけど、小学生、中学生の時とは全く違って、楽しさはゼロだった」と本音を吐露。
「自分の仕事になると、大変になるので、心から楽しめなくなる」と語り、「プロになるとやっぱり責任がついて回って、もちろん上手く行った時の快感はあるけれど、基本的には失敗と向き合う時間になる」
「だから、もう一度『野球選手になりたいか』と、僕は聞かれたら『やりたい』とハッキリ言う事は出来ない」
「それが、プロの世界だと言うことを、知っておいて貰いたい」と語ったのでした。
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「朝礼ネタ困るよね。朝の一言スピーチは感動ネタで例文公開中」への2件のフィードバック
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