きっと読みたくなるはず~珠玉の読書の名言。
読書とは不思議なものです。それは自分の知らない世界に、ページをめくるだけで、連れて行って呉れるからです。
1冊の本の中に、自分の人生を変えるモノが、潜んでいる事だってあるのです。
1万冊の書庫の蔵書も、20冊のブックエンドに挟んだ本も、その人にとっては、かけがいのない、本の小宇宙なのです。
私が本の虫になった理由。
ヘルマンヘッセの『車輪の下』から始まった。
私が本の虫になったのは、高校入学式の帰り道、駅前の本屋で買ったヘルマン・ヘッセの『車輪の下』の1冊の文庫本でした。
それまであまり読書の経験が無かった私は、たぶん、薄っぺらな文庫本なら、簡単に読めるんじゃないかと思って選んだのです。
ヘルマン・ヘッセの、自伝的なこの小説がきっかけで、本の世界に迷い込んでしまったのです。
それから何十年、読書をして来たでしょう。
学生時代はお金がありませんが、時間だけはあったので、古典と言われる長編に挑んでいました。
それが、社会人になると、お金はあっても、読書に充てる時間が減ってしまいます。
仕方がないことですが、殆どの時間を、仕事のために使ってしまい、
その上に、上司とのお酒の付き合いが重なると、 もう自由になる時間は、通勤電車の中だけと言う、状態になったのです。
1万冊の本を集めようとしていた。
本棚の背表紙を眺めていた頃。
そんな中でも、本に触れていたいと、忙しい中、毎日のように書店へ通い、1日1冊程度のペースで本を買っていたのです。
そして、購入し読んた本を本棚に並べて、背表紙を眺めていました。
その頃は、早く1万冊の本を集めようとしていましたが、 人生とは不思議なもので、
ある時から、私はインドア派から、アウトドア派に、代わってしまったのです。
きっと読みたくなる、読書の名言。
それでも、読書は私の人生のバックボーンになっているようです。
特に若い頃。とりわけ10代の頃に読んだ本の事は、よく覚えています。
人生の中で読書はして来ました。人生の折々で、その年代、世代になると、同じ本でも違った見方が出来るようです。
そんな、読書についての名言を集めて見ました。
《目次》20選。
チャーリーブラウンの読書は旅だ。
ヘルマン・ヘッセの読書の名言。
サマーセット・モームの読書の教養。
バーナードショーのラマンチャの男
手塚治虫の自分の世界を作れ。
司馬遼太郎の図書館と古本屋。
『徒然草』に蔵書の収集癖あり。
デカルト「我思う、ゆえに我あり」
ショーペンハウアー読書は旅行案内書
アナトール~本は貸してはならず。
ゲーテの本の名言。
ウォルトディズニーの財宝よりも凄い
ソローの読書の名言。
ビル・ゲイツの本の名言。
ヘミングウェイの書籍は友。
マーク・トゥエインの「古典」とは
森本哲郎「万里の道、万巻の書」
塩野七生~時間がないと読めない?
『読書をお金に換える技術』
カズレーザー本は読んだらすぐ処分
「読書っていうのは冒険の一種なんだ、本を読むのは、新しい場所への旅だ。」
チャールズ・M・シュルツの読書は旅だ。
チャーリーブラウンの言葉。
スヌーピーでお馴染みの、「Peanuts」は、1950年にアメリカの漫画家、チャールズ・M・シュルツが新聞連載を始めたコミックです。
作者、チャールズ・M・シュルツは、貧しいドイツ系移民で、理髪師として、生計を立てていた、父のカールと、
ノルウェー系移民の母、ディナーの間に、1922年に、ミネソタ州ミネアポリスで生まれました。
幼い頃から、絵の才能が有ったようで、幼稚園のころから、 将来は画家になるんじゃないかと、噂されていたようで、
それが、彼の励みになっていたそうです。
彼の性格は内気でしたが、勉強は良く出来たと言います。
しかし、体格の良い子供たちから、仲間外れにされた経験が、 後の、チャーリーブラウンの、誕生に繋がるようです。
完全版 ピーナッツ全集 15 スヌーピー1979~1980 (完全版 ピーナッツ全集 全25巻) [ チャールズ・M・シュルツ ] |
チャールズ・M・シュルツは、成人になると、第二次世界大戦で、ヨーロッパへ出兵します。
1945年に除隊後、アート・インストラクション・スクールに就職します。
そして、そこにいた同僚の名前が、チャーリーブラウンだったのでした。
そんな、チャーリーブラウンが、読書について、こんな名言を語っています。
「読書っていうのは冒険の一種なんだ、本を読むのは、新しい場所への旅だ。」
チャーリーブラウンは、読書を旅だと語り、冒険は楽しいものだよと、言っているようです。
Snoopy(9(1997-1998)) どうしてなんだろ? (Sunday special Peanuts series) [ チャールズ・M.シュルツ ] |
「書物そのものは、君に幸福をもたらすわけではない。ただ書物は、君が君自身の中へ帰るのを助けてくれる。」
ヘルマン・ヘッセの読書の名言。
私に読書の愉しみを教えて呉れたのが、ヘルマン・ヘッセの『車輪の下』でした。
それは、ドイツの田舎町、シュヴァルツヴァルトで、幼い頃から優秀だった主人公のハンスが、神学校へ入学します。
地元の期待を一身に背負い、共に学ぶ友人もいない中で、勉強に明け暮れ、淡々と続く生活の中で、
やせ細った青白いハンス少年は、追い詰められて1年も経たずに休学し、そして、悲しい結末が待っていたのです。
そんな、ヘルマン・ヘッセの言葉です。
「書物そのものは、君に幸福をもたらすわけではない。ただ書物は、君が君自身の中へ帰るのを助けてくれる。」 (ヘルマン・ヘッセ)
「読書は人を聡明にしない。ただ教養ある者にするだけだ。」
サマーセット・モームの読書の教養。
ウィリアム・サマセット・モームは、イギリスの小説家で劇作家です。
フランス・パリに生まれ。10歳で孤児となり、イギリスに渡ります。
医師となり第一次世界大戦では軍医として従軍し、1919年に『月と六ペンス』で注目されるのです。
『月と六ペンス』は、画家のポール・ゴーギャンをモデルにした小説で、絵を描くために安定した生活を捨て、
死後に名声を得た人物の生涯を、友人の一人称という視点で描かれています。
モームはこの小説を書くにあたり、実際にタヒチへ、赴いたそうです。
「読書は人を聡明にしない。ただ教養ある者にするだけだ。」 (サマーセット・モーム)
「ドンキホーテは読書によって紳士になった。そして読んだ内容を信じたために狂人となった。」
バーナード・ショーのラマンチャの男。
『ドン・キホーテ』は、スペインの作家、ミルゲ・デ・セルバンテスの小説です。
当時のヨーロッパで流行していた、騎士道物語が大好きな、下級貴族の主人公は、村の司祭と床屋を相手に、騎士道物語の話ばかりしていました。
やがて彼の騎士道熱は、本を買うために、田畑を売り払うほどになり、
昼夜を問わず、騎士道小説ばかり読んだあげくに正気を失い、
妄想に陥った主人公が、 自らを伝説の騎士と思い込み、「ドン・キホーテ・デ・ラマンチャ」と名乗って、
痩せこけたロバのロシナンテにまたがり、従者サンチョ・パンサを引きつれ、遍歴の旅に出かける物語です。
そんな、『ドン・キホーテ』を、皮肉屋のバーナード・ショーが、見事に言い現わしています。
「ドンキホーテは読書によって紳士になった。そして読んだ内容を信じたために狂人となった。」 (バーナードショー)
「君たち、漫画から漫画の勉強するのはやめなさい。一流の映画をみろ、一流の音楽を聞け、一流の芝居を見ろ、一流の本を読め。そして、それから自分の世界を作れ。」
手塚治虫の読書の自分の世界を作れ。
マンガの神様。
手塚治虫は言わずと知れた、漫画界の頂点に立つ人です。
戦後の日本を元気にした、一人に輝くのは間違いなく、生前から「マンガの神様」と呼ばれていました。
少年の頃、手塚治虫は、友人の影響を受けて昆虫、科学、天文学に興味を持つようになります。
そして、手塚家の邸宅には広い庭があり、そこは昆虫の宝庫だったようです。
そんな昆虫の存在を知り、それにちなんでペンネーム「手塚治虫」を使いだしたのです。
1941年に中学校入学した年が、太平洋戦争が勃発した年で、
1946年、17歳で終戦をむかえ、子供向け新聞に4コマ漫画を開始しました。
その後、大阪帝国大学付属医学専門部を卒業し、1952年、23歳の時に医師免許を取得しますが、
母の後押しもあって、専業漫画家の道へ、進むことになったのです。
母親は、医者よりも漫画家と言う、手塚治虫の天性の素質を、見抜いていたかもしれません。
「君たち、漫画から漫画の勉強するのはやめなさい。一流の映画をみろ、一流の音楽を聞け、一流の芝居を見ろ、一流の本を読め。そして、それから自分の世界を作れ。」 (手塚治虫)
「自分には学校というものは、一切存在理由がなかった。自分にとって、図書館と古本屋さんさえあれば、それで十分であった」
司馬遼太郎の図書館と古本屋。
『竜馬がゆく』の執筆にあたり。
司馬遼太郎と言えば『坂の上の雲』を思い浮かべます。
日本騎兵を育成し、中国大陸でロシアのコサック騎兵と死闘をくりひろげた秋山好古。
東郷平八郎の参謀として作戦を立案し、日本海海戦でバルチック艦隊を破った、弟の秋山真之。
そして、病床で筆をとり続け、近代俳諧の基礎を築いた正岡子規。
この三人を中心に、明治維新を経て、近代国家の仲間入りをしたばかりの「明治日本」と、
その明治という時代を生きた、3人の男たちの生涯を描いた、司馬遼太郎の歴史小説です。
しかし、根強い人気作品と言えば、『竜馬がゆく』でしょう。
司馬遼太郎は『竜馬がゆく』の執筆にあたり、神田神保町の古本屋街に行ったそうです。
そこで、複数の古書店から、ワゴン車1台分、当時の価格で1,400万円もの古書、古文書を購入して、
『竜馬がゆく』の執筆にあたったそうなのです。
「自分には学校というものは、一切存在理由がなかった。自分にとって、図書館と古本屋さんさえあれば、それで十分であった」 (司馬遼太郎)
「多くても見苦しからぬは、文庫の文、塵塚の塵」
『徒然草』に蔵書の収集癖あり。
古文の授業の『徒然草』。
高校時代のの古文の授業で、兼好法師の『徒然草』72段を学習した時です。
そこは「賤しげなる物」の段で、
「下品に見える物は、調度品の多さ、硯に筆の多さ、持仏堂の多さ、庭の石や草木の多さ、家のなかの子・子孫の多さ、人に会った時の言葉の多さ、善行を行う方法の多さ」、に続き、
多くても見苦しからぬは、文庫の文。
「多くても見苦しからぬは、文庫の文、塵塚の塵」と続いていました。
現代訳にすると、
「多くても見苦しくない物は、室内で書籍を運搬する、文車に積んだ書籍と、ゴミ捨て場のゴミ」となるのでしょう。
何で兼好法師が、ゴミが見苦しく無いと、言ったかは分かりませんでしたが、
本はいくら多くても良いんだと、自分なりに解釈してしまったのです。
それからと言うと、毎日のように本を買い続けて、朝から晩まで、授業中も読んでいました。
そして、社会人になると、お金に余裕が出来た事で、更に、本の収集が加速してゆきました。
【抽出】
「良き書物を読むことは、過去の最も優れた人達と会話をかわすようなものである。」
デカルト「我思う、ゆえに我あり」
近代哲学の父
考える主体としての自己(精神)と、その存在を定式化した
「我思う、ゆえに我あり」は、哲学史上で最も有名な命題の一つです。
そしてこの命題は、当時の保守的思想であった、スコラ哲学の教えであるところの「信仰」による真理の獲得ではなく、
人間の持つ「自然の光(理性)」を用いて真理を探求していこうとする、近代哲学の出発点を簡潔に表現しているのです。
それが、デカルトが「近代哲学の父」と称される所以でしょう。
方法序説 (岩波文庫 青613-1) [ デカルト,R. ]
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「読書で生涯を過ごし、さまざまな本から知恵をくみとった人は、旅行案内書をいく冊も読んで、ある土地に精通した人のようなものである。」
ショーペンハウアーの読書は旅行案内書。
ドイツの哲学者。
アルトゥール・ショーペンハウアーは1788年、富裕な商人であった父ハインリヒと、
名門トロジーネル家の出身であった母ヨハンな・ショーペンハウアーの長男とし生まれたドイツの哲学者です。
1800年(12歳)に、家族と共に三ヵ月のプラハ旅行へ、
1803~1804年(15~16歳)には、やはり家族と連れ立ってヨーロッパ周遊大旅行(オランダ、イギリス、ベルギーフランス、オーストリア、シュレージェン、プロイセン)へ出ています。
これらの旅行は、父の商用旅行を兼ねておこなわれており、アルトゥール自身の旅日記が残されていますが、
上流階級との交流や劇場、美術館訪問などが、記されていると同時に、
路上の物売り、大道芸人、みすぼらしい旅館や居酒屋、旅人たちの労苦、民衆の貧窮、
過酷な強制労働、絞首刑の場面など社会の底辺の悲惨と苦しみにも目が向けられ、
しばしば激しい衝撃を受けていたことが窺われるが、その多くの感想には早くも厭世主義的な気分や判断がみられていたのです。
この言葉は、チャーリーブラウンが言っていた、
「読書っていうのは冒険の一種なんだ、本を読むのは、新しい場所への旅だ。」に、相通じるものがあるように思いませんか。
幸福について (まんが学術文庫) [ ショーペンハウアー ]
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「本は人に貸してはならない。貸せば戻ってこないからだ。私の書斎に残っている本といったら、そうやって人から借りたものばかりだ。」
アナトール~本は他人に貸してはならず。
ノーベル文学賞受賞作家。
アナトールはフランスの詩人・小説家・批評家です。本名はジャック・アナトール・フランソワ・ティボーで、パリ出身です。
アカデミー・フランセーズの会員を務め、ノーベル文学賞を受賞しました。
代表作は1881年長編小説『シルヴェストル・ボナールの罪』、
『舞姫タイス』『赤い百合』『エピクロスの園』などで、芥川龍之介が傾倒し、石川淳が訳していたことで有名です。
確かに、本は一度読んでしまったら、なかなか読みませんが、
そんな時、この本貸してと言われたら、二度と手元には戻らないかもしれない覚悟を、しておくべきかもしれません。
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「気のいい人たちは、読むことを学ぶのにどのくらい時間と骨折りがいるものか、知らない。私はそれに80年を費やしたが、今でもまだ目指すところに達したとは言えない。」
ゲーテ~いくら読んでも到達点は見えない。
ドイツの文豪。
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(1749年~1832年)は、ドイツ中部の、裕福な家庭に生まれました。
父方の家系はもとは蹄鉄工を家業としていたが、ゲーテの祖父は、フランスで仕立て職人としての修業を積んだ後、
フランクフルトで、旅館経営と葡萄酒の取引で成功し、大きな財を成していたのです。
ゲーテは、ドイツの詩人、劇作家、小説家で、ドイツを代表する文豪です。
小説『若きウェルテルの悩み』『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』、
叙事詩『ヘルマンとドロテーア』、詩劇『ファウスト』など広い分野で重要な作品を残しました。
特に、25歳のときに出版した『若きウェルテルの悩み』では、ヨーロッパ中に、その文名を轟かせたのです。
大作『ファウスト』は、20代から死の直前まで書き継がれた、ライフ・ワークでした。
ヴィルヘルム・マイスターの修業時代(上) (岩波文庫) [ ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ ]
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「宝島の海賊たちが盗んだ財宝よりも、本には多くの宝が眠っている。そして何よりも、宝を毎日味わうことが出来るのだ。」
ウォルト・ディズニーの財宝よりも凄いもの。
「夢と冒険の魔法の国」
ディズニーリゾートは、アニメーションの第一人者の、一人の男の夢の実現を結集して創られたものです。
その人物こそが、ウォルトディズニーです。
ウォルトディズニーは、1901年2月にアメリカ合衆国、イリノイ州シカゴで生まれました。
兄のロイ・ディズニーと共同で設立した「ウォルトディズニーカンパニー」は、
数々の倒産と失敗を繰り返しながらも、彼らは「夢と冒険」の世界を、追い続けました。
そんな彼らが追い求めた、「ウォルトディズニーカンパニー」は、
今では、総資産985億ドル(2018.09期)の巨大企業となり、更に多くの企業を買収し続け、更に、成長し続けています。
そんな、ウォルト・ディズニーの有名な言葉は、
「夢を求め続ける勇気さえあれば、すべての夢は必ず実現出来る。いつだって忘れないで欲しい、すべては一匹のネズミから始まったという事を」
くまのプーさん 心が変わる「論語」 (角川文庫) [ ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社 ]
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【人生の名言】ウォルトディズニーは夢を実現し、投資家にも夢を与えた。
「真に素晴らしい本は内容以上のことを教えてくれる。その本を置き、仕入れた知恵を試したくなる。読むことで、行動せずにはいられなくなるのだ。 」
ヘンリー・デイビッド・ソローの読書の名言。
『ウォールデン森の生活』
この言葉は、アメリカの作家、詩人、思想家、博物学者のヘンリー・ディヴィット・ソローです。
彼は、1817年に、マサチューセッツ州コンコード市で生まれました。
ハーバード大学を卒業しましたが、生涯を通じて、定職に付かなかったようです。
そんな彼が、27歳の時に、ウォールデン池畔の森の中に、丸太小屋を建て、自給自足の生活を、2年2ヵ月間送りました。
その経験を生かして、代表作『ウォールデン森の生活』を、1854年、彼が37歳の時に出版しました。
『ウォールデン森の生活』は、池畔の丸太小屋での体験をまとめたもので、その思想は、後の時代の詩人や作家に、大きな影響を与えました。
その著書は、自然や湖、動物などの描写の他に、人間の精神、哲学、社会環境など、幅広く言及しています。
ソロー『森の生活』を漫画で読む シンプルに暮らそう! [ ヘンリ・デーヴィド・ソロー ]
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【抽出】
「子どものころからたくさん本を読んで、自分でものを考えろと言われて育った。両親は、本や政治や、その他いろいろなことについて、子どもたちを交えて話し合った。」
ビル・ゲイツの本の名言。
世界の大富豪
2020年の世界の大富豪ランキングの、2位はビル・ゲイツでした。
彼は、マイクロソフトの創業者で、マイクロソフトを知らない人は、いないんじゃないでしょうか。
windowsのパソコンを作り、word、excelなどの、マイクロソフトの製品を作り、私たちの生活を飛躍的に便利にしました。
2006年にマイクロソフトから退社し、妻と一緒に、環境問題の財団を創設し、地球温暖化や医療など、様々な地球規模のプロジェクトへ資金を提供する、社会貢献活動をしています。
ビル・ゲイツの幸せになる質問 もしも1日200円しか使えなかったら? [ 中谷昌文 ]
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【抽出】
フォーブス誌2020大富豪ランキング!世界一のお金持ちは誰?
「書籍ほど信頼できる友はいない。」
ヘミングウェイの書籍は友。
1921年~1926年の、パリ修業時代。
ヘミングウェイは、1899年7月21日、イリノイ州オークパーク(現在のシカゴ西部)に6人兄弟の長男として生まれます。
父は医師で活動的な人物であり、彼は父親から、釣りや狩猟、ボクシングなどの手ほどきを受けたのです。母は元声楽家でした。
1917年、高校卒業後に地方紙の見習い記者となりますが退職。
翌年、赤十字の一員として、北イタリアのフォッサルタ戦線に赴き、重傷を負ったのです。
戦後はカナダ・トロントにて「トロント・スター」紙のフリー記者をつとめ、特派員としてパリに渡ります。
そのパリで、画家や詩人たちが集うサロンを開いていた米国人作家のガートルード・スタイン、
スコット・フィッツジェラルドらとの知遇を得て小説を書き始めたのです。
移動祝祭日 (新潮文庫 新潮文庫) [ アーネスト・ヘミングウェイ ]
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【抽出】
「「古典」とは、人々が賞賛し、かつ読もうとしない本のことである。」
マーク・トゥエインの「古典」とは。
『トム・ソーヤの冒険』
マーク・トゥエインは、アメリカ合衆国の著作家、小説家。ミズーリ州出身で、『トム・ソーヤの冒険』の著者として知られ、
数多くの小説やエッセーを発表、世界中で講演活動を行うなど、当時最も人気のある著名人でした。
ウィリアム・フォークナーは、トウェインが「最初の真のアメリカ人作家であり、我々の全ては彼の相続人である」と記しました。
アーネスト・ヘミングウェイは『アフリカの緑の丘』において、
「あらゆる現代アメリカ文学は、マーク・トウェインの『ハックルベリー・フィン』と呼ばれる一冊に由来する」と述べたのです。
では、彼が読もうとしない「古典」となった『トム・ソーヤの冒険』は、どんな話でしょうか?
主人公のトマス・ソーヤー少年(通称:トム)は、ミシシッピ川のほとりの自然豊かな小さな町で、
ハックルベリー・フィン(通称:ハック)をはじめとする仲間たちとともに、さまざまな冒険を繰り広げる話です。
舞台は、1840年頃のミズーリ州セント・ピーターズバーグ(ミシシッピ川流域の架空の町です。
作品の大部分は、マーク・トウェインが少年の頃に、自身あるいは学友の身に実際に起きた出来事で、
当時の子供たちの迷信も、そのまま語られています。
最も有名なエピソードの1つは、トムがポリーおばさんから罰として課せられた塀のペンキ塗りを、
友人たちに自ら進んでやりたいと思わせ、しかもその交換条件として物品をせしめてしまうという第2章の話です。
トムはその成功に味をしめて、同じようなことを繰り返しますが、
意外なオチが待っている、という教訓的要素も含まれているのです。
トム・ソーヤーの冒険 (福音館文庫) [ マーク・トウェイン ]
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「万里の道、万巻の書」
森本哲郎さんの、本を読むことは旅をすること。
元朝日新聞記者。
「万里の道、万巻の書」私の好きな言葉です。この言葉を教えてくれたのは、作家の森本哲郎さんの本でした。
たくさんの書籍を読むことは、世界中を旅するようなもの、本が知らない世界を、教えて呉れていたのです。
読書は、素晴らし知識の宝庫であることを教えて呉れます。
たくさんの旅をして、多くの国を巡ることに匹敵するのは、多くの書籍を読むことだと言っています。
森本哲郎さんは、朝日新聞の記者をされていて、世界中を飛び回り、多くの紀行文を新聞に掲載し、
取材を通して、物事の本質を伝えて呉れた人です。
その後、作家となり魅力ある著書を、多数出版しました。
そして本を読むたびに、森本哲郎さんの「万里の道、万巻の書」の言葉が、聴こえて来るのです。
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【抽出】
「私は時間がなくて本も読めません、という弁解を、絶対に信じない。」
塩野七生さん~時間がないと本は読めないのか?
7月7日生まれに由来の名前。
塩野七生は、歴史作家、小説家で、名前の「七生」は、ペンネームではなく本名だそうです。
それは、7月7日生まれであることに、由来するそうです。
1992年から古代ローマを描く『ローマ人の物語』を年一冊のペースで執筆し、
2006年に『第15巻 ローマ世界の終焉』にて完結しました。(文庫版も2011年9月に刊行完結)
一連の著作を通して、日本において、古代ローマ史やイタリア史、イタリア文化に対する関心を、高めた事を評価され、
2000年には、イタリア政府よりイタリア共和国功労勲章グランデ・ウッフィチャーレ章を受賞しました。
父親は詩人・小学校教師の塩野筍三(1905年 – 1984年)で、
神田神保町の古本屋通いが大好きな、読書人であったと言います。
塩野七生『ローマ人の物語』スペシャル・ガイドブック (新潮文庫) [ 新潮社 ]
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「稼ぐためだけの読書があってもいい。」
千田琢哉さん『読書をお金に換える技術』
「稼ぐためだけの読書があってもいい。」
千田琢哉さんの著書に『読書をお金に換える技術』と言う本があります。どんな本だろうと覗いてみると、
そのプロローグに、「稼ぐためだけの読書があってもいい。」とされています。
これは、「お金を稼げる本の読み方を教えてください」と言う読者からのメールが、
千田琢磨さんの元に、頻繁に届くようになったからだと記載しています。
そして、「本のおかげでお金を稼がせてもらった。」だから、「稼ぐことにとことんこだわった読書を伝授しよう」としていたのです。
稼ぐための大敵は?
モタモタしているとチャンスが逃げる。
「稼ぐために一番の大敵は、もともたすることだ。お金はもたもたする人間が大嫌い」として、
本の買い方からして、すでに勝負は始まっているとしています。
正に、時は金なりです。「何かを教わろうと思ったら、まず行動を起こすだ。」とされていました。
【抽出】
「本は読み終わったら、すぐに処分しますね」
カズレーザーの本は読んだらすぐ処分。
年間200冊以上を読破する読書家。
読書も好きで知られる、カズレーザーさんは、年間200冊以上の本を読んでいるようで、
雑誌、図鑑、文学、絵本、エッセイ、新書など、幅広いジャンルの本を読破しています。
そのうえ、番組などで語るユニークで正直な「書評」がおもしろいと評判です。
そんなことから、カズレーザーさんが、おすすめした本は、翌日には書店から姿を消すとまで、言われています。
そんなカズレーザーが2016年11月10日放送の『アメトーーク』に、読書芸人として出演した際に、
読書のことなどを話していました。
「読み終わったら、すぐ処分」
そして、この放送の中でも、最も「素晴らしい」と称賛された、本との付き合い方を、カズレーザーさんが、言及したのです。
カズレーザーさんは、驚いた事に「本棚は持っていません」と言うのです。
本は床に直置きで、40㎝ほど積み上げているだけだそうです。
朝リーディング 心をととのえるための、本の読み方・使い方 [ 長谷川理恵 ]
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「20冊ぐらいになったら、後輩にあげたり、古本屋で売ります」
「本は読み終わったら、すぐに処分しますね」
※「同じ本を2回は、読まないの?」と聞かれた、カズレーザーさんは、
「2回読みたい時は、また買います。」
「作者さんに、また印税が入るのが正しいと思ってて…」
こんなやりとりをしていたんです。
この時、カズレーザーさんが言った「本を処分する」というのは、本を捨てるという意味ではなくて、友人や知人に、譲るという意味だそうです。
こんな、カズレーザーさんの、本との向き合い方が、カズレーザーさんらしいと、言われているのです。
「きっと読みたくなる、珠玉の読書の名言。」への13件のフィードバック
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