心に残る美しい文章の小説・随筆の一節・一文・名文・名言。




心に残る美しい文章の小説・随筆の一節・一文・名文・名言

書籍には大部分が文字しか書いていませんが、その文字をたどれば、水の音色や、林を吹き抜けてゆく風音、

そして、野鳥のさえずりまで聞こえて来るようです。

美しい言葉にはそんな、生命力とも言える文章のパワーがあるのかもしれません。

丁寧に、大事に紡がれた文章や物語は、心に染みて、心に残る、不思議な魅力を持っています。

そんな美しい文章を抽出して見ました。さあ!一筋の、美しい文章の魅力を再発見して見ましょう。

極上の読書で読むべき本 20選

旅に行きたくなる本・読書 51選



《 目次 23選 》

木曽路はすべて山の中にある

朝、食堂でスウプを一さじ、

桜が散って、このように葉桜…

富士には、月見草がよく似合う

智に働けば角が立つ。

そら豆の葉をすうと

国境の長いトンネルを抜けると

道がつづら折りになって、

夜が結晶しているかのように

それらの夏の日々、

誰だって一番よいことをしたら

秋の日の ヴィオロンのためいき

あさ、床の中で眼をさまして、

旅には旅の生涯というものがある

時よ止まれ、汝はいかにも美しい

美しいひとよ、私はあなたに出会…

今日、あふれるような太陽は、

ぼくの飼っている猫のピートは、

新しい季節は、いつだって雨が…

うるさいほど鳴いていた蝉は静まり

この世があまりにもカラフルだから

春が二階から落ちて来た。

行く川の流れは絶えずして、



「木曽路はすべて山の中にある」 

 島崎藤村『夜明け前』



『夜明け前』は、江戸末期の幕末から、明治に入る動乱期を描いています。

この小説の書き出しは、あまりにも有名な、「木曽路はすべて山の中にある」と言う一文から始ります。

木曽路は日本でも有数の宿場町で、徳川時代の根幹をなす交通産業そのものでした。

しかし、徳川の時代を支えた宿場町であった木曽路も、ペリー艦隊の黒船の来航を契機として、大きく揺らぐことになります。

黒船来航の噂は、当時の民衆の間でも話題となり、交通の要所であった木曽路も、その例外ではありませんでした。

そんな状況のなかで、時代は江戸から明治へと徐々に変化していったのです。

夜明け前 第1部 上 (新潮文庫 しー2-7 新潮文庫) [ 島崎藤村 ]

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島崎藤村『夜明け前』は、幕末維新の西洋化の夜明けの意味。



朝、食堂でスウプを一さじ、すっと吸ってお母さまが、「あ」と幽かすかな叫び声をお挙げになった。」  

太宰 治『斜陽』




これは太宰 治の『斜陽』の冒頭部分の一節です。

1947年に刊行されたこの小説は、当時1冊70円で1万部超えの、ベストセラーになっています。

没落していく人々を描いた太宰治の代表作で、没落していく上流階級の人々の様を「斜陽」として、

これを指す「斜陽族」という意味の言葉を生みだしました。

斜陽という言葉にも、国語辞典に「没落」という意味が加えられるほどの影響力があったのです。

そして、太宰治の生家である記念館は、本書の名をとって「斜陽館」と名付けられています。

斜陽改版 (新潮文庫) [ 太宰治 ]

太宰治全集(全10冊セット) (ちくま文庫) [ 太宰治 ]


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太宰治『斜陽』美しい冒頭の一文・言葉・あらすじ・名言。

今こそ読みたい太宰治!読者ランキング第1位は『人間失格』



桜が散って、このように葉桜のころになれば、私は、きっと思い出します。 

太宰治『葉桜と魔笛』



これは、太宰治の『葉桜と魔笛』の冒頭部分です。

余命わずか百日と宣告された、18歳の美しい妹には秘密の文通相手がいました。

妹たちの恋愛は、心だけのものではなかったのです。

しかしそのM・Tというイニシャルの男性は、妹の病気を知ると手紙を寄こさなくなってしまいます。

やがて死の迫った妹の病床に、M・Tというイニシャルの男性からの手紙が届きます。

それは今までに無かったような愛情に溢れた手紙で、妹を励ますものでした。

別れを告げたことを心から後悔し、これからは毎日歌を作って送ると書きました。

それから毎日晩の六時に、庭の塀の外から口笛で軍艦マーチを吹いてあげると書いてありました。

美しい姉妹の愛情溢れる物語です。

葉桜と魔笛 (乙女の本棚) [ 太宰治 ]

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太宰治『葉桜と魔笛』美しい文章の冒頭・あらすじ・名言



富士には、月見草がよく似合う」

太宰治『富嶽百景』



『富嶽百景』は、太宰治が甲州へ向かった時のことが題材となっていて、

その土地の人との交流や、富士山に関するエピソードが、ベースとなっています。

作家の「私」は、甲州へ向かって、井伏鱒二(いぶせますじ)が滞在する茶屋で、過ごすことになりました。

そこは、富士山が一望できる茶屋でした。私は、富士山が見えるその土地で見合いをしたり、地元の人たちと触れ合います。

その過程で、私の富士山のとらえ方は、徐々に変化していくのでした。

この小説には、十余りの富士が出て来ます。

しかし、単に山としての富士を描写した文章はひとつもなく、富士を書いているようで、実はすべて心境を描いているのです。

つまり「富士山」と自分の心境、思いを対比させているのです。

そして、有名な「富士には、月見草がよく似合う」の言葉が出て来ます。


「三七七八米の富士の山と、立派に相対峙し、みじんもゆるがず、なんと言うのか、金剛力草とでも言いたいくらい、けなげにすくっと立っていたあの月見草はよかった。富士には、月見草がよく似合う」

富嶽百景・走れメロス 他八篇 (岩波文庫 緑90-1) [ 太宰 治 ]


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今こそ読みたい太宰治!読者ランキング第1位は『人間失格』



「山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」

夏目漱石『草枕』


『草枕』の冒頭のこの言葉は、全ての人は理屈を通す人か、情に厚い人か、意地っ張りな人かに、だいたい分類されるとしたら、

そのどれもが人の世では生きづらい。つまりどんな人でも生きづらさを抱えながら生きているのですよ、という意味の言葉です。

この冒頭部分はあまりにも有名ですが、その先に、


「住みにくき世から、住みにくき煩いを引き抜いて、難有い世界をまのあたりに写すのが詩である、画である。あるは音楽と彫刻である。」


と続くことからも分かるように、この小説は芸術論にも踏み込んでいます。

ピアニストのグレン・グールドが、20世紀最高の小説と評したのも頷ける、珠玉の一冊です。

草枕 (岩波文庫 緑10-4) [ 夏目 漱石 ]

夏目漱石全集(全10巻セット) (ちくま文庫) [ 夏目漱石 ]


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明治の文豪、夏目漱石の名作に刻まれた珠玉の名言・言葉。



そら豆の葉をすうと 雨蛙の腹みたいにふくれるのが おもしろくて畑のをちぎってはしかられた。山茶花の花びらを舌にのせて息をひけば 篳篥ににた音がする。

中 勘助『銀の匙』




古い茶箪笥の抽匣(ひきだし)から見つかった銀の匙。

忘れられていたこの小さな匙は、病弱だった私の口に薬を入れるため、伯母さんがどこからか探してきたものでした。

その愛情に包まれた幼少期、初めての友達・お国さんとの平和な日々、

腕白坊主達が待つ小学校への入学、隣に引っ越してきたおけいちゃんに対する淡い恋心、

そして、少年から青年に成長するまでを、細やかに回想する自伝的作品です。

中勘助は、明治18年に東京神田で生れ。一高をへて東京帝国大学英文科入学、その後、国文科に転じます。

高校、大学時代に、漱石の教えを受けました。

信州野尻湖畔で孤高の生活を送っていましたが、父の死と兄の重病という家族の危機に瀕し、

1912年、処女作『銀の匙』を執筆、漱石の強い推薦で「東京朝日新聞」に連載されたのです。

どこをとっても美しい文章で、語り手である主人公が見た、繊細な美の世界を描いる、中勘助の自伝的小説です。

純粋な少年が、自らの感性、信じる美のため、しなやかに強く生きてゆく、その語り手の姿勢が、美しい文章に表れています。

銀の匙 [ 中 勘助 ]

 

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国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。

 川端康成『雪国』



あまりにも有名な『雪国』の冒頭部分です。

わずか一行で真冬の情景が浮かんできます。

イメージされる情景は、暗くて長いトンネルを、汽車に揺られ、突然闇の世界から外へと抜けだし、一面に広がる銀世界です。

『雪国』の舞台は、新潟県の南魚沼郡にある越後湯沢の、湯沢温泉がモデルになっています。

川端康成は、実際にこの越後湯沢で執筆しており、彼が泊まった旅館は「雪国の宿・高半」と言うところだそうです。

なぜ、主人公は雪国へやって来たのでしょうか。

東京で親の遺産できままな暮らしをしている、妻子持ちの文筆家の島村は、国境の長いトンネルを抜け、雪国へやって来ました。

それは、その年の5月に雪国の温泉場を訪れ、芸者の駒子と深い仲になり、彼女に会うためにやって来たのでした。

親の遺産できままに暮らしながら、妻子があるにも関わらず不倫を続ける島村。

トンネルの先には、島村にとって「もうひとつの世界」があって、トンネルがそこへの入口だとすれば、

冒頭の文章は、とても重要な一文に見えてきます。

雪国改版 (新潮文庫) [ 川端康成 ]

【抽出】

川端康成『雪国』冒頭は知ってますが、内容はご存じですか?



道がつづら折りになって、いよいよ天城峠が近づいたと思うころ、雨足が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓からわたしを追って来た。

 川端康成『伊豆の踊子』



そして、文章は次のように進んでゆきます。


「私は二十才、高等学校の制帽をかぶり、紺飛白(こんがすり)の着物に袴をはき、学生カバンを肩からかけていた。一人伊豆の旅に出てから四日目のことだった」


この書き出しで、あたりの情景と主人公の感情が入り交じり、今後の展開をほのめかすかのような、書き出しになっています。

つづら折りという単語のイメージが大山を思わせ、杉、雨の白という色彩のイメージ、そして山特有の天候の変化を、

短いながらもその全てが含まれて、伊豆の山中の情景が、行ったことがなくても何となく浮かんで来るようです。

伊豆の踊子 (角川文庫) [ 川端 康成 ]



金閣は雨世の闇におぼめいており、その輪郭は定かでなかった。それは黒々と、まるで夜が結晶しているかのように立っていた。」 

 三島由紀夫『金閣寺』


三島由紀夫が金閣寺を表現した言葉として、

「夜が結晶しているかのように」と綴っています。それは、こんな文章の中にありました。


「金閣は雨世の闇におぼめいており、その輪郭は定かでなかった。それは黒々と、まるで夜が結晶しているかのように立っていた。

瞳を凝らして見ると、三階の究竟頂にいたって俄かに細まるその構造や、法水院と潮音洞の細身の柱の林も辛うじて見えた。

しかし嘗てあのように私を感動させた細部は、ひと色の闇の中に融け去っていた。」


京都府舞鶴東郊の志楽(しらく)の、貧しい寺に生まれた主人公の溝口は、住職の父親から、

「金閣ほど美しいものはない」と、幼い頃より聞かされて育ちます。

しかし、父に連れられて始めて見た金閣は、想像よりも美しくなく幻滅します。

父の死後、その遺言どおり、溝口は鹿苑寺金閣の学僧となったのです。

太平洋戦争の最中、京都の空襲に思い至った溝口は、

美の象徴で不朽の存在と思われた金閣でも、自分と同じく滅ぶ運命にあると考え、金閣に改めて美を見出したのです。

金閣寺 (新潮文庫) [ 三島 由紀夫 ]

【抽出】

三島由紀夫『金閣寺』のテーマは、絶対的な美への嫉妬!



それらの夏の日々、一面に薄(すすき)の生い茂った草原の中で、お前が立ったまま熱心に絵を描いていると、私はいつもその傍らの一本の白樺の木蔭に身を横たえていたものだった。」  

堀辰雄『風立ちぬ』序曲より



『風立ちぬ』は、堀辰雄の中編小説で、作者本人の実体験をもとに、執筆された堀辰雄の代表的作品で、

「序曲」「春」「風立ちぬ」「冬」「死のかげの谷」の5章から構成されています。

美しい自然に囲まれた高原の中で、重い病に冒されている婚約者に付き添う「私」が、やがて来る愛する者の死を覚悟し、

それを見つめながら、2人の限られた日々を「生」を強く意識して共に生きる物語です。

死と生の意味を問いながら、時間を超越した生と幸福感が確立してゆく過程を描いた作品です。

作中にある「風立ちぬ、いざ生きめやも」と言う有名な詩句は、

作品冒頭に掲げられているポール・ヴァレリーの詩、

『海辺の墓地』の一節「Le vent se lève, il faut tenter de vivre.」を堀辰雄が訳したものです。

風立ちぬ (集英社文庫) [ 堀辰雄 ]



「誰だって一番よいことをしたら幸いなんだね」

宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』



『銀河鉄道の夜』は、少年ジョバンニが主人公の童話です。

主人公のジョバンニは孤独な少年で、病気の母を看病しながら、授業が終わると、活版印刷所でアルバイトをしています。

父親は漁に行ったきり、戻ってきません。

らっこを密漁し、投獄されていると噂され、そのことでジョバンニは同級生にからかわれます。

しかし、親友のカムパネルラだけは違いました。こうしてこの物語は始まります。

銀河鉄道の旅は、銀河に沿って北十字から始まり、南十字で終わる、ジョバンニ少年の異次元の旅です。

『銀河鉄道の夜』は、詩人で童話作家の宮沢賢治の作品の中でも、もっとも有名な代表作の一つで、

彼が初稿を書いたのが1924年で、晩年まで推敲が行われていました。

現在流布しているストーリーは、戦後しばらくして発見された、第4次稿と呼ばれる作品です。

しかし、宮沢賢治は1933年に37歳の若さで亡くなります。

そのためこの作品は、宮沢賢治の生前には出版されることはなかったのです。

彼の業績は、生前はほとんど評価はされず、没後、遺稿の出版が相次ぎ急速に知名度を高め、

その業績が評価されたのは、彼の死後だったのです。

新編銀河鉄道の夜改版 (新潮文庫) [ 宮沢賢治 ]

【抽出】

宮沢賢治の『銀河鉄道の夜イーハトーヴの理想郷。



「秋の日の ヴィオロンのためいきの身にしみて ひたぶるに うら悲し
鐘のおとに 胸ふたぎ 色かへて 涙ぐむ 過ぎし日の  おもひでや
げにわれは うらぶれて  ここかしこ さだめなく とび散らふ 落葉かな、、、。」

ポール・ヴェルレーヌ 上田敏 翻訳詩集『海潮音』「落葉」



「秋の歌」(原題:Chanson d’automne)は、フランスの詩人ポール・ヴェルレーヌ(1844-1896)の詩です。

日本では上田敏(1874-1916)が、翻訳詩集『海潮音』のなかで、「落葉」と題して訳している詩が有名です。

「秋の日の ヰ゛オロンの  ためいきの…」という出だしを、一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。

(ヰ゛オロンとは、ヴィオロン。ヴァイオリンのことです)

秋のもの悲しさは、日照時間の短さもあり、暮れなずむもの悲しさとも関係しているようです。

更に、落葉樹がハラハラと葉を落すと、より一層、もの悲しさが募ります。

ムッシュかまやつの「20才の頃」の歌詞の中に、ヴェルレーヌが出て来ます。


あの頃 想うたび 涙が 出るんだよ きみとぼく 20才の頃 帰らない昔

毎日絵を描いた モデルは君ひとり 肩や腰 胸の線を 描いては消して

たまには 口づけなどかわしてふざけあい そのまま愛し合って 日暮れになったね

ショパンを聞きながら 夜には詩をよんだ ベルレーヌやポートレール おぼえているかい

海潮音改版 上田敏訳詩集 (新潮文庫) [ 上田敏 ]



「あさ、床の中で眼をさまして、一番さきに私の頭に浮かぶのは、今日の夕飯は何にしようかしら……ということである。」

 沢村貞子『わたしの台所』献立日記より



これは、沢村貞子『わたしの台所』の冒頭部分の書き出しです。

沢村貞子は昭和を代表する役者で、「私はひなたの雑草」と言い切る庶民派女優です。

その立ち居振る舞いや言動に一本筋が通っていて、

和服の着こなしと相まって、相手に対して、緊張すら思わせるたたずまいを持っていました。

主婦でもあった沢村貞子は、珠玉の鋭くウィットに富んだ、人生哲学がのぞく、数々のエッセイを残しています。

『わたしの台所』もその一冊で、洒落っ気のあるちょっと皮肉めいた語り口がとても心地良く、

ページをめくると、一気に昭和の世界へ入り込んでしまいます。

この冒頭部分では「ご馳走」について触れ、このように綴られています。


「うまいものといっても、高価なもの、栄養のたっぷりあるもの、とは限らない。汗がタラタラ流れる真夏の冷たい素麺、凍えるような冬の夜の熱い雑炊など、どんなご馳走よりもおいしい。」

わたしの台所 (光文社文庫) [ 沢村貞子 ]

 

365日の献立日記 DVD BOX 全4枚



旅がもし本当に人生に似ているものなら、旅には旅の生涯というものがあるのかもしれない。

沢木耕太郎『深夜特急』第5巻トルコ・ギリシャ・地中海編


作家の沢木耕太郎の紀行小説『深夜特急』は、全6巻と気合を入れないと、読破に時間を要する作品です。

1986年に第1夜が刊行され、既に34年経ち、現在では、新潮文庫で、6冊に分冊化される形で、刊行されています。

一人の旅人がバスで、ユーラシア大陸を横断する放浪記で、

イギリスのロンドンまでを旅する、日本を飛び出した26歳の主人公「私」の物語です。

仕事をすべて投げ出して旅に出て、途中立ち寄った香港では、街の熱気に酔い痴れて、思わぬ長居をしてしまう、

そんな筆者自身の実話に基づいた、貧乏旅の魅力を最大限に引き出した作品です。

ただあてもなく異国の地を彷徨い、見るものすべてが新鮮で、日本の常識など当然通用しない、

危険と隣り合わせの、行き当たりばったりのこの旅が、なぜか魅力的に映るのす。

この文章はこんな一文の中にあるのです。


「旅がもし本当に人生に似ているものなら、旅には旅の生涯というものがあるのかもしれない。

人の一生に幼年期があり、少年期があり、青年期があり、壮年期があり、老年期があるように、長い旅にもそれに似た移り変わりがあるのかもしれない。

私の旅はたぶん青年期を終えつつあるのだ。何を経験しても新鮮で、どんな些細なことでも心を震わせていた時期はすでに終わっていたのだ。」

深夜特急1 香港・マカオ (新潮文庫) [ 沢木 耕太郎 ]

深夜特急5 トルコ・ギリシャ・地中海 (新潮文庫) [ 沢木 耕太郎 ]

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沢木耕太郎の『深夜特急』旅のバイブルの名言とあらすじ

人生で一度読んでおきたい本。名文・名言・あらすじの本棚。



「時よ止まれ、汝はいかにも美しい」

ゲーテ『ファウスト』



ゲーテの『ファウスト』は、15世紀から16世紀頃のドイツに実在したと言われる、

高名な錬金術師ドクトル・ファウストゥスの伝説を下敷きとして、ゲーテが、ほぼその生涯を掛けて完成させた大作です。

ファウスト博士は、錬金術や占星術を使う黒魔術師であるとの噂に包まれ、

悪魔と契約して、最後には魂を奪われ体を四散されたと云う奇怪な伝説、風聞が囁かれていました。

ゲーテは子供の頃、旅回り一座の人形劇「ファウスト博士」を観たようで、

若い頃からこの伝承に、並々ならぬ興味を抱いていたのです。

ゲーテは、こうした様々なファウスト伝説に取材し、彼を主人公とする長大な戯曲を書き上げたのです。

『ファウスト』の戯曲は、善と悪、人間の罪と欲望、神と信仰などがテーマで、人間の永遠の課題と言うべきものでしょう。

「時よ止まれ、汝はいかにも美しい」の台詞の意味は、最期の時を迎えた主人公ファウストは、「契約」を結んだ悪魔メフィストフェレスが、

彼の死体を埋葬するための音を、領地を切り開く道具の音と思い違いして、

人々の幸福のための貢献が出来たと、その喜びから口にしてしまいます。

時よ止まれ、汝はいかにも美しいと、人生の最高に素晴らしいこの瞬間が、永遠に留まれとの願いから、言葉にしてしまったのです。

ファウスト 1 (新潮文庫 ケー1-3 新潮文庫) [ ゲーテ ]

 

若きウェルテルの悩み (新潮文庫 ケー1-1 新潮文庫) [ ゲーテ ]



美しいひとよ、私はあなたに出会った。そして、今、あなたは私のものだ。あなたがだれを待っているにせよ、また私がもう二度と、あなたに会えないとしても、と私は考えた。あなたは私のものだ。全パリも私のものだ。

アーネスト・ヘミングウェイ『移動祝祭日』「サンミシェル広場の良いカフェ」



この一節は、アーネスト・ヘミングウェイ『移動祝祭日』の「サンミシェル広場の良いカフェ」にある文章です。

『移動祝祭日』は、ヘミングウェイの没後、1964年に刊行されたのです。

ヘミングウェイが1921年~1926年に、パリ修業時代を送った思い出を、61歳の絶筆で書き表したものでした。

小説のタイトルは、彼の親友だったホッチナーに、ヘミングウェイがこう語ったからです。


「もし幸運にも、若者の頃、パリで暮らすことが出来たら、その後の人生を、どこで過ごそうとも、パリはついてくる、パリは移動祝祭日だからだ!」


雨の中、ヘミングウェイはパリ市街の中心部を目指して歩き、

カルチェ・ラタンから急坂を登り、パンテオンの丘で強い風に吹かれながら、ついにはサン・ミシェル広場のカフェにたどり着きます。

そのカフェは以前から知っていたのだが、とても暖かく、清潔で気持ちがよいカフェでした。

期待通りの暖かさで店はヘミングウェイを迎え入れてくれます。

彼は一杯のカフェ・オレを注文し、ノートに作品を書き出します。

そこへ一人の女性が現われます。


「一人の女がカフェへ入ってきて、窓近くのテーブルにひとりで腰をおろした。とてもきれいな女で、新しく鋳造した貨幣みたいに新鮮な顔をしていた。

雨ですがすがしく洗われた皮膚で、なめらかな肌の貨幣を鋳造できればの話だが。それに彼女の髪は黒く、カラスのぬれ羽色で、ほおのところで鋭く、ななめにカットしてあった。」

「美しいひとよ、私はあなたに出会った。そして、今、あなたは私のものだ。あなたがだれを待っているにせよ、また私がもう二度と、あなたに会えないとしても、と私は考えた。あなたは私のものだ。全パリも私のものだ。そして、この私はこのノートブックとこの鉛筆のものだ」

(「サンミシェル広場の良いカフェ」の最初の一篇 福田陸太郎訳)

移動祝祭日 (新潮文庫 新潮文庫) [ アーネスト・ヘミングウェイ ]

 

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ヘミングウェイ人気作品『移動祝祭日』パリ回想の日々と名言



「今日、あふれるような太陽は、風景をおののかせ、非人間的に、衰弱させていた。」

アルベール・カミュ『異邦人』



『異邦人』はアルベール・カミュの代表作で、

アルジェリアに暮らす青年ムルソーが、友人のトラブルに巻き込まれ、銃で男をあやめてしまいますが、

その少しの前に、母の葬式で涙を流さず、翌日に女と遊んでいたことなどから、凶悪な人間として裁かれるストーリーです。

その『異邦人』は、こんな冒頭部分から始まります。


「きょう、ママンが死んだ。 もしかすると、昨日かも知れないが、私にはわからない。養老院から電報をもらった。「ハハウエノシヲイタム。マイソウアス」これでは何もわからない。恐らく昨日だったのだろう。」


1942年刊のこの小説は、人間社会に存在する不条理について書かれていて、アルベール・カミュの代表作の一つとして数えられています。

1957年に、カミュが43歳でノーベル文学賞を受賞したのは、この作品によるところが大きいと言われているのです。

裁判で主人公のムルソーが、裁判長に動機を問われると、

「太陽が眩しかったから」と言ったのです。その答えに廷内に笑い声が上がります。

弁護士は最善を尽くしますが、ムルソーはいつも上の空で、

「暑い」「眠い」「マリィは髪を結ばないで散らしている方が美しい」など、全く関係のないことを考えています。

それでも弁護士は、ムルソーは勤勉で人に愛される人間であると、日頃の行いを挙げ、衝動的な犯行だったと主張しましたが、

下された審判は極刑だったのでした。

異邦人 (新潮文庫 カー2-1 新潮文庫) [ カミュ ]

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アルベール・カミュ『異邦人』殺意の動機は太陽のせいの意味



「ぼくの飼っている猫のピートは、冬になるときまって夏への扉をさがしはじめる。」

ウィリアム・アイリッシュ『幻の女』



妻と喧嘩し、ただ一人町をさまよっていた男は、奇妙な帽子をかぶった女に出会います。

彼は気晴らしに、その女を誘ってレストランで食事をし、カジノ座へ行き酒を飲んで別れました。

そして家に帰ってみると、喧嘩をして家に残してきた妻が、彼のネクタイで絞殺されていたのです。

刻々と死刑執行の日が迫る中、彼のアリバイを証明すべく、”幻の女”を探します。

しかし女は一向に現れず、更に一緒にいる姿を見ている筈の人々までもが、女を見ていないと証言するのです。

一体何が起きているのか? なぜ、女は姿を現さないのか?

ウィリアム・アイリッシュの『幻の女』は、1942年に発刊されました。

約80年前に刊行されたサスペンスですが、全く色褪せてないく臨場感で、読者を魅了します。

いったい何が起こっているのか、分からないまま始まり、途中新たな展開がなくなった時に、絶望感が襲いかかり、

そして、死刑執行に向かって加速する終盤、更に最後のどんでん返しが待っています。

幻の女〔新訳版〕 (ハヤカワ・ミステリ文庫) [ ウイリアム・アイリッシュ ]

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心に残る有名なミステリー小説の名言・一文・決めセリフ。



新しい季節は、いつだって雨が連れてくる。

恩田 陸『ユージニア』



恩田 陸さんの『ユージニア』は、こんな美しい文章の出だしから、物語が始まります。

数十年前に名家で起こった大量毒殺事件、多くの被害者を出したその悲劇は、地元の人々を不安と疑心暗鬼にさせました。

それから年月が経ち、関係者たちが、かつての事件を語っていきます。果たして真実は…

物語がインタビュー形式で進む小説で、日本推理作家協会賞長編賞受賞作品です。

この冒頭の続きには、新しい季節と言うより、次の季節と言う方が、この街ではしっくりすると、したためられているのです。

『ユージニア』はミステリーですが、全てが明らかになることを期待して読むと、読者を惑わすミステリーなのです。

ユージニア (角川文庫) [ 恩田 陸 ]

 



「うるさいほど鳴いていた蝉は静まり、中庭を満たすのはただ、降り注ぐ夏の日差しだけだった。それでもよく目を凝らせば、稜線のもっと向こうの遠い空に、秋の気配を感じさせる薄い雲が掛かっているのが見えた」

小川洋子『博士の愛した数式』



これは『博士の愛した数式』の終盤にある印象的な一節です。

小川洋子さんの『博士の愛した数式』は、交通事故で記憶力を失った数論専門の元大学教師「博士」と、

家政婦、家政婦の10歳の息子「ルート」の3人が、数学を通して心を通わせてゆく物語で、

2004年読売文学賞、第1回本屋大賞を受賞し、2006年は映画化もされミリオンセラーになりました。

「博士」の、着古してくたびれた背広には、何枚ものメモがクリップで留められていて、

染みだらけなった1枚に記されているのは「僕の記憶は80分しかもたない」でした。

博士は17年前の交通事故をきっかけに、新しい記憶が80分しか持ちません。

記憶力を失った博士にとって、私は常に“新しい”家政婦です。

お世話をするそばから家政婦のことを忘れ、その度に説明をしなければならないのです。

博士は“初対面”の私に、靴のサイズや誕生日を尋ねます。それは、数字が博士の言葉だったからです。

博士の愛した数式 (新潮文庫 新潮文庫) [ 小川 洋子 ]

博士の愛した数式 [ 寺尾聰 ]


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小川洋子『博士の愛した数式』第1回本屋大賞受賞作!



この世があまりにもカラフルだから、ぼくらはみんないつも迷ってる。
世の中があまりにカラフルだから、大切なことも見失ってしまうのかな。

森絵都『カラフル』


森絵都さんの『カラフル』は、第46回産経児童出版文化賞を受賞しました。

YA小説の代表作とされる本作品は、

児童文学と言うジャンルに、くくられがちですが、本来は大人にこそ読んで貰いたい作品です。

一度死んだ「ぼく」は、突然現れた天使に「抽選にあたりました!」と言われ、天使の計らいで「前世の過ちを償う」ため、

下界で、誰かの体に乗り移って過ごす「ホームステイの修行」を行う事になります。

「ぼく」の魂は「小林真」という中学3年生の少年に乗り移り、修行が始まります。

現世に戻る再挑戦のため、真としての生活を始めた「ぼく」は、やがて真が自ら死を選んだ理由を、知ることになるのです。

そんな中「ぼく」は、現世に戻る再挑戦をすることの、本当の意味を考え始めるのでした。

この作品は、生きていると見失いがちな大切な事を、考えさせて呉れるでしょう。

カラフル (文春文庫) [ 森 絵都 ]



「春が二階から落ちて来た。」

伊坂 幸太郎『重力ピエロ』



伊坂 幸太郎さんの『重力ピエロ』の一行目で、独特の表現で、冒頭から読者を物語に引き込みます。

これは伊坂幸太郎さんの4作目で、直木賞候補になった小説です。

2009年には、加瀬亮さんや岡田将生さんが、主人公の泉水と春役で映画にもなりました。

何故2階から「春」が? 読んだ方なら分かる「春」なのです。

連続放火事件の現場に残された、謎のグラフィティアート。意味のない言葉の羅列に見える落書きは、一体何を意味するのか?

偶然事件に巻き込まれた兄弟とその父親が、暗号解読に乗り出します。

オーソドックスですが古くない、地味で大人しいけど胸躍る作品です。

この作品で、キーとなるものの一つが、弟の出自に関わることです。

家族とはな何なのか、血の繋がりをどう考えるのが一つのテーマです。

伊坂さんの作品は不思議な小説が多いですが、

この『重力ピエロ』もその一つです。ジーンとさせてくれる一方で、独特なユーモアも散りばめられてます。

重力ピエロ (新潮文庫 新潮文庫) [ 伊坂 幸太郎 ]



行く川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。
淀みに浮かぶうたかたかは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。

鴨長明『方丈記』



これは『方丈記』の「行く川の流れ」の原文です。現代語訳すると、

流れていく川の流れは絶えることがなくて、それでいて、(その水は刻々移り)もとの水ではない。

流れの淀んでいるところに浮かぶ水の泡は、一方で消えたかと思うと、一方ではまたできて、いつまでもそのままの状態で存在していることはない。

『方丈記』は鎌倉時代初期に書かれた随筆で作者は鴨長明です。

高校古典の教科書にも出てくる『方丈記』ですから、この一節を知っている方も多い筈です。

2022年の、大河ドラマは「鎌倉殿の13人」ですので、

源頼朝に思いを馳せて、この一文を口ずさんで見ると、いにしえの古都・鎌倉が脳裏を過ります。

鴨長明の『方丈記』は、日本三大随筆と言われています。

鴨長明は、随筆の他に、和歌や琵琶の演奏にも秀でるなど、芸術的な才能を豊富に備えていました。

1155年に生まれ、公家の世が衰退し、武士の台頭が始まる変動期に、生涯を過ごしていたのです。

すらすら読める方丈記 (講談社文庫) [ 中野 孝次 ]





「心に残る美しい文章の小説・随筆の一節・一文・名文・名言。」への2件のフィードバック

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